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2014/07/07

「アリギリス」について、考えた。

アリギリスという言葉は、いつ誰が使いだしたのだろう。調べてみたが、わからない。たしか、バブルのころ、「日本人は働き過ぎ」なーんてことがいわれ、「アリギリスたれ」ということが盛んにいわれるようになった記憶がある。

Webの日本語俗語辞典によれば、「アリギリスとは、働くばかりでも遊ぶばかりでもなく、仕事も遊びもする人のこと」で、「アリギリスとは「アリとキリギリス」というイソップ寓話に出てくるアリとキリギリスを合成した言葉である。物語でアリは冬の食料に困らないよう、ひたすら働き続け、キリギリスは夏場歌を歌って遊び、冬に入って食料に困り、アリのところへ助けを乞いに行く。アリギリスはそんな働くだけのアリでも、遊び呆けてばかりのキリギリスでもなく、仕事も遊びも一所懸命するスタイル及びそういったスタイルの人を意味する。また、アリギリスの究極のスタイルとして、仕事が遊び・遊びが仕事といった姿勢・考え方を挙げる人もいる」だそうだ。
http://zokugo-dict.com/01a/arigirisu.htm

そこには、年代に「1989年」とあるから、やはりバブルのころからいわれだしたのだと思われる。浮かれた頭で考え出した、消費的な言葉のような気がする。

人の生き方をアリとキリギリスに喩えるのは、ずいぶん乱暴な話だが、正反対の二項をたて、モノゴトを単純化させることは(これを「わかりやすい」と思うひとも多いが)、よくやられている。だけど、現実は、そうは単純ではない。だから「アリギリス」のような折衷が造語される。

仮にアリとキリギリスのように違う生き方があったとしたら、アリかキリギリスか、ということではない。「文化やライフスタイルの違いは、衝突や摩擦の原因であるとされる」が、「和解や共存などというものは、一朝一夕になるものではない。しかし、異なる文化の出会いの中に、次の時代をつくりだす創造の源が見つかるのである」

と、立教大学法学部教授の小川有美さんは、『TASC MONTHRY』7月号の随筆「アリとキリギリスの出会い」で述べている。

その書き出しは「ヨーロッパに亀裂が走っている」だ。つまり。例の「ギリシア危機」の話だ。ギリシアはキリギリスに喩えられ、ドイツなどは「勤勉・禁欲的なアリ」に喩えられた。「そしてキリギリスとアリは結局一つのユーロ圏という制度には一緒にいられない、などとさえいわれたのである」

「しかし、欧州統合に詳しい国際政治学者の遠藤乾氏は、どっこいEUは生きている、と言う」。遠藤乾氏がいうまでもなく、実際に聞くヨーロッパの話は、ゴタゴタしているが、ゴタゴタしているのは昔からのことで、単純にアリかキリギリスかでもなく、アリとキリギリスだとしても、水と油ではない。

で、小川有美さんは、「異なるライフスタイルが出会うことは、すぐれた制度をつくること以前に大切なことかもしれない」と、EUの元になった「1950年のシューマン計画の生みの親といわれる二人」の話をし、「映画になったデンマークの小説『バベットの晩餐会』の話をする。

「亀裂」や「分断」や「排除」が露呈している日本の状態もふまえてのことに違いない。

そして、「和解や共存などというものは、一朝一夕になるものではない。しかし、異なる文化の出会いの中に、次の時代をつくりだす創造の源が見つかるのである」ということなのだ。

その通りだろう。だけど、多様な文化やライフスタイルを、「理解」以前に認めることも難し日本人は、少なくない。それは、昨今の指導的な政治家や天下のマスコミの言論を見るだけでも、あきらかだ。

それはともかく、『バベットの晩餐会』について、小川有美さんは、このように述べている。「この物語は、単なる食べものをめぐるファンタジーであるだけではない。北欧の歴史のなかで、都市と農村の隔たりはあまりにも大きかった」「だが農村と都市の人々の出会い、どちらの生活をも大事にしようとする対話によって、北欧独自の平等な民主主義や福祉国家が誕生した」

日本でも、都市と農村の隔たりはあまりにも大きい。「アリギリス」という言葉は使われてきたが、「農村と都市の人々の出会い、どちらの生活をも大事にしようとする対話」は、どうだろうかと考えた。

「農業ブーム」や「田舎ブーム」などがいわれたりしたが、あくまでも「都会人」からの目線ではないか。極端な東京一極集中も、人口減の中ですすんでいる。

どちらが「上」か「下」かの前近代的な思考から、なかなか自由になれない。多様性を受け入れられない。「アリギリス」という言葉は、そんな都会人の消費概念のように見える。

いま日本では、国際関係だけでなく、生活保護や子育て、さまざまな生活のための制度までゆらいでいる。カネの問題もあるが、「亀裂」や「分断」、その底にある、民主主義や文化的な問題と向き合わなくてはならない事態になっている。

最後に、BIGMAMA「アリギリス」の歌詞、です。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND161360/index.html

『TASC MONTHRY』7月号には、赤川学さん(東京大学大学院・人文社会系研究科准教授)による「社会問題を批判的に読み解くために」も載っていて、なかなかおもしろい。

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