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2014/10/14

美術同人誌『四月と十月』31号と北九州市フリーペーパー『雲のうえ』21号。

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先週の初めだったかな、おれは同人ではないが「理解フノー」の連載をしている美術系同人誌『四月と十月』の31号と、『四月と十月』の編集発行人の牧野伊三夫さんが、有山達也さん、つるやももこさんと編集委員をやっている、北九州市のフリーペーパー『雲のうえ』21号が届いた。それに、すでに買って読んで2014/09/21『わたしの東京風景』に紹介している、四月と十月文庫の5冊目、鈴木伸子さん文、福田紀子さん絵の『わたしの東京風景』もいただいた。

『四月と十月』の表紙は、白石ちえこさんの写真。おれの「理解フノー」は13回目で「「しのぎ力」が試されるとき」のタイトル。ま、理解フノーのことなので、説明するのは難しいですね。

同人の出品「アトリエから」のなかでは、正成美雪さんの「今こそデロリと」が、刺激的だった。「デロリ」と「野暮」は、大いに関係があると思うし興味がある。

以前、当ブログの2005/03/30「人間だもの「デロリ」」で、こう書いた。

「整然とした環境、整然とした美学、整然とした文化、整然とした論理、整然とした考え、整然とした教条、整然としたブンガク、整然としたブログ、整然とした学校、整然とした会社、整然とした仕事、整然とした食事、整然とした排泄、整然としたセックス、整然とした睡眠、整然とした温泉、整然とした旅……、そういう整然とした装置にならされてはいないか。だから、デロリ。」

『雲のうえ』21号の特集は「海を渡ってきた北九州人」。外国人が語る、自分の人生と北九州といったアンバイなんだけど、面白いし、とてもよい。

前半の「武蔵とベリーダンスと談話室」を高野秀行さんが書いている。さすが、達者な文章。

「武蔵」は、30年ほど前に日本にやってきた、フランス人のコモンさん。すごい傑作な人だ。日本が好きになり、2年の任期が終わっても日本にいたい。で、なんとか滞在し続けるために知恵をしぼり、フランスの公務員制度を利用して、自ら「北九州日仏学院」をつくって、その校長におさまってしまう。なんというしたたかさ。

高野さんは、「勝つためはあらゆる手段を講じる――まるっきり武蔵のようだ。破天荒が結果として合理性となっている不思議さ」と書くのだが、コモンさんは、合気道40年、剣道30年の武道家でもある。そして、その剣道は、小倉藩に滞在し佐々木小次郎と巌流島の決闘をした宮本武蔵の「二刀流」なのだ。

じつに厳しい顔で演武をするコモンさんの写真が載っている。「その佇まいはまさに日本の古武士」だ。演武のあと色紙を差し出して、自分の好きな言葉を書くようお願いすると「フランス語でさらさらと書き、にこにこ顔で説明した。/「笑って歌って飲みなさい。人生は一度きり」/この落差にひっくりかえりそうになった」。おれは、読んでいて、ここで爆笑しました。

続く「ロシア人ベリーダンサーの謎」も、すごいアグレッシブで傑作な方。さらに続く、北九州大好き中国人の西原京秋さん(19年前に中国で北九州市在住の夫と出会い国際結婚後来日)は、あまりに北九州をベタほめするもので、高野さんは「何か北九州の問題点も言ってほしい。いいことばかりだと、なんだか嘘くさい広報誌みたいになってしまう」という。すると「西原さんはこの日初めて難しそうな顔になり、しばし考えたあと、言った。/「談話室がなくなったことかな」」

「談話室」というのは、小倉北区の国際インフォメーションセンターを活用して行われていた「外国語談話室」のこと。インフォメーションセンターの廃止にともない、談話室も終了となった。西原さんは、「すごく楽しかったんです。あれだけが残念」と。

高野さんは文章の結びに、こう書く。「ぜひ談話室を復活させてほしい。そうすれば、西原さん的には北九州市は「完璧」な町になるのだから。」

いやあ、登場する人も文章も痛快。高野さんは、自ら海を渡り外国を旅して描く著作が多いが、やはり「海を渡る人」を書くのがうまいのだな。

後半は、編集委員のつるやももこさんが文を担当、「聞き書き わが街の暮らし」。

「ふたつの故郷(ふるさと)。」は、在日二世の金桂満さん。「強さは優しさ。」は、モンゴルの伝統楽器モリンホールを抱えてやってきた、トライ・マイラスさん、「微生物と波乗りと。」は、カリブ海のパルバドスからやってきて、北九州市立大学大学院で学ぶ、イアン・マクドナルド・ジャービスさん。「笑顔があるから。」は、インドネシアからの留学時代に知り合って結婚、娘さん2人と北九州市で8年暮らすご夫妻家族。多彩だ。

そして、最後は「家庭の味。」のタイトルで、この店は、おれも行ったことがある、旦過市場通りの裏路地にある「台湾料理 大好きヤ 新旦過店」をきりもりする翁麗娟さん。

やはり、多様な人たちが生き生きと暮らし、多様な文化が息づく町は、バイタリティーも可能性もありますなあ。海を渡ってきた人たちのように、大らかに愉快痛快に生きたいものだと思うのだった。

今こそ気取った閉塞をぶちやぶるデロリと快活なバイタリティーですなあ。

ところで、『雲のうえ』の最後のページには次号の特集の告知があって、「うどん」。おれは、その執筆陣の一人で、今月末に取材で北九州市へ行く。おれが食堂特集の文を担当したのは、2007年の5号のことだった。そのときも、うどん店を、何軒かまわり、最終的に2軒を取材して載せている。北九州市は、うどんが生活に根付き、愛されている町なんですなあ。町町に、いいうどん屋さんが、たくさんある。楽しみ。

それより、無事に取材と原稿を終えられるか。「海を渡ってきた北九州人」のように快活にやろう。

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