江原恵『カレーライスの話』から。
『ぶっかけめしの悦楽』をザ大衆食のサイトに掲載する作業をしながら、この本のキッカケになり、おれがライター稼業をやることになってしまった遠いキッカケであり、そして飽きやすいおれにしてはシツコクこだわっている「生活料理」の本でもある、江原恵さんの『カレーライスの話』(三一新書)を読み返した。
江原さんの考えの主なところは、『大衆めし 激動の戦後史』に盛り込んだが、『カレーライスの話』の本文の最後には、その要約ともいえるまとめがある。
ある「おさかな料理コンクール」の事例を検討して、江原さんは「日常レベルの料理文化の水準が、村井弦斎の『食道楽』のころ、つまり明治の昔から少しも変っていない、ということのしるし」を指摘したあと、こう続ける。
…………………………
明治のベストセラーであった、弦斎のこの本の内容は、要するに料理屋料理の紹介に過ぎない。そしてそれ以来、料理教室も、クッキングスクールも、女学校も、女子大の家政科も、そういう自然発想法的な学習法と考え方を、少しも改めようとしなかった。家庭料理の手本を、料理屋料理に求めることを、いささかも疑わずにいまに至った。
即席カレーやハンバーグの素が、これだけ広く普及するのは、あたりまえの話ではないか。そもそも、カレー汁スタイルのライスカレーが、北海道で「故里の味」に風俗化したのはなぜであったか。そんな国籍のはっきりしないような、うろんな食物はわが家の食卓にお呼びじゃないよ、と、玄関ばらいをくわせるような、そんな確固とした文化と伝統が無かったからではないのか。無かったからこそ、料理学校もテレビも、料理屋料理を適当にくだいて教えているだけなのだ。
家庭の、伝承の味を創造してゆく方向で考えるなら、故里の味のライスカレーが、いつのまにか、なしくずしに、ホテル式のカレーライスに取って替わられたのは、日本料理文化と家庭料理の可能性のためには、幸せなことであったとはいえないだろう。タマネギとジャガイモとニンジンがごろごろしているような、本当のカレーではないライスカレーは、近代に向けて発足した日本の風土から生まれた、日本の味の文化であった。そのごった煮的なカレー汁の鍋のなかには、混沌とした民衆的な可能性があった。
しかし、大都市の高級料理店の高級料理こそ、この世の最高の美味珍味であると信じ、そしてあこがれつづけてきた民衆は、その「貧しさ」の故に、こった煮カレー汁の鍋のなかの可能性の芽を、みずからの手で摘み取ってしまったのだ。しかも、資本主義産業がその手助けをしてくれた。手助けをしてくれたばかりでなく、わずか数十年の間に、その「産業」が主役になってしまったのだ。
ほんらい、食卓の上の主役は、国民―民衆であり、民衆の創造した文化でなければならない。このことはしかし、われわれの食卓の上から「産業」をすべて排除すべきだ、という議論にはつながらない。現代日本の国家的要件である工業化社会―産業社会を否定することは、われわれ自身を否定することになってしまうからだ。考えるべきことは、「産業」が主役に化しつつある、いまの食卓の現実を、どんな姿に改めればよいか、そのためにはどんな方法があるのか、等々の課題であろう。
…………………………
おれはカレーライスにみられる「可能性」は、まだ失われていないと思うが、いまではカレーライスより野菜炒めのほうが、例としてはわかりやすいと考え、野菜炒めにみられる、カレーライスにみられた「可能性」(つまり生活料理の可能性)について、『大衆めし 激動の戦後史』では、かなりページ数をさいた。
しかし、ここで江原さんが指摘している課題は、なかなか大変なことなのだ。
何度もトークでも話したし、どこかにも書いたが、日本には、どんなにうまい料理屋の料理を食べても、やっぱりおれのおふくろが作ってくれたカレーライスが一番うまい、あるいは、おれが作った野菜炒めが最高だと、そう胸を張ることなく自然にいえない不幸がある。この不幸の根は深い。
そして、あいかわらず、一方的といってよいほどの、産業や企業や名店だの名人だの達人だの側からの、「優れた」「いい」情報や知識の洪水のなかで過ごしている。
不幸の根は深いがゆえに、産業や企業や名店や名人や達人とか側からの「優れた」「いい」情報や知識の洪水のなかから、とりわけ「優れた」「いい」情報や知識を得て、優越感や幸せを感じる、ということでもある。
まったく、何も変わっていないのだ。
なるほど、村井弦斎のころより、はるかに「優れた」「いい」モノは手に入るようになった、それこそ産業や技術の発展のおかげもある、だけど「日常レベルの料理文化の水準」の大勢は、変わっていない。それは「料理文化」以外の「文化」にも通低していることがあるように思う。明治に再編された前近代的な桎梏というべきか。
「主役」は、誰なのか。
| 固定リンク | 0