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2015/01/03

今年は72歳、『大衆食堂の研究』から20年。

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あけましておめでとうございます。

今年は、とくに気合いが入っているわけじゃないけど、早いブログ始め。よろしくお願い申す。

昨年末の30日から、例年のように、秩父の義父母の家へ行き、昨日2日に帰ってきた。

今年の正月は厳しい寒さの毎日で、すでに降った雪が日陰などに残っていたが、1日の朝も目が覚めたら、うっすら積もっていた。いつものように、毎日鍋を作っては食べ、酒を飲みゴロゴロして過ごした。

町や農協などの広報誌を見ると、昨年2月の大雪のあとは、かなり雪害が残り大変だったようだ。救急車が入れず、ヘリコプターの発着場所やヘリコプターまでの輸送が地域の人たちの力で用意できなかった土地では、結果的に手遅れで亡くなった方もいたらしい。農業は最近やっと復旧に近い状態。残っていた東電原発事故の影響からも脱しつつあるらしい。

マスコミからはほとんど見捨てられたような地域なので、まったく話題にならないが、その土地で生きているものにとっては、大変なこと。

当家は、雪害より、夏の雹の害と、生った大根の半分が鹿に食べられた被害が大きかったとか。80半ばに近い義父は、いま使っている軽自動車の車検の期限が来たら、自動車は止めると言っていた。もう運転は危ないので、そのほうがよいが、かなり不便な生活になるだろう。

おれがここで暮らすようになったとき、いちばん困るのはWeb環境だったが、最近WiFiが利用できる環境が整ったので、カネの問題を除けば見通しはたった。奥地は、ケーブルより無線か。

昨年末、今年発行予定の、四月と十月文庫『理解フノー』の編集を担当していただいている成合さんから、すでに『四月と十月』に連載の原稿は約30ページぐらいにしかならないと連絡があった。薄い120ページでまとめるにしても、あと90ページ分ぐらいは書きおろしになる計算。枚数にして400字150枚ぐらいか。怠けないで、ボチボチ書いていかなくてはならない。

還暦のときから、自分の干支など意識したことがなかったが、今年は未だそうで、おれは年男の72歳なのだ。

出版デビューの『大衆食堂の研究』1995年から20年。

72歳も20年も、とくに感慨はないが。

明日の取材から、仕事が始まる。仕事から連続して新年会。

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