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2014/12/29

レンガ積みとトークで年暮れる。

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26日で、たいがいの仕事は片付いた。

27日の土曜日は、気になっていた、やどやゲストハウスの新館ビルの改装工事の手伝いに行った。

004この中古ビルの賃貸契約を結んだのは、2014/06/14「次のステップ、中野でウロウロ。」のころで、改装して、遅くとも11月開業の予定だった。しかし、業者に頼まなくてはならない、最初の内装の解体と外装の塗りの段階で、「建設バブル」の煽りを受け、なかなか予定通りに工事が進まなかった。おまけに、手間賃や材料費も、2倍から3倍に。

ま、それでも、そのあとのDIY自力工事は、たくさんの人たちの協力で、残すは1階間仕切りのレンガ積みと、内装のペンキ塗りだけという状態になった。

工事中は女将兼現場監督であるまりりんは、「レンガ積みの夢を毎晩のように見ていた」そうだが、この日は、おれという強力な助っ人?を得て(おれとまりりんのほかにも、2人の大学生ボランティアがいた)、レンガ積みは完了、まりりんは「レンガ積み地獄」から解放された。

あとは、年が明けたら、仕上げのペンキ塗り、そして諸々うまく手続きが運んだら、1月中には営業開始という見通しが立つところまで来た。

レンガのところどころには、ゲストが記念に残したサインもある。

002今回は、いつも力をお貸しいただいている東京芸大のS井さんに加え、お弟子さんの院生の方が、ベッドなどの設計やデザインから製作まで手伝ってくださり、これまでの野暮ったいやどやとはチョイと違うフェミニンな感じの室内が出現している。

4階建て、1階は客室に使用することができず、2階から4階は、すべてドミトリー。

レンガ積みが終わってから、まりりんと、近ごろ若い人がやる新しい飲食店ができて、にぎやかになった昭和新道で一杯、のち、昔からある、おれと同じ齢のじいさんばあさん夫妻がやっている居酒屋へ行った。ほかの店は、どこもにぎやかだったが、ここだけは、ひっそり。まわりは、どんどん新しくなっていくのに、ここだけは古い建物で薄暗い。

カウンターで2人で飲んでいると、外国人の若いカップルが入ってきて、英語のメニューはあるかと聞く、そこからはまりりんの出番で、英語のメニューはないけど手伝うよってことで、このカップルの感じがいいこともあり、いつのまにか、燗酒を差しつ差されつに。

カップルはフィリピン人で燗酒をぐいぐい飲む。日本酒が好きだという。2人とも、日本は2回目だけど、前はそれぞれ違う人ときた、とか、笑いながら、あれやこれや。今朝着いて泊っている新宿のホテルから、わざわざ中野まで食事をしに来たのだそうで、なぜ中野?の理由が、これまたおもしろかったり。月収まで聞いたり。おれたちの知らない日本のことを知るのであった。

そういうわけで、差しつ差されつがけっこうな量になり、店を出て彼らと握手して別れるときは、もうかなり酔っていた。

やどやのほうは、新館が一段落したら、前から懸案の食堂の営業をやりたい、できたら来年中に開店したいなあ、なんて話をしている。マンションの一室から始まったやどやが、10年すぎて、20代だったまりりんも30代になり、いや、まだ30代だから、いろいろやれる。この10年には、大地震と、どちらかといえばこのマイナス影響のほうが大きかった東電原発事故で、めったにない経営危機に遭ったが、のりこえて力強く成長した。

翌28日は、酒が残っているうえ、ガッチリ筋肉痛で身体はだるく、ああしんど。でも、19時から、経堂のさばのゆで、恩田えりさんと今年最後のトーク。

やっとさばのゆにたどりついてという感じだったが、飲むうちに回復、舌のすべりもよくなり、「包丁とまな板と文化とオレ」ってことで、江原恵のことも含め、トークがはずんだ。なにかとおもしろい話があったが、そのうち書くとしよう。

えりさんは、あの読むだけでも大変なリクツの多い江原さんの本を読んでメモまでしてきて、いろいろ話すので、あらためていろいろ考えることがあった。

トークのあとは、飲み懇親。恩田えりさんとのトークは、去年の12月以来だったが、また来年の12月も恒例ってことで、早くも1年後の話が。

しかし、めったにやらない肉体労働をやったせいか、まだ今日も、なんとなくかったるい。

当ブログ関連
2013/12/08
恩田えり×エンテツのトーク、大入り満員御礼、「和食」を語り、のち朝まで飲み。

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