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2015/01/28

「ハレ」と「ケ」の味覚。

食文化系の文章によく出てくる語彙に、「ハレ」と「ケ」がある。柳田國男の発見らしいのだが、いまでは、非日常=ハレ、日常=ケ、というふうに使われることがある。

おれは、この語彙を、そのように使用することは、ほとんどない。

もちろん、ハレは非日常にちがいないのだが、それには、ワケがある。

とくに飲食については、「ハレ」といえば、単なる「非日常」ではなく、行事など歳時記に従った生活におけるハレであり、「儀礼や祝祭、年中行事など非日常の時空間、節目折目」における飲食のことだ。

柳田國男の時代には、それが明快に存在した。

いまでは、「儀礼や祝祭、年中行事」など関係ない非日常が、日常のなかに、いくらでも存在する。日常的ではないが、「儀礼や祝祭、年中行事」とも関係のない非日常の飲食が、けっこうある。

普段は縁がない飲食だけど、なにやらテレビや雑誌などで評判だしと、山の手のオクサマなどが声をかけあって、いわゆる下町のやきとん屋などを訪ねるのは、非日常だが、「ハレ」とは違う。

それに類似することが、けっこうあるのだ。大衆食堂など縁のない日常のひとが、社会冒険や社会見学をするように、そこを訪ねるのも、「非日常」だ。ある人たちにとっては、鴬谷の信濃路を訪ねるのは、とても非日常的デキゴトである。それを非日常だから「ハレ」というのは、同時に、それとは違う日常を「ケ」というのは、おかしい。

だけど、単純に、「非日常=ハレ、日常=ケ」というぐあいに使われる場面も多い。

それは、あまり目くじらをたてるようなことではないかもしれないが、「ハレ」の飲食には、観念的な味覚が付き物だったし、それが、日本人の味覚の「上品」なモデルとなっていたことを忘れてはならないだろう。

しかも、その飲食では、季節ごとの情緒や、行事にまつわる伝承や物語性などが、味覚に関係した。江原恵が指摘した、日本人の「観念的味覚」と深く関係するところなのだ。

はあ、酔って書いているから、わからなくなってきた。おれにとっては、酒を飲むのは日常、飲まないのは非日常。この日常を「ケ」とはいわないし、この非日常を「ハレ」とはいわない。しかし、飲まない日が、なんらかのワケありの「精進潔斎」の日ならば、「ハレ」ともなるかな。そーいうこと。

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2015/01/27

オノマトペな味覚。

先日、ツイッターで「銀座三州屋。旬のカキフライの幸福感。ソースさらりと掛けて頬張ると、その食感はサクサクぶりん。カキから旨味がジュッと滲み出て口の中にたっぷり広がり、最後にふわりと磯の香が残る。美味い。」というツイートを見つけ、思わず笑った。

とにかく、面白いのだ。

これだけの文章のなかに、擬音語や擬態語など、いわゆるオノマトペといわれれる語彙が、「さらり」「サクサク」「ぷりん」「ジュッ」「ふわり」。「たっぷり」は一般語との中間ともいわれるが、この場合は擬態語に近い使い方だろう。

これらの語彙を省いてしまうと、「その食感は」通じなくなり、「ソース掛けて頬張ると、カキから旨味が滲み出て口の中に広がり、最後に磯の香が残る」というぐあいになる。

オノマトペには、ひとを気持よくさせ酔わせる力がある。そして、いわゆる、うまいもの話が好きな「グルメ」な人たちのあいだでは、オノマトペが多用されるし、よろこばれる。このツイートなども、そういうことの反映だと思う。

オノマトペを使った文章は、受け入れられやすく、広がりやすい。ということを「実験」してみたことがある。

おれは、なるべくオノマトペを使わないで書いてみようとしている。それには、ワケがあるのだが、そのわけはともかく、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は、新聞掲載日にすぐ東京新聞のサイトにアップされる。これが、たちまち2chあたりのエサになった。

彼らは、たいがい、「通りがかり」に、痰を吐くように何かしらの悪態を書き込んでいくことが多い。その意味では、彼らのテクニックは洗練されていて、なにかしら自分が気にくわないところや、くらいつきやすいところを素早く見つけ、きわめて簡潔に痰を吐く。

あまり高級店とは縁がなさそうな彼らにとっては、大衆食堂あたりはネタにしやすい。身近でケチをつけやすいものには、すぐくらいついてくる。

おれとしては、彼らに痰を吐かれるのは、いやじゃない。ある意味、彼らに貶されるのは、とても名誉なことだと思っているのだが、あるとき、彼らをのせてやろうという遊びを思いついた。

これならのってくるだろうと思われる擬音語を使ってみたのだ。すると、案の定、のってきた。その語彙が彼らによって繰り返し使われて、どんどん拡散していく。

だからといっておれの文章をほめるようなことはなく、ただ彼らは、とても気持よさそうなのだ。

べつに彼らに限ったことではない、文章を読者に売り込むには、オノマトペを上手に使うことだ。最初に読んだひとが気持よく受け入れて、ここが大事なのだが、それを同じように誰かに伝えやすい語彙を使うこと。これは、広告コピーの基本だが、飲食においては、じつにわかりやすくあらわれる。

太田和彦さんの「ツイーッ」なども、その典型だね。

読者が気持よくなるオノマトペは、売れる文章に不可欠のようだ。

だけど、味覚をオノマトペ抜きで書くのは難しいが、オノマトペを使いなれてしまうのも、アブナイことだと思っている。もっとアブナイのは、オノマトペに酔ってしまうことだろう。

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2015/01/25

遅いメモ、ライブと3回目の新年会とか、とか。

世間は、「イスラム国」の「人質」のことで騒がしい。その件は、このあいだ「サイクス・ピコ体制」を知ったばかりなので、別に書くとして、一週間以上すぎてしまったが、17日の土曜日、北浦和クークーバードで原田茶飯事さんのライブがあると知って、行って来た。

原田さんは、09年10月25日、下北沢のスロコメにおける、おれの「泥酔論」トーク9回目に、ゲスト出演してくれた。その後お互いにご無沙汰だったのだけど、北浦和クークーバードで、いろいろな偶然と必然が重なって、再会。

19時スタートだったが、用があって20時半ごろ着いたら、熱演の真っ最中。その様子が、5年前と、まるで違うので、まず驚いた。

『デトロイト・メタル・シティ』の根岸がクラウザー様に変身した感じ、というとオーバーだが。5年前は、どちらかというと、ファッションから草食系シティ・ボーイっぽく、チョイとシャイで、ぽろろんとギターを奏でながら歌うのはソフトでフェミニンで繊細って感じだったのだが、この夜は、ロックでアクティブ。

ご自分でも、「テイストの幅が広がって」と言っていたが、そもそも彼は大阪の人(この夜聞いたら、大阪でも岸和田)で、5年前は上京して間もないころだったと思うが、「大阪人」の「地」が出た感じでもあり、演奏のあいだのトークまでとても楽しかった。

2年前から原田さんを追いかけているという若い女性から聞いたところによると、2年前と比べても、かなりうまくなっていると言っていた。

精力的にライブをこなしながら、春ぐらいには、バンドの盤が出るとか。30歳前後から数年間ってのは、脱皮しながら実力がついていく時期でもあるし、たくましく成長している様子は、頼もしく、これから大いに注目していこう。短い時間だったけど、あれこれ話せて、よかった。

22日の木曜日は、王子の会の新年会。これで今年の新年会は3つ目だが、これで最後。王子の会だが、鴬谷に安くてうまい中華があるというので、そこになった。

18時集合。参加は、6名。昨年末で退社した方のあとがまの新人さんが初参加。例によってHさんは仕事が終わるのが19時ごろなので遅参。

Hさんが来るまでのあいだ、彼のウワサ話をしていたが、そろそろ異動のタイミングになっているらしい。でも、彼のあとをやれる人がいるか。今年の春の人事、どうなるか。

そして、Hさんが登場したのだが、なんだか様子が違う。彼は、うれしいことがあると、すぐ顔や態度に出るのだ。みんなで突っ込むと、正月休み中に彼女ができちゃったとかで、もうそれからは、その話となった。

いやあ、いいねえ、うらやましいねえ。おれはもうダメだからなあ。

中華だからトーゼン紹興酒だよなと思って、ボトル一本、燗でとったのに、誰も飲まず、おれが一人で空けた。

昨日、東大宮駅の本屋に寄ったら、『新潮45』の特集が「『出版文化』こそ国の根幹である」というタイトルで、「国の根幹」なんていっているようじゃダメな内容だろうなあと思いながらも買って来て、パラパラ見ているのだが、ところどころ同意できるところがあるとはいえ、やはり根本のところがダメ。

これまでも、このテの記事は、たくさんあるのだが、「本が売れない」「本屋が減っている」「アマゾンが~」とかの話は、仲間内話のようなもので、実態把握や分析もお粗末だし、そもそもこういう特集を組めば、仲間が買ってくれて売れるだろう、ていどの企画でしかない。そこに病巣があるわけだけど。

しかし、考えてみると、おれの今年の3つの新年会は、そういう出版関係とは、まったく無縁で、こういう出版関係者から声もかからない存在は、悲しむべきか、喜ぶべきか。

以前、あるライターさんが、出版社(大手3社の下ぐらいに有名なところ)から歳暮をもらったとかで、「やっとここまできた」と喜んでいたが……ムニャムニャムニャ。

今年は新年早々から、スタートラインにのりそうな面白い新企画の話があるのだが、それはともかく、以前から懸案だった「ザ大衆食」のサイトのリニューアルに、着手した。

あちこち、少しずつだが、変えて、このまま変え続けて、完成はないかもしれない。

http://homepage2.nifty.com/entetsu/

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2015/01/19

東京新聞「大衆食堂ランチ」27回目、下高井戸・さか本そば店。

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先週の第三金曜日16日は、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。

今回は、下高井戸のさか本そば店。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2015011602000201.html

そこにも書いてあるように、かつてそば屋といえば「大衆食堂的そば屋」や「そば屋的大衆食堂」が多く、いわゆる通文化に支えられた「職人仕事」を気取った店とは違う、家庭的雰囲気のものだった。

そういうそば屋が、何軒も残っているのだが、地元の方の推薦もあって、まずは、この店にした。

客席が100ほどあって、メニューも豊富だし、飲んでいる人もいたが、「飲み屋化」はしてない。清酒は真澄とビールだけというあたりに、そのことがよくあらわれているようだ。

とにかく、ほかの客が食べているものを見ても、どーんとタップリ食べて欲しいという店の気持が伝わってくる感じだった。

下高井戸には、下高井戸シネマがある。駅から歩いて2,3分圏内に、本屋と映画館と大衆食堂があるなんて、いいじゃないですか。うらやましいね。

ちょいと休みのときには、本屋をふらつき映画を見て大衆食堂でくつろぐ。おれが下高井戸に住んでいたら、そうするだろう。これは、過去の昭和の生活ではなく、これからの望ましい暮らしとして考えることだという気がした。

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2015/01/17

ペンキ塗りのち金銭管理問題。雲のうえ22号の校正が届いた。

003やどやの新館ドミトリーの工事は、いよいよ最終段階。昨年末はレンガ積みに行ったが、昨日はペンキ塗りに行った。約半年かかった工事も、ペンキ塗りが終われば完了。

おれは、1階エントラスの扉を塗る名誉を与えられた。14時半ごろ着いて、作業開始。幸い、昨日は、その前の日までや今日と違って、比較的、温かでたすかった。

オレンジ色の水性ペンキをローラーで塗るだけなので、そんなに難しいことはない、順調に進んだ。17時半ごろ終了。塗っては乾きを待って、また塗り、4回ぐらい塗ったかな。でも、ペンキの色を出すためには、あと2、3回ぐらいは塗ることになるだろう。

エントランスから2階へ上がる階段までの通路は、フィリピン人ゲストのコニーさんが塗っていた。天井も塗るから、綺麗な顔に、たれたペンキをつけていた。彼女は、今日帰国するのに、前日にペンキ塗りなんぞをしているのだ。やどやのゲストたちは、面白い。

それはそうと、昨年末も中野の飲み屋で、フィリピン人観光客のカップルと会い、おしゃべりしたが、最近はフィリピンやインドネシアからの観光客が増えている。フィリピンやインドネシアは、成長著しく、かつての日本のように「中流」な人たちが増えているようだ。アジアで日本だけが成長している時代は終わっているし、国境もしだいになくなっている。その一方で、国内の格差が激しくなっているのだな。

004_2ペンキ塗りのあとは、ボスとまりりんと南口の渋い飲み屋へ。偶然だが、昨年6月13日、それは、このビルを借りるための手付けを打ったあとぐらいで、同じ飲み屋へ3人で行ったのだった。

ビルの6月13日の状態と、昨夜の状態の写真を載せておく。

おでんとビールで軽く飲んで、19時に事務所にもどる。中野の大きな酒屋のYさんと待ち合わせ。初対面の挨拶。中野を中心に、飲食店相手の、いわゆる業務用販売も手広くしているから、酒はもちろん、中野や飲食店についても詳しい。

4人で近くにできた新しい焼肉屋へ。Yさんには、酒屋の「金銭管理」の話を聞くのだ。やどやは、新しいドミトリーが営業を始めると、これまでの金銭管理では問題があるため、新しいやり方を導入しなくてはならない。ついては、酒屋の金銭管理は独特だが、それが参考になるのでは、と。

金銭管理は経営の根幹のことで表面に出にくいが、ここに会社の経営の考え方や「企業文化」といわれることの本質が存在する。うわべだけでは、なかなかわからないものだ。

ようするに、けっきょく、システムと人間の問題なのだな。経営は、システムと人間のことにつきる。たいがいの経営書やビジネス書は、「数字」のことよりシステムや人間、それを包括する理念や企業文化に関わる話が多いのは当然で、金銭や数字は、その結果なのだ。

話は、システムの考え方、人間の関わり、いまどきの若い人材や育て方について、いろいろ多岐にわたり、なかなか有意義かつ面白かった。

経営の課題は、なくなることがない。

0時半ごろ帰宅。

今日、宅急便で『雲のうえ』22号うどん特集の校正刷りが届いた。

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2015/01/15

「生活のアート化」と「アートの生活化」と生活料理。

拙著『大衆めし 激動の戦後史』は、生活料理入門として書かれ、1章から5章までには「生活料理」という言葉が生まれた背景が述べられている。

そこでは主に、長い間、料理を観念的に支配してきた、「日本料理」というものと「食通」や「グルメ」から、料理を生活にとりもどす意図を持って「生活料理」という言葉が生まれたことが書かれている。

それは、「料理の生活化」ともいえるが、料理は、そもそも生活であるのに、わざわざ「生活料理」といわなくてはならない状況があった。

いまでもその状況に本質的な変化がないのは、一方では、「料理は芸術」ということもよく言われてきて、「料理の芸術化」を志向する人たちがいたし、いまでも、とくにプロを中心に、けっこう広い範囲にいることが関係する。

なぜか「上昇志向」は「芸術」に向かうのだ。

その背景には、芸術的であるものを優れているとしたり、優れているものを芸術的と評価したり、そして、生活臭いものを劣っている、あるいは下品とする価値観が見え隠れする。

「生活の役に立っている」ぐらいでは満足できない、優劣観や野心があるのだな。

ま、人のうえに立ちたい序列的な価値観があって、料理に限らない、「芸術」に対する憧れや、「芸術」を至高のものとする考えがはびこり、芸術は、いろいろな権威付けや権力を奉る信頼関係の育成などに貢献してきた歴史があるのは確かだ。

その場合の「芸術」とは何かを問うことについては、あまり興味はないが、近年は、「生活のアート化」と「アートの生活化」が入り乱れて進行しているようで、「生活料理」は「料理のアート化」へ向かうのか、「アートの料理化」へ向かうのか、大いに興味があるところだ。

「芸術」と「アート」は、ビミョーに違うような気がするが、いまのところ、「料理の芸術化」と「生活のアート化」と「料理のアート化」は、同一軸上にあるように見える。つまり、「生活臭い」ものに対する排除性を強く感じるのだ。

これは、2015/01/08「使いたくない言葉、「上品」と「下品」。」にも関係していると思う。「芸術的(だからよい)」なんていう言い草は、「上品(だからよい)」と同じように、内容のない、使いたくない言葉だ。

そんなこともあって、昨日告知した、非公式物産展の〈キッチンうろ覚え〉は、面白い試みだと思っている。

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2015/01/14

2月11日(水・祝)は、野暮酒場@小岩で〈キッチンうろ覚え〉。

「非公式物産展」の大村みよ子さんから、2月11日(水・祝)に、野暮酒場@小岩で非公式物産展のイベント〈キッチンうろ覚え〉を開催する連絡があった。

非公式物産展のツイッターでは、まとめると、このようなツイートが流れた。

旅行先で食べて美味しかったアレを舌の記憶と勘で再現する会〈キッチンうろ覚え〉。2月11日(祝)場所:東京・小岩/会場のキッチンを利用して、記憶と勘と時には皆の知恵を頼りに、思い出の味の再現を試みます。調理する人は現在4名(組)ほど。希望者いればあと1人くらい追加できます。旅先で食べて美味しかったもの、もう一度味わってみたいものであれば郷土料理でも郷土色ゼロなものでもOKです。経験も問いません。私もお料理センスいまいちですし、出来ないことや苦手なことはフォローし合いながら作ればいいと思います。〈キッチンうろ覚え〉に調理で参加したいという方は今月20日くらいまでに非公式物産展の大村までご連絡ください。
https://twitter.com/hi_bussanten/status/554888996308807680


詳細はあらためて告知するが、今のところメキシコ/韓国/北海道/山形の料理がエントリーしているそうだ。

旅と味覚は、密接な関係があるのに、これまでこのようなイベントは、少なくともおれの周辺ではなかったのはフシギだが、これがアート活動でもあるというのも面白い。

ま、アートを意識することはないのだが、料理を「作る」「食べる」ということを遊びながら、何か自分の頭の中に「絵」が描けるのではないかと思う。それでまた、料理を「作る」「食べる」ということについて、何か発見があればよいわけだ。「味覚」というのは、理解フノーなほど、面白い世界だからね。「アート」についても「味覚」についても、わかったふりしていちゃいけないよ。ただ探求あるのみ。

とにかく、これに来てみてちょうだい。

当ブログ関連
2014/12/15
遅くなりましたが、「非公式物産展〈非公式物産展の地球のあるき方2〉」in space dike@日本堤。

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2015/01/12

『みんなの大衆めし』中国語版。

いぜん告知したように、瀬尾幸子さんとおれの共著『みんなの大衆めし』(小学館)が、台湾で翻訳され発行になっているのだが、ネットに載った書影を初めて見た。

こちらに写真と宣伝文が。
http://linshibi.com/?p=6965

「最近出了一本日文翻譯過來的新書,日文原文是みんなの大衆めし,就是大家的大眾料理的意思,中文譯名是日本大眾食堂讓人無法忘懷的招牌料理:深夜食堂裡的美味就從這裡來!」とか書いてあるけど、さっぱりわからない。

「享用美食的定義?我想,是穿著合身舒適的衣服,邊看電視、邊吃的家常菜餚,這才是最棒的美食!」──瀨尾幸子

「別裝模作樣,用力吃飯就對了!」──遠藤哲夫

ともあるけど、「瀬尾幸子」と「遠藤哲夫」以外は、ワカラナイ。

「日本的知名美食專欄作家,人稱「大眾食堂的詩人」遠藤哲夫先生,和料理研究家瀨尾幸子小姐合著了這本書」ともあって、どうやらおれは「日本的知名美食專欄作家,人稱「大眾食堂的詩人」」ってことらしい。


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「政治的現実」というやつ。

さきほどチラッとツイッターを見たら、「政治的現実」という言葉がチラチラしていた。どこか地方議会の議員さんらしい人や、議員さんではない何人かが、この言葉を使っていた。

面白いことに、議員さんがさす「政治的現実」というのは、政治業界内つまり永田町を頂点とする業界内的現実であり、議員さんでない人の場合は日本や世界における政治的現実をさしている場合がほとんど、という違いがあるのだな。

業界にドップリ浸かり、業界のなかでの自分の生き方に腐心していると、業界的現実を世間的現実と思ってしまう傾向は、政治家だけに限らない。出版業界あたりでも、よく見かける。学術業界あたりにも、根強くあるようだ。

よく見かけるし、根強いが、とうぜんながら世間は、そんな業界の事情に関係なく動く。

今日は、佐賀県知事選で国政与党が推す候補が敗れたことをめぐっても、いろいろな「見解」が流れている。沖縄、滋賀に続いて、自民党の3連敗ということだが、「政治的現実」においては、なんでも「タテ」の人間関係で判断するということがある。これも政治業界に限らないが、しかし、近年はタテのエネルギーばかりでなくヨコのエネルギーが強く働くことがある。

経済成長についても、、「タテ型成長」つまり「上」へ向かうエネルギーばかりを計算して、ヨコへ向かうエネルギーで成長することを考えない惰性があるが、このへんも変わってきている。

たいがいの業界内の主流は、あいかわらず「タテ型」志向なのだが、これはもう先細りどころか、競争の潰しあいのガツガツしあいで、展望が開けない。展望が開けないエネルギーはタテからはみ出してヨコへ向かう。ま、佐賀県知事選も、そういうふうに見ることができるかも知れない。

とにかく、広い政治的現実を見れば、ヨコへ向かうエネルギーをショーバイにする機会は増えているわけだ。政治的にも経済的にも不安定度が増すから、ますます機会が増えるだろう。

モンダイは、タテとヨコでは、「よい」基準が異なることだ。それは、カネの動き方動かし方にも関係する。

これもまた一つの政治的現実というやつだ。

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2015/01/10

新橋で新年会。

今週になってから、トツジョ昨日の9日に、イエス新年会をやることになった。急でもあり、三連休前の新年会シーズンの金曜日ということもあり、めぼしいところは予約がとれず、なかなか場所が決まらなかったが、H女さんのフントウで新橋のビーフン東に決定した。

集まったのはおれを含め6人(急なのに、よく集まった。クサカベさんと初対面の挨拶)。18時半開始。予約はコースのみだったので、出てくる料理を食べながら、ビール乾杯のあとは紹興酒を2本あけた。

21時ごろ閉店だったのかな。とにかく追い出されて、1階と地階をウロウロ、なんとまあ立ち飲みが増えたこと。新橋研究会をやろうとかいう話も出て、それは面白いかも、イエス飲み会は新橋研究会にもなるか。

目にとまったバーに落ち着く。初めてのバーで、造りは古く渋くなかなか落ち着いた雰囲気であるが、流れる音楽は70年代80年代ロックが中心ってわけで、おれ以外のみなさんはセイシュンの80年代とあって、音楽の話でけっこう盛りあがっていた。

ま、あれこれしゃべりながら楽しく飲んだ。しかし、このバーのマスターというのか、一人でやっているのだが、かなりアバウトで、すでに本人も酔っていたようだが、注ぐウイスキーの量が多い。シングルでもダブル以上の量。ロックで二杯飲んだら、すっかり酔いがまわった。

帰り、上野から終電一本前の電車に乗ったが、途中で線路内立ち入り、電車内でケンカ、遅れながら大宮に着き、ここでまた停止信号がどうとやらで長時間待たされ、東大宮に着いたのが約30分遅れの0時半ごろだった。

ちくま文庫から昨年12月に発売になった『新宿駅最後の小さなお店ベルク』、昨年末、著者の井野朋也さんからご恵贈いただいたのだが、今日は、著者のパートナーの迫川尚子さんからも届き、たいへん恐縮。まだザッとしか目を通してないので、後日紹介したい。

とにかく、小さな店は、町の暮らしを楽しくするショーバイでもあるわけで、それは店のガンバリだけではなく、客も一緒につくりあげていくものなのだね。ってことを、最近またシミジミ思っている。

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発売中の『dancyu』2月号に、おれのフチが欠けた酒器が載っている。

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先月末、いや、昨年末に、掲載誌が送られてきていた『dancyu』2月号は、すでに6日に発売になっている。

特集は「日本酒クラシックス」のタイトルで、毎年恒例といってよい、日本酒特集。「家呑みを語る あの人の、この盃 呑みたくなる酒器」というページがあって、おれが愛用の酒器が、おれのコメントもついて載っている。

ほかにご登場のみなさまは、落語家の春風亭一之輔さん、文筆家の木村衣有子さん、グラフィックデザイナー、作家の太田和彦さん、フリーアナウンサーの平井理央さん、漫画家の吉田戦車さん。

おれの肩書きは、いつも「フリーライター」でよいのだが、そういうわけにもいかないらしく、編集サイドにまかせている。今回は「大衆食堂の詩人」と。

ま、ついでのおりにご覧ください。

ところで、その酒器。もう長い間、どんな清酒を飲むにも、これしか使ってない。

ずいぶん前にフチが欠けてしまった。そのまま。だいたい、皿でも欠けたぐらいでは捨てないで使っているから、特別に思い入れがあるわけじゃないけど、ほかにリッパな盃があっても使う気がしない。おれ自身、無欠を誇れるような人生でもないし。いまでは、すっかりおれの心身に馴染んでいる。

掲載のついでに、いつごろ買ったか調べたところ、1980年代の始め、美濃で買っていた。80年代は、美濃や瀬戸へ、何度か行った。江原生活料理研究所の開設や、しる一の開店、そのあとほかの飲食店の開店の手伝いなどが続き、半分は仕事。それから、バブルのころは、関西へ遊びついでに寄ったりもした。

この酒器は、織部焼だが、そのころおれは(茶をやっていたわけじゃないが、日本料理に関係するから)、わびさび茶から大名茶へ、とくに有楽、織部、遠州あたりへ興味が移っていた。それで、美濃でこれを見たとき手を出した。

80年代始めのころは、東京のデパートあたりでも、織部焼はめったに店頭に並ぶことはなかった。おれの記憶では、織部が一般に広まったのは、『美味しんぼ』がきっかけで、魯山人が一般に知られるようになってからだと思う。魯山人から織部を知ったという人も少なくないだろう。

ちなみに、中公文庫の『魯山人味道』は1980年の発行、『魯山人陶説』は1992年の発行、ビッグコミックで美味しんぼの連載が始まったのは1983年。

80年代、美濃や瀬戸の窯や町を訪ねて、最も衝撃的だったのは、瀬戸の変わりようだった。80年代始めは、まだ「瀬戸物」の町だった。町の中心部を流れる川に沿って、瀬戸物屋が軒を連ねていた。

だけど、瀬戸の窯は曲がり角だというウワサもあった。一つは、原料の鉱山が先細りのこと、一つは、発展する名古屋や豊田などの住宅地として期待が高まっていること。原料は輸入に押されてもいたが、鉱山や窯の土地は、住宅地への利用のほうが「経済効果」が高くなる動きにあった。

80年代の後半、瀬戸を訪ねたときは、軒を連ねていた瀬戸物屋は、見た目、半分以下になっていたし、とくに小さな店舗は壊滅状態で、無残なさびれぐあいだった。わずか数年のあいだの、この変貌には、びっくりした。

行くたびに焼物の話を聞いて親しくしていたオヤジの店も空き家になっていた。その前で、しばしボーゼンとしましたね。

そのオヤジは、焼き物にとりつかれ、自分で窯を持ち、とくに「利休茶碗」に近づくため苦労していた。いくつも作っては捨てを繰り返していた。そのなかの、いくらかマシという一つを、オヤジがくれるというのでもらって、飾っておけばよいものを、そういうココロのないおれは、めし茶碗に丁度よいので使い、いつもおやじのことを思い出していた。その茶碗は、十年少し前、うっかり落とし、割れてしまった。

この酒器を見ていると、そんなことまで、思い出すのであります。

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2015/01/09

面白いことになっている中野の昭和新道。

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2014/12/29「レンガ積みとトークで年暮れる。」に書いたように、昨年末は、中野北口の昭和新道へ行った。

この通りの、ここ数年の変わりようは面白い。

数年前までは、うす暗い湿った感じの、まさに「昭和」な通りだった。それが、いまでは大にぎわい。大きなショップができて変わったのではなく、もとからある古い小さな建物が並ぶ通りはそのままに、店だけが新しくなっている。

しかも、カネかけて、ドーンとファッショナブルな店ができて変わった、ってことでなく、どことなくDIY風に変わっていて、好ましい。いかにも自分たちの自力で街をつくっているという感じがあって、共感がわくのだ。横丁感覚の通りともいえるか。ちょいと入ってみたくなる飲食店が並ぶ。若い人が始めた店が多く、通りにも若い人が多い。数年前とは、えらい違いだ。

入ったのは、「麦酒(ビール)工房」。いわゆる「規制緩和」のおかげなのか、店の中にビールの製造装置を設置し、できたての生ビールのうまさが楽しめる。店の奥にはガラスごしに、ビールの製造装置が見える。

この店は、昭和通りから細い路地に入ったところにあるのだが、その路地に板が敷いてある。なんだろう、ちゃんと舗装もされているのに、思わず足がとまる。路地には、麦酒工房のほかに、スナックやタイ屋台がある。

そして、麦酒工房はDIY感タップリの店舗なのだ。セルフサービスで一部立ち飲みなので、導線だけは考えられているが、きっちりデザインされ、キッチリ施工したというものではない。おれたちも、DIYのレンガ積みをやったあとに行ったので、テーブルや腰板あたりをみながら、おれたちのほうが腕が上だな、なーんて冗談を言いながら飲んだ。

すみずみまで「プロの仕事」という感じではなく、どことなくアマチュアのDIY感があるというのは、これから何につけ面白くなる気がする。

中野は、警察学校跡地の再開発から駅周辺の再開発が続き、中野のシンボルだった中野サンプラザの解体計画も進んでいるなど、ようするに建設不動産バブル状態であるのだが、しかも、戦後の中野の振興を担った個人商店が代替わりの時期とあって、店の入れ替わりも激しい。

駅周辺は、しだいに大資本や大企業の手にわたるかも知れないが、この昭和新道のような生き方ができる街は面白いと思う。中野は新宿文化とも、いわゆる中央線文化ともちがう。

中野北口 昭和新道商店街のサイト(このサイトも中途半端でDIY感がある)
http://www.sinmichi.com/index02.html

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2015/01/08

使いたくない言葉、「上品」と「下品」。

あまり使ってないが、このブログのカテゴリーには、「味覚・表現アレコレ」がある。今日は、このカテゴリーに関係する内容だ。

あまり使いたくない言葉がいくつかある。なかでも最も使いたくないのは、「上品」と「下品」だ。

もちろん、「上品ぶっているやつは、たいがい下品なやつだ」なーんていうふうに使うのは楽しいし、「うーん、この下品な香りが漂うからこそ、この料理はおもしろくなっている」なーんてのも楽しい。

モンダイは、味覚の表現でよく見かける、上品だからよい、下品だから悪いという「思想」なのだ。

「上品」「下品」という言葉を捨てれば、その言葉を使って見たり判断することはできなくなるし、違う言葉を考えなくてはならない。そこに、思考の幅のようなものが生まれる。それが、大事だと思う。思考の幅は、物事の見方の幅、味覚の幅にも関係するからだ。

とくに、「上品」「下品」は、儒教的価値観が入りやすい言葉で、これを使うひとの頭の中には、序列的な価値観が入っているとみて、ほぼ間違いない。それは、前のエントリーに書いた、快楽を罪悪視する思想にも通じるし、ひとを上下でみる考えにも通じる。

飲食の快楽のためには、「上品」や「下品」は、最も使ってはいけない言葉なのだ。そもそも、こんな言葉で簡単に片づけていては、味覚の楽しみは、ずいぶん失われる。そんなふうに考えるおれは、20年前の『大衆食堂の研究』のときから、このことを意識している。

『大衆食堂の研究』以来使っている、「気取るな、力強くめしをくえ!」は、その結果、頭に浮かんだフレーズなのだ。

実際のところ、飲食の世界では、「上品」といってしまえば、簡単に共感が得られやすい場面が多い。ついでながら、「粋(いき)」なんて言葉もそうだ。だからこそ、書く方も安直に使うのかも知れない。上品ぶっている下品なやつが多すぎるのだ。

「上品」「下品」という言葉を使わないようにしよう。

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2015/01/06

快楽が足りない!

今日は「快楽」だの「セックス」だの「エロ」だのが、頭の中でグルグルしている。

昨年末の恩田えりさんとのトークでは、「和食無形文化遺産一周年」のことから始まって、日本料理をめぐる伝統や文化について、あれやこれや話しているうちに、話題が「快楽」のことになった。

というのも、そのトークの少し前に、おれがツイッターで「快楽」をつぶやいていたからで、えりさんが、アレなんですかと。

いまツイッターをチェックしてみたら、こんなぐあいにつぶやいていた。

「まだまだ快楽が足りない。快楽を悪とする考えや政策を捨てよう。快楽を推進する政党を!」(0:39 - 2014年12月7日)

「快楽が足りない。必死すぎる。」(0:46 - 2014年12月8日)

「快楽は求めるものでなく、身をまかせるものなり。もっと快楽に身をまかせましょう。ああ、快楽、快楽。」(0:51 - 2014年12月8日)

いずれも投稿の時間からして酔っていたにちがいない。だけど、おれは、酔っているときのほうが、いいことをいうらしいのだ。でも、このつぶやきは正気でも同じ、トークのときにもいったが、おれは「快楽主義者」なのだ。

総選挙前だったので、「快楽を推進する政党を!」なーんて書いているのだが、いまのように快楽を「悪」とするような風潮が大勢である状態は、かなり「不健全」だし、民主主義からはほど遠い、と正気のときも思っている。

最近も、ライブドア・ニュースに、こんな見出しの記事が載った。

安藤美姫にスケート連盟激怒 異例の自粛要請も空振りし周囲困惑
2015年1月3日 17時0分
http://news.livedoor.com/article/detail/9637324/

この記事の最後は、このように終わっている。

「以前から、スポーツ選手が私生活面でも過度に保守的な純潔さを求められ、自由な恋愛なども許されずに選手たちが窮屈な思いを強いられる日本の状況に異議を唱えてきた安藤。賛同の声も多いそんな安藤の“進んだ”価値観が、日本で受け入れられる日は果たしてくるのだろうか。」

まあ、こんな記事が載っている日本だからねえ。

で、今日、たまたまド厚い本『談100号記念選集』をパラパラ拾い読みしていたら、「5章 人生」の、植島啓司さんによる「快楽のさまざまな様態」が目にとまった。これが、すごくおもしろい。

植島さんは、宗教人類学者で、日本内外の大学の教員や研究者をやりながら、「40年以上、世界各地で調査を続けている」。

「そもそも快楽というのは、人間が生きていくうえで、他人や世の中とうまく適合するために必要不可欠なものだと思います」「しかしながら、これまでの倫理観の強い日本の社会では、快楽は悪であるという考えが主流でした。勤勉や努力をよしとする倫理的な束縛の中で、快楽は非常に逃避的なイメージでしか捉えられることがなかった。じつはそれは、世界との適応/不適応の問題であって、善/悪の問題ではないにもかかわらずです」

「特に、ここ二〇〇年くらいの間、日本は非常に倫理観の強い社会構成によって、快楽が罪悪視されてきました」

これは、食文化の問題と深く関係するのだが、それはともかく、「純潔」にこだわっている連中がのさばっているから、セックスのことが善/悪のことにゆがみ、これって、少子化の一つの原因でもあるまいかと思うね。

で、植島さんは、「さて、そうやって快楽を罪悪視することでいい社会になったかといえば、そうとはいえません」

そりゃそうだ。植島さんは、ちっともよくなっていない例をあげたのち、こういう。

「今や、われわれをこれまで律してきた倫理・道徳に対して、徹底的に批判を加えねばならない時期に立ち至っていると、僕は思うのです」

おれは、ここで大拍手を送った。

いやあ、おもしろい。さらに、さらに、「日本の社会では子供の快楽は非常にたくさんあるのに、大人の快楽は乏しい。(略)飲む・打つ・買うという快楽しか存在しないというのは、非常に貧しいと言わざるをえません」

ああっ、おれは、その飲む・打つ・買うですら不十分だ。

「しかも、日本の遊びは、セックス一つとっても、バリエーションが非常に乏しい感じがします」と、セックスのバリエーションについて、誌面をさく。なるほどねえ、快楽もエロも貧しいねえ。

「快楽をめぐって、もう一つ気になること」として「過度な耽溺と、過剰な潔癖」をあげている。いろいろなことで、のめりこむか、排除か、になっているわけだ。

「一度いいとなるとそればかりを奨励し、悪いものとなったら徹底的にダメだとなってしまう。どうしてこれほど病的な「潔癖症候群」が生まれてしまうのか。人間は長く生きることに価値があるのではなく、いかに生きたかが問題だと思います」「現代のアメリカも日本も、分別顔した中年の国になってしまったかのようです。」

で、最後に「快楽の本質とは何か」について、ご自分が好きなギャンブルの例をあげ、述べたのち、こうまとめる。

「それは、セックスにも似ています。自分の思いどおりにするよりも、何かの手によって思いどおりにされる快楽の方が、はるかに大きい。不確定要素が強いほど、快楽は高まる。それこそが、快楽の本質だと僕は思います」

はあ、何かの手によって思いどおりにされたいねえ。かくして、おれの頭は、快楽とセックスとエロで、ぐるぐるしながら、なにかやらかしてみたいと思っているところ。なのだが…。

はて、今日は、何を書いているのやら。とりあえず、エロトーク第3弾を企画しようかな。

当ブログ関連
2014/11/14
『談 100号記念選集』。

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2015/01/05

野暮連新年会。「つながり」や「縁」の搾取。

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昨日は下高井戸に14時、取材と野暮連新年会だった。

えーと、8名ぐらいだったかな。17時ごろには、落ちこぼれなく明大前に移動し2次会、ここで1名加わり、21時過ぎにイチオウ終わったが、おれを含め5人で、明大前のローカル色の濃いカラオケへ。2時間うたいまくって、解散。

非公式物産展の大村さんも来てくださり、野暮酒場で非公式物産展をやることになっている。昨年末の、元力士による野暮ちゃんこ大会に続き、だんだん多彩な野暮展開になる気配。 

そうそう、木村衣有子さん編集発行の『のんべえ春秋」4号が発行になり、野暮酒場にも置いてあるのでよろしくね。バックナンバーもあります。と、野暮酒場の亭主が申しています。

fbの「友達」が、「つながり」や「縁」を搾取する人と、「つながり」や「縁」を積み重ねる人の違いが、SNSやメールは明らかになりやすい、テナことを書いていて、なかなかおもしろかった。

ま、インターネットがない時代でも、「つながり」や「縁」を搾取する人と、「つながり」や「縁」を積み重ねる人の違いはあった。

とくにバブルの頃から、「異業種交流」だの「人脈」だのがうるさくなり、「搾取型」が蔓延してきたように思う。インターネットやSNSで手っ取り早くアプローチやコンタクトがとれるようになり、搾取的で功利的な「つながり」や「縁」が追求しやすくなったといえるかな。

「フリー」あるいは「自営」な稼業をしていると、なんでも自分の稼業の「ネタ」としてみることがクセになりやすい。意識的か無意識かに関係なく、「ネタ」になりそうなほうへ「つながり」や「縁」をつくろうとする、ということもあるようだ。

いつもマーケティングな感覚で過ごしている、って感じだな。自分が「つながり」や「縁」を搾取しているとも思わない。

ビジョンがなければ、あるいはビジョンによっては、そういうことになるだろう。

「いい仕事のためには、遊べ、無駄をしろ」なんていっても、こう世知辛い世の中になってくると、あまり現実的じゃない。そういうこと自体が、なにかの搾取につながりかねない。

「搾取型」を排除するのも問題があるわけで、ときたまソレ間違っていないかいと指摘し合ったりしながら、ごちゃごちゃ混ざり合って、「つながり」や「縁」を、よりよく構築するしかないだろう。それを「忍耐」ではなく、ゲームを楽しむようにやる。ってことだな。

野暮連なんか、得にも損にもならない。いや、搾取されて、損の方が多いかな。

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2015/01/03

今年は72歳、『大衆食堂の研究』から20年。

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あけましておめでとうございます。

今年は、とくに気合いが入っているわけじゃないけど、早いブログ始め。よろしくお願い申す。

昨年末の30日から、例年のように、秩父の義父母の家へ行き、昨日2日に帰ってきた。

今年の正月は厳しい寒さの毎日で、すでに降った雪が日陰などに残っていたが、1日の朝も目が覚めたら、うっすら積もっていた。いつものように、毎日鍋を作っては食べ、酒を飲みゴロゴロして過ごした。

町や農協などの広報誌を見ると、昨年2月の大雪のあとは、かなり雪害が残り大変だったようだ。救急車が入れず、ヘリコプターの発着場所やヘリコプターまでの輸送が地域の人たちの力で用意できなかった土地では、結果的に手遅れで亡くなった方もいたらしい。農業は最近やっと復旧に近い状態。残っていた東電原発事故の影響からも脱しつつあるらしい。

マスコミからはほとんど見捨てられたような地域なので、まったく話題にならないが、その土地で生きているものにとっては、大変なこと。

当家は、雪害より、夏の雹の害と、生った大根の半分が鹿に食べられた被害が大きかったとか。80半ばに近い義父は、いま使っている軽自動車の車検の期限が来たら、自動車は止めると言っていた。もう運転は危ないので、そのほうがよいが、かなり不便な生活になるだろう。

おれがここで暮らすようになったとき、いちばん困るのはWeb環境だったが、最近WiFiが利用できる環境が整ったので、カネの問題を除けば見通しはたった。奥地は、ケーブルより無線か。

昨年末、今年発行予定の、四月と十月文庫『理解フノー』の編集を担当していただいている成合さんから、すでに『四月と十月』に連載の原稿は約30ページぐらいにしかならないと連絡があった。薄い120ページでまとめるにしても、あと90ページ分ぐらいは書きおろしになる計算。枚数にして400字150枚ぐらいか。怠けないで、ボチボチ書いていかなくてはならない。

還暦のときから、自分の干支など意識したことがなかったが、今年は未だそうで、おれは年男の72歳なのだ。

出版デビューの『大衆食堂の研究』1995年から20年。

72歳も20年も、とくに感慨はないが。

明日の取材から、仕事が始まる。仕事から連続して新年会。

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