いま、森を見よ。「三隈川かっぱめし」の巻。
最初の写真は、「日田きこりめし」や「三隈川かっぱめし」がある寶屋のレジまわり。
前のエントリー、寶屋さんで「日田きこりめし」を食べたのは11月1日の昼のことで、「三隈川かっぱめし」は夜の「かっぱめし完成祝賀会」のときに食べることになっていた。
ところが、その前に、16時から、ヤブクグリの懇親ボーリング大会があるというのだ、ちょっと体力的に自信がないなあと思ったが、初めての土地、初めての人たち、懇親することに意義ある、参加することにした。
それにしても、日田にはボーリング場も、その同じ建物に映画館もあるのだ。映画館やボーリング場があるなんて、いまや、よほどの文化的な町といえるだろう。14時から牧野さんたちはヤブクグリの役員会があったので、おれは1人で日田の町を散歩してから、ボーリング場へ行った。何十年ぶりかのボーリング、一挙に3ゲームにはまいった。しかし、20名ほどの参加者は初対面の方が多かったが、たちまちよい懇親になった。
日田の町のことは後日書くことにして、はやく「かっぱめし」を食べることにする。
ボーリングのあと、「かっぱめし完成祝賀会」の会場は寶屋4階だった。19時過ぎに着いた。そこは、正面に舞台まである大きな宴会場だ。そして舞台には、なんと、「かっぱめし完成祝賀会」ではなく、「遠藤哲夫さん、ようこそ大分県日田市へ!」とあるではないか。「日田きこりめし」と「三隈川かっぱめし」を食べて感想を述べるプログラムは聞いていたが、このように迎えられるとは。恐縮しながら、もう流れにまかせるしかないとカクゴする。
40名ほどいるみなさんに紹介され、カンパーイ。早速、「三隈川かっぱめし」を食べることになった。「きこりめし」は丸型だったが、こちらは縦長だ。なんだか楽しそうな牧野さんの絵が一杯の包装紙には、「丸太の筏の巻き寿司」とある。開くと、「きこりめし」のときのように、ふわ~んと杉の香りがたった。この匂いにはかなわないね、食欲が刺激される。
容器は、杉をスライスしたものを、紙のように折り曲げて作られていた。なかなか手の込んだ技術と仕事だ。(これは食べたあと、折り曲げたところをほぐすと、平たい一枚になるから持って帰れるはずだったが、酔っぱらって忘れてしまった。もったいないことをした)
輪ゴムをはずし、ふたを開けると、三本の海苔巻きが、そのまま切らずに入っていた。玉子焼きと鶏と漬物が付いて、にぎりめし弁当の「変形」といえるが、これが「丸太の筏の巻き寿司」というわけだ。それに「かっぱめし」という名前がついているには、楽しい物語がある。
包装紙の表には、三隈川の案内絵図を囲んで、「日田昔話より おいらとヤブじい」の絵物語がある。「おいら」というのは、河童のことだ。それを見ながら、海苔巻きをかじるのだ。これが楽しい。筏見たての海苔巻きは、もちろんカッパ巻だが、3本それぞれ味がちがう。
河童伝説のあるところ、川や水と切り離せない生活があった。日田も、そうだ。三隈川は、かつて筏が行きかったところで、川岸には製材所も多い。それに、昼間散歩したときに見たが、大きな屋形船が何艘も係留され、川には鴨がたくさんいた。鮎が棲み、鵜飼も行われるという。そんな土地の物語もオカズにしながら食べる弁当は、ここならではの楽しさがあった。
しかも、この海苔巻きの海苔は、三隈川が筑後川となって注ぐ有明海の海苔だという。その話を、ヤブクグリでかっぱめしの開発を担当したかたがするのを聞いて、素晴らしいと思った。
おれは「川の社会学」を思い出した。川がつなぐネットワーク。もともと林業など山の生活は、河口や海辺の町と密接な関係にあった。林業の「再生」は、川がつなぐネットワークの「再生」でもあるのだろう。
何重にもうまい「三隈川かっぱめし」だった。
実際、寶屋さんの手による「日田きこりめし」や「三隈川かっぱめし」は、味がしっかりしている割には、やさしいさっぱりした味で、とてもうまかった。町に、こういう食堂があるのは、心強い。
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2014/10/23
泥酔野暮トーク「川の社会学」。
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