「東京風」の味って、どんなものか。
よく「関西は薄味で、関東風は濃い」といったりする。例に、醤油があげられたりする。関西は薄口で、関東は濃い口だというのだ。みそも、関西は白みそで、関東は赤みそ、という例をあげるひともいる。とにかく、それは、「日本料理」が基準になっているようだ。チョイとおかしいこともあるのだが、ま、通説としては、そうであるとしておこう。
きのうもふれた、松崎天民の『東京食べ歩き』(誠文堂、昭和6年)には、こういう記述がある。一部新漢字で引用する。
「この上方料理の東漸、大阪式の塩梅が、東京に浸潤して、所謂「江戸料理」を征服した形になったのは、大正末期からのことだった」
これも通説になっていて、「大正末期」というのは、関東大震災がきっかけとされているのだ。このばあい、料理の塩梅だけでなく、盛りつけと提供の仕方、部屋の装飾や接待サービスなども関係するのだが、味覚については、どこがどうちがうのか、想像しかできないし、想像するのも難しさがつきまとう。
というのも、『東京食べ歩き』によっても、当時の人たちですら、同じ汁についていう場合でも、「少い甘い方じゃないか」というひともあれば「いや、あれは濃くて辛い方だよ」という始末なのだ。味覚そのものが複雑多様なうえ、評価の基準も、その表現も、ずいぶん違う。
もともと関西人の松崎天民が『京阪食べ歩き』のあと、仕事の都合で東京で暮らすようになって、ここに書いていることから察すると、ようするに、「甘い」「辛い」「濃い」というあたりに特徴があるようだ。
それと、あらためて『東京食べ歩き』を読んで気がついたのは、一皿の盛りの量が多いというのも、「東京風」らしいのだ。
ってことで、思い浮かべたのは、新橋と銀座の有名店だ。どちらも、「大衆割烹」の店といってよいだろう。片方は、実際に「大衆割烹」を看板にしている。とにかく、板前の料理なのだ。そして、煮付けの汁は、「甘い」「辛い」「濃い」というあたりに特徴があり、一皿の盛りも多い。
大衆食堂のばあい、だいぶ以前は、みそ汁の味に特徴があった。赤みそ辛口のみそ汁は、いわゆる下町に多かった。どじょう鍋の汁にしても、駒形より飯田屋のほうが、「江戸風」だというひともいた。
とにかく、「上方料理の東漸」といっても、東京風が一挙に消えてしまったわけではない。それから、東京風の味ということでは、「日本料理」以外の味覚が、かなりの影響をおよぼしている。味覚は、店から客へ一歩通行ということはなく、客から店への影響もある。
とどのつまり、「東京風」って、なーに、ってことなのだが。その基準がなくて、東京の味覚の評価は、どうするのってことなのだが。
もう一度、新橋と銀座の、その店からさぐってみると、何か発見がありそうだと思い出した。ここは、「高級割烹」ではなく、大衆店だからね。
しかし、松崎天民は、公平な考えを持っていた方だったのだなあ。どうして、この方のような「食味評論」ではなくて、芸術家気取りの魯山人なんぞをモデルにするようになったのだろう。ということも、興味あることだ。
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