「αシノドス」に「普通にウマい!はどうして大切か――大衆食堂からみえる食の形」
昨日発行の、荻上チキさん責任編集「知の最前線を切り開く電子マガジン」を謳う「αシノドス」vol.158に、不詳ワタクシも登場しています。
シノドスのサイトでは、シノドスについて、こう説明している。
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数多の困難に次々と直面している現代社会。しかし、それを語り解決するための言葉は圧倒的に不足しています。
わたしたちシノドスは、こうした言説の供給不足を解消し、言論のかたちを新たなものへと更新することを使命としています。「αシノドス」はそんなシノドスが提供する電子マガジンです。
◆「シノドス」と「αシノドス」は何がちがうの?
日刊メディアである「シノドス」では時事問題に応答すべく、「いま」必要な知識を供給することを目的としています。対する「αシノドス」では、「これから」注目されるであろうテーマを設定し、人文・社会科学から自然科学、そしてカルチャーまで、様々な分野から徹底的に掘り下げます。
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で、今回の「αシノドス」vol.158の特集は「いいモノ食いたい!?」のタイトルで「食」がテーマ。
「「αシノドス」では、「これから」注目されるであろうテーマを設定」ということで「食」であるのだけど、その掘り下げ方も、「これから」的、このような構成になっている。岸政彦さんはレギュラーの連載。
・遠藤哲夫「普通にウマい!はどうして大切か――大衆食堂からみえる食の形」
・橋本周子「美食批評はいかにしてはじまったか――食卓に込められた思想」
・水野壮、三橋亮太(食用昆虫科学研究会)「食材としての昆虫とそのリスク――野外で採集し調理する『プチジビエ』を楽しむには」
・岸政彦「もうひとつの沖縄戦後史(9)――売春街と『都市の生態系』」
橋本周子さんのプロフィールは、滋賀県立大学人間文化学部・助教。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了、博士(人間・環境学)。著書に『美食家の誕生――グリモと食のフランス革命』(名古屋大学出版会2014年、第31回渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトン・ジャパン特別賞受賞)。
「美食批評はいかにしてはじまったか――食卓に込められた思想」は、「食い道楽を表す「グルマン」は、時代の流れとともに、悪徳から美徳へなっていく――フランスの美食批評の源流をたどりながら、『美食家年鑑』著者のグリモの思想に迫る。」というもの。
グリモは、スティーブン・メネルの『食卓の歴史』(北代美和子訳、中央公論社1989年)の「創設者たち、グリモとブリヤ=サヴァラン」の項に、このように登場する。
「ガストロノミーのエッセイというジャンルは、実質的に、ただ二人の著述家だけによってたてられた。アレクサンドル=バルタザール=ローラン・グリモ・ド・ラ・レニエール〔1758~1838〕とジャン=アンテルム・ブリヤ=サヴァラン〔1755~1826〕である。彼ら以降に書かれたこの種の著作は、ほとんどすべてが、何らかのやり方で、この二人を引用するか、彼らに立ち返るかしている。」
ここでメネルは、フランスとイギリスにおけるその系譜をたどりながら、ガストロノミーやガストロノームについてまとめている。
だけど、橋本周子さんのように、日本人でグリモについて書く方は、めずらしいと思う。たいがいは、サヴァランのアフォリズムを、物知りげに得意そうに吹聴するていどが多い。
橋本さんは、「グルマン」から「ガストロノミー」への変化を、当時のフランス革命前後の社会から掘り下げている。そして、グリモの「美食の帝国」とは、「再定義された「グルマン」」であると。
日本の近年の「グルメ」現象と「これから」は、どういう流れにあるのかも考えさせられる、斬新で刺激的な内容だ。
「食材としての昆虫とそのリスク――野外で採集し調理する『プチジビエ』を楽しむには」は、読む前はゲテモノ趣味の話し?と思ったりしたが、とんでもない。
「昆虫混入から考える日本の安全管理システム」といったことから、「プチジビエ」である昆虫食、食べてよいもの悪いもの、その衛生管理やらアレルギーリスク、将来の食品などにまで、アカデミックに迫り、「昆虫食が、日本の四季折々の恵みの中で得られる豊かな食文化のかたちの一つになっていくことを、筆者は願ってやまない。」と啓蒙するのだ。
昆虫食ということから、あらためて、食と自然と人との関わりを考えさせられる。
ここに出てくるイナゴや蜂の子やセミは食べたことがあるが、自分で捕まえて料理したことはない。そういえば、韓国にはカイコの缶詰があったな。食に限らず「文化」というのは、自分の暮らす「文化」に閉ざされ、排他的になりがちだ、とも気づく。多文化や異文化との接し方としても読めて、おもしろい。
さてそれで、おれの「普通にウマい!はどうして大切か――大衆食堂からみえる食の形」は、リードに「「正しい食事」ってなに? グルメってなんだろう? 食育って必要? 食事を生活から眺めた時、見えてくるものがある。「大衆食堂の詩人」遠藤哲夫氏に大衆メシ、大衆食堂の魅力を伺った。(聞き手・構成/山本菜々子)」とある。
つまり、編集の山本菜々子さんがインタビューをまとめてくださったものだ。長いぞ、30枚以上はあるのではないかな。
インタビューは、『大衆めし 激動の戦後史*:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』を下敷きにしたものだった。
この本は、「まえがき」「あとがき」にもあるように「生活料理入門」として書かれた。インタビューの内容も、「生活料理=大衆めし」の視点から、いま、これからの食事や料理を眺めたものだが、若い女性の山本さんの実感のこもったインタビューとまとめだったこともあって、パンチのきいた内容になっている。
『大衆めし 激動の戦後史』は、今月で発売から1年たったけど、このように「これから」のことであり、「生活料理」の思想は、ますます大切になるだろうね。
そうそう、インタビューは、池袋の西口からも北口からも近い最も猥雑な一角であり、終わってから、近くの「豊田屋」の前で撮影があった。山本さんは、「はじめに」で、このように書いている
「池袋の繁華街の大衆酒場がある場所で写真撮影をしたのですが、少しエロイ感じのお店がちらほらある近くでしたので、妙齢の男性に、若い地味な女がカメラを向けている図はなかなかのインパクトがあるのではとそわそわして、全然集中できませんでした。結果、「ホッピーの桃太郎」のような写真になってしまい、申し訳なく思いました。」
いやいや、ホッピーの幟旗と、どんどん様変わりしているあのへんで最もボロい感じで残っている豊田屋と一緒に写って、おれにはピッタリだった。
ありがとう、山本さん。
昨日のシノドスのツイッターでは、このように紹介されていた。
自分の収入の予算内でやりくりして、冷蔵庫の中にあるものを使って、名前のない普通に美味しい料理をつくる。そういう日常性はもっと評価されていい!大衆食堂の詩人・遠藤哲夫「普通にウマい!はどうして大切か――大衆食堂からみえる食の形」
https://twitter.com/synodos/status/522307480726949888
ご購読は、こちらから。
http://synodos.jp/a-synodos
なお、シンドスに初めて登場したのは去年のことで、去年2月3日の「わめぞトーク」、五十嵐泰正さんとの対談「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」を、やはり山本さんがまとめてくださった。その反応も含め、当ブログ関連は、こちら。
2013/04/22
『いいモノ』食ってりゃ幸せか?が、朝日新聞のWEBRONZAに転載になり。
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