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2014/07/08

大衆めしの「三大条件」について考えている。

大衆めしを料理文化レベルで考えると「ありふれたものをうまく」ということになるが、食事レベルだと、どうなるだろうかと考えている。「気取るな力強くめしを食え」を、もう少し分解してみると、どういう条件が必要か、ということなのだが。

ロマン・ロランは何かの本で、大衆演劇の主な条件について「歓び」「力」「知性」をあげていた、というメモがあった。何の本だったかについては、メモが残っていないが、これはヒントになりそうだ。

「歓び」は、そのままでよいだろう。生きる歓び、食べる歓び。

「力」は、「気取るな力強くめしを食え」に通じる。しかし「力」という表現は、少し「物理的」すぎる感じがする。「力強さ」でもよいが、『大衆食堂の研究』では、「元気」を強調していたので、「元気」にしてみよう。生活感覚としても「元気」がよいようだ。

モンダイは、「知性」だ。大衆めしに「知性」は必要ないわけではないが、「知性」ではチョイとインテリの食事という感じになってしまう。それに「知性」というのは、「本能」より役立たずのこともある。とくに食欲においては。それで悩んでいる。「工夫」ならどうだろう。生活的ではあるが、リクツっぽさが残る。それに、どちらかというと料理レベルのことになる。

東京新聞に連載の「大衆食堂ランチ」では、なるべくお店の方の話しに頼らないようにして、「食べる」気分や感情や理性などの側から判断し書こうとしている。そのばあい、「工夫」を考えることはよくあるが、料理に対するお店の工夫になってしまう。

「ありふれたものをうまく」は、料理レベルと食事レベルが統合されているのだが、「うまく食べる」については、もっとよく考えなくてはならない。

べつに無理やり「三大条件」にする必要はないが、「三大」のほうが、語呂がよいからなあ。

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