今月もよく飲んだ。
しかも、砧公園で外飲みをやったり、スソアキコさんの帽子展へ2回行ったこともあって、毎週のように渋谷で飲んだ。
渋谷は、桜ケ丘やJRの246ガードあたりや渋谷川沿いで飲むことが多かった。このあたりは、1980年前後に足しげく通ったのだが、以前からのおれが若かったころの渋谷、猥雑な渋谷がそのまま残っている。
山手線下のやまがたも健在だ。ヒカリエな渋谷からは想像つかないだろう、やまがたは大学生や若いサラリーマンで大変混雑している。若いカップルも多い。大箱の古い大衆酒場というと大宮のいづみやのようなものだが、こちらは客の平均年齢は30歳代、遅い時間で学生が増えると、20歳代になるだろう。若者はオシャレなところやワタミのようなチェーン店へ行くと決まっているわけじゃないのだ。
それに若者の「酒離れ」がいわれるが、飲む人は飲んでいる。ようするに、そうみんなが飲むことはないし、みんなが同じことする時代じゃない、いちいち「酒離れ」と騒ぐことはないのだな。「本離れ」「出版不況」も、そういうことを問題にしているアタマを考え直したほうがよい。
しかし、このあたりも再開発の波が押し寄せていて、すでに富士屋がある桜ケ丘の一角は再開発が動き始めているし、ニュー信州は、やまがたの裏手の渋谷川沿いの一角だが、ニュー信州の前の道の反対側の渋谷川沿い一帯は、広く工事壁でおおわれていた。やまがた、JRがどこでもやっているように、追い出し攻勢があるにちがいないだろうが、なんとか続いてほしい。
祖父たちは新宿の猫と並んで、おれが70年代から行っているバーだが、両者とも、まったく変わらない。レコードの上に針を落とす時の音や、数少ないつまみのメニューも、そのままだ。棚にズラリ並んだ、LPのジャケットのビニールカバーは変色し、アルコールとミュージックとヘビースモカーたちが吐き出す煙草の煙を、たっぷり浴びるのだ。
この日は、入ったばかりは早い時間だったので、ガラ空きだったが、いつのまにかカウンターは満席、煙が立ち上っていた。
砧公園での外飲みではずみがついて、昨日は、千鳥が淵で外飲みをやった。FBでK良さんと、外飲みやろう!といっているうちに実現したのだ。酒の時は、素早い決定力と行動力。
来年は、『大衆食堂の研究』が世に出て20年になるが、1995年7月に書店に並んだあと、『週刊プレイボーイ』の編集にいたK良さんから初めて電話をもらったのは、9月下旬だったか。そして、「男なら「大衆食堂」でメシを食え!」の記事が生まれた。おれはまだライターになるつもりはなかった。
K良さんは、その後、大衆食の会にも参加してくれたり、一緒に飲んだり小旅をしたりしたが、ここ数年はご無沙汰だったから、ひさしぶりの飲みだった。あいかわらず、酒と煙草と、以前は「趣味」ていどだったDJは近ごろはプロ並みという日々、元気だった。
昨日は、まさに外飲み日和だった。13時集合。野暮連男5人女3人に、野暮連先輩になるが新人のK良さん、それにちょうど朝方メールのあったS尾さんも加わり、総勢10名は、花見ではにぎわうが、いまは静かな千鳥が淵をわがものに、大いに飲んで楽しんだ。
二次会は水道橋の加賀屋。おれは酔ったのでそこで引き揚げたが、さらに神保町の加賀屋へ行った連中もいたらしい。
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