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2014/10/23

泥酔野暮トーク「川の社会学」。

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小岩の野暮酒場亭主がツイッターで、「18日(土)、「エンテツの泥酔野暮トーク」開催。テーマは「川の社会学」。気鋭のスペイン語翻訳家・有馬洋平氏と、「東京」「下町」を東京の「西側目線」ではなく「東側目線」でとらえ直す意欲的試み!テキストは山本周五郎『青べか物語』。17時開店、18時スタート、投げ銭制。」と告知したトーク、予定通り18日にあった。

テキストは山本周五郎『青べか物語』とあっても、読書会ではない。このトークのアイデアは、6月ごろだったかな?野暮酒場のカウンターで有馬さんとおれが飲みながら、山本周五郎の『青べか物語』の話しをしていたときに、東京の東側土着民の有馬さんから「川の社会学」という言葉が飛び出したところから始まった。

おれと有馬さんが話していたのは、『青べか物語』の文学的評価に関することではなく、ブログ2014/06/28「山本周五郎『青べか物語』を読んでいる。」 に書いた、「このあいだある会社の内部資料を見ていたら、普通の庶民のことを書いて民俗的な資料価値も高いと、『青べか物語』があげられていた。それに、「普通の生活を対象に書くことの難しさは、普通の生活に奥行きを見る難しさでもある」とか、それを書き遺すことの大切さにもふれていた」ということに関することだった。

それはまた、有馬さんもおれも読んでいた、小倉美惠子著『オオカミの護符』(新潮社)も関係することだった。ようするに、東京の川や水のネットワークがつくってきた社会や民俗、ということになるだろう。

その場で「川の社会学」をテーマにトークをやろうということになったが、打ち合わせをするヒマがなく、ぶっつけ本番になった。プレというか公開打ち合わせのようなトークというか、その割には話がはずみ、「これから」につながる充実したものになった。

かつて東京と浦安を結んでいた通船は、江東区の高橋から出ていて、高橋は水上交通の要衝であったことなど、江戸と東京の成り立ちと川や水運の関係、川の上流と下流のつながりなどを話しながら、話はアチコチに転がった。

低地であり川が多く水運が発達したがゆえに、東京の東側が負わなくてはならなかったコンプレックスやルサンチマンやネガティブなことを、おもしろおかしく俎上にのせながら話は進んだ。

東京の東側と西側の断絶は、東京と地方との断絶と重なることを、有馬さんはスラスラ数字をあげて、東京の西側と東側の格差が東京と地方の格差に重なることを語った。

とくに近代の山の手文化の形成による、長い間の東側と西側の断絶、経済的格差や文化的な乖離は、たぶん西側のアタマには認識されてないことだろうが、想像以上に大きい。

東側は、東京である西側によって、「下町」や「人情」や「江戸情緒」の消費の対象にされ、コンプレックスやルサンンチマンやネガティブは否定される不条理、これは、地方が東京に「食糧供給基地」を押し付けられながら安く買いたたかれ、「自然」や「素朴」や「歴史時代物」などの対象として消費され、不満を言うと「地方のヒガミ」とたしなめられ否定され、地方はひたすら東京の顔色をうかがわなくてはならないのにも似ている。

つねに、高いところの「西側目線」は、だいぶ前に、「「東京」の侵略」をテーマに書き続けていた、月刊『アクロス』の三浦展さんが指摘したことだが、東側に住んでいても、西側の台地と同じぐらいの高さのマンションに住む人の意識は西側であると、チョイと杓子定規の感じもあるが、それぐらい、東京の「高」「低」が意識や文化や思想に影響を及ぼしているのは確かだろう。

001002有馬さんが、もともと武蔵だった足立は東京にならずに埼玉県だったほうが、そして、もともと下総だった葛飾は東京にならずに千葉県だったほうが幸せだったかも知れないと言い、そして、つぎから、このトークは、「いいトコに住んでいれば幸せか」ってことでやろうと言ったときは、おみごと!だった。

「いいトコに住んでいれば幸せか」は、五十嵐泰正さんとおれの「わめぞトーク」のタイトル「いいモノ食ってりゃ幸せか」の変化系といえるが、通じるところがある。

ま、トークはあちこちに転がったのだが、東京の西側がノーテンキのバカということを言いたいわけではなく、東も西もひっくるめた、「東京の幸せってなに?」ってことを考えなくてはならないし、考えるとなったら、ほとんど無視されてきた東側の「川の社会や文化や民俗」も東京の歴史として、キッチリ向かい合い東京が抱えることだ、ってあたりが結論になるかな。結論なんかない話だけど。

テナことで、ほんとうは、有馬さんは、『青べか物語』の舞台である浦安まで行って、いい資料を入手してきたのに、『青べか物語』や浦安の話にはならずに終わってしまった。

まったく思ってもみなかった、数年間は会ってない知り合いがバンドの「子分」を引き連れてきたり、「路地と人」で出会った人たちが来て、10数名も参加の予想外の盛況。それから、参加できなかったけど前日にわざわざ、浦安名物の「べかチョコ」を届けてくださったO崎さん。みなさん、ありがとうございました。

今後は、浦安を散歩したり、葛飾の水辺や元水辺を散歩したりするプログラムをやりながら、トークをデレデレと続け、いずれ東京の西側で、このトークをかましたいと思っている。これは、おもしろくなります。

写真は、地図をのぞきこみながら足立と葛飾の区境のぐにゃぐにゃ加減の由来と現状を話す有馬さんと参加者、それに「べかチョコ」。

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