
B5版の週刊誌サイズ、599ページ、厚さ4センチ!
「かつてない知の百科全書」と「談」編集長の佐藤真さんはいうが、ハッタリじゃない。
『談』は、公益財団法人たばこ総合研究センター[TASC]が、年3回、発行している雑誌だ。
「1973年の創刊以降、「変化する時代の社会の大きな流れを読み解き、次の時代に生きる価値観を模索する」ため、人間の嗜好、人間の欲求、人間の価値観の変化について100号にわたり語り合ってきた。誰もが経験したことのない大転換期に直面している現在だからこそ、あらためて読み返したい40本の対談・鼎談・インタビューをここに収録した。」…腰巻から。
佐藤さんは、「『談』でお話を伺った学者、科学者はのべ400人、そのなかから40本を厳選」という。
「転形期」といわれるイマがいつから始まったかは、いろいろな考えがあるし、分野によっても異なるし、「転形期」なんぞ意識せず以前のままの考えの人もいる。しかし、変化は、70年前後からあらわれ、「脱○○」が流行語にまでなり、73年のオイルショックを契機に、さらに顕著になった。
おれが30歳になる年、1973年4月号からスタートした本誌は、たしか[TASC]のPR誌として企画されたと記憶している。
おれは、このタイトルが決まる企画会議を、横で見ていた。『大衆めし 激動の戦後史』にも書いたが、おれは71年に、都内の企画会社に転職した、その会社が、本誌の企画に関わっていたからだ。
その企画会社は、ハウスオーガンとよばれる企業出版物の編集制作を請け負う部門と、広告制作を請け負う部門の、二本立てで営業していた。つまり、編集者集団とデザイナーやコピーライターなどの広告制作集団がいた。この二者は、壁で仕切られたスペースで、仲があまりよろしくなかった。どちらかというと編集者は、ビジネスについて理解がなく、金儲けのために広告活動をする連中を軽蔑しているフシがあった。
おれは、「企画開発」という、総合的なマーケティングをやる新しい部門のために採用されて、どちらかといえば広告制作集団寄りの仕事だったが、新規の企画であればどちらの仕事にも関係する立場だった。
編集制作部には、出版界でヒットを飛ばしたことがあり、自民党の政治家とも深い関係のある、自負心の強い取締役編集長Fさんがいて、広告制作部なんぞは潰したいぐらいの気持ちだったし、新参者のおれがその企画会議で口をはさむ余地などなかった。ってわけで、横から見ていた。
その企画会議では、「変化」を、どうとらえていくか、なにが求められているか、ということだったと思う。
佐藤編集長は、あとがきで、「『談』が、何より読者に新鮮に映ったのは、ジャンルにとらわれない人選とジャンルを超えることの快感にあったのではないかと思っています。当時、盛んに学際的アプローチが賞賛されました。それだけ学問のタコツボ化が進んでいたということでしょう。そうした現実に対して、活字メディアという限界はあるにせよ、学問領域の壁を超えて意見を戦わせることができる場があるということに、読者は素直に反応したのだろうと思います」「『談』の特徴を一言で言えば、このジャンルにとらわれない、ノンジャンル性にあります」と述べている。
ここで彼がいう「当時」は、「『談』の編集に本格的にかかわるようになった32号(1984年)は、グレゴリー・ベイトソンの「ダブルバインド」をめぐるわずか48ページの小冊子でした」の頃で、それが書店売りでバカ売れしたのだ。
創刊企画のころは、「学際」ということがいわれ始めたばかりだった。本誌は、その底流にある変化をとらえ、ジャンルを超える「談」の場として、構想された。本誌が掲げるスローガンでありコンセプト、「Speak,Talk,and Think」は、そうして生まれた。
「談」というタイトルが決まったときは、Fさん始め、関係者はよろこんで興奮していた。それだけ期待が大きかったといえる。
初代の実質的な編集長はFさんだったが、二代目の実質的な編集長になる栗山浩さんが編集に参画し始めたころ、おれの「会社クーデター」があり、おれが経営の実権を握り、Fさんは取締役クビ、栗山さんが実質的な編集長になった。そして、佐藤真さんが入社した。
このあいだ佐藤さんたちとの飲み会で佐藤さんにいわれたのだが、佐藤さんを面接して、その場で採用を決めたのはおれだったそうだ。その日は、おれの誕生日だったそうで、面接が終わると「飲みに行こう」といわれ一緒に飲んだとか。あの「会社クーデター」がなかったら、おれが佐藤さんを面接することもなかっただろう。
しばらくして、実質編集長の栗山さんのアシストとして佐藤さんが加わるようになり、やがて佐藤さんや栗山さんがアルシーヴ社を設立、『談』を続けた。栗山さんは49歳の若さで逝き、佐藤さんが『談』の編集に本格的にかかわるようになったのは、その頃だったのではないかと思う。
佐藤さんは、三代目の編集長として、その本領を発揮したようだし、『談』は、企画から実務の面にまでわたって、得難い編集長に恵まれた、と、本書をパラパラ見ながらシミジミ思う。
Fさんは、すでにこの世の人ではない。『談』が雑誌コードをとっての一般書店流通に踏み切ったのは、いつのことだったか思い出せない。佐藤編集長になってからだったか?
『談』のコンセプトは、しだいに歓迎され流れになりつつあるとはいえ、一部のことで、ジャンルにとらわれた閉塞から脱するには、まだまだのようだ。一面では、チマチマした自分の自己実現にこだわり、ますます小さなタコツボに入っていく動きもある。ちょっとした食い違いや批判に神経をとがらす、「横断的」ということが難しい日本の文化や社会がある。
そうした遅れが、弊害になりつつあるともいえるし、ますますジャンルをこえて、聞き、語り、考える、「Speak,Talk,and Think」は必要になるだろう。
「第1章 人間・主体性」「第2章 他者・共存」「第3章 科学的理性」「第4章 情報」「第5章 人生」「第6章 身体」「第7章 知覚・脳」「第8章 生命」と、刺激的な内容が揃っている。
それにしても、2200円は、安い。ジャンルにかかわらず、志のあるひとは、手元においておくと、大いに役立つにちがいない。
デザインは、戸田ツトムさんが長い。戸田さんと組んで、吉田純二さんもいたね、元気でしょうか。
