ku:nel クウネルの「料理上手の台所」、いいねえ。
『クウネル』の最新号(Vol.68)の巻頭特集は「料理上手の台所」で、知っているひとが3人も載っているというので買ってきた。これは、その人たちが載っていなくても、買ってよい特集だった。
ひとりは、按田優子さん。代々木上原に餃子店も経営する料理研究家だ。彼女が載っていることは、彼女を取材したつるやももこさんに聞いて、知っていた。
その書き出しは「都心に建つ昔ながらの木造一軒家。風通しのいい廊下を進んだ先には、瓶、瓶、瓶!」と、つるやさんの文章が冴えて、すごくうまく特徴をとらえている。おれが、初めてそこを訪ねたときも、まさにこの感じだった。
そのときは、按田さんが、その、風化もはなはだしい、すごく古い一軒家を、自分で改修改造しながら住み始めたばかりで、どこもかしこも工事中だったけど、壁に棚が造られ、たくさんの瓶が並んでいた。それは、旅人の彼女が各地を旅行しながら集めたりした、ハーブだのスパイスの類。とにかく、すごい量だった。
先日も、その家を訪ねたが、彼女は留守だった。おれはこの建物の外観を見るだけでいい。おれの生活の記憶にある昭和20年代の景色で、とても気に入っている。
しかし、屋根は大丈夫とはいえ、あの劣化する家を改造しながら住む按田さんは、「あるものを上手く」の卓抜した「DIY力」の持ち主だと思う。料理は、まだ食べたことがないが、うまいに違いない。
そして、ほかに登場のお2人は、画家であり、おれが「理解フノー」の連載をしている美術系同人誌『四月と十月』の編集発行人の牧野伊三夫さんと、『みんなの大衆めし』(小学館)の共著者で料理家の瀬尾幸子さんだ。
お三人とも、「あるものを上手く」精神に富んでいるが、この特集、十人の方々が登場するが、ブランドの話しや「いいモノ」の話しは一つもないのが、素晴らしいと思う。そこには、それぞれの生活の物語があるだけなのだ。ふわふわせずに、じっくりモノを見つめる目、暮らしを見つめる目、その物語が、いいのだなあ。
このブログでは、以前にも『クウネル』のことについて書いたが、この雑誌は「ストーリーのあるモノと暮らし」を掲げている。「いいモノいい暮らし」といった、ありがちな、高度成長期からバブルの頃のシッポをひきずることなく、それぞれの生活にある「ストーリー」に着目している。そこに、いま、そしてこれからの、多様化と成熟化を感じるのだが。
鈴木るみ子さんが書いた、牧野伊三夫さんの台所の文章には、いかにも牧野さんらしい、そして、このクウネルらしいと思った。
「道具も調味料も食材も、特別のものは何ひとつない。徒歩圏内の金物屋やスーパーで手に入るごくふつうのものを使い」と。
牧野さんのオコトバは、こうだ。
「百円ショップの包丁も意外にいいし、農薬のこととかも、考えすぎると身動きがとれなくなるでしょ。銘柄や能書きにふりまわされる前に鍛えるべきは自分の嗅覚で、昔のおばあちゃんはみんな、身近にあるものをやりくりして、おいしい料理を作っていたんだから。無理も無駄もなく、味に生活があるというのかな。体が安らぐおいしさって、そういうものなんじゃないですかね」
いいねえ。この雑誌は、一見、「おしゃれ」で「ハイカルチャー」なような佇まいだけれど、そういうものを目指しているのではなく、「暮らす」を探求しているのだと思う。
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