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2015/01/08

使いたくない言葉、「上品」と「下品」。

あまり使ってないが、このブログのカテゴリーには、「味覚・表現アレコレ」がある。今日は、このカテゴリーに関係する内容だ。

あまり使いたくない言葉がいくつかある。なかでも最も使いたくないのは、「上品」と「下品」だ。

もちろん、「上品ぶっているやつは、たいがい下品なやつだ」なーんていうふうに使うのは楽しいし、「うーん、この下品な香りが漂うからこそ、この料理はおもしろくなっている」なーんてのも楽しい。

モンダイは、味覚の表現でよく見かける、上品だからよい、下品だから悪いという「思想」なのだ。

「上品」「下品」という言葉を捨てれば、その言葉を使って見たり判断することはできなくなるし、違う言葉を考えなくてはならない。そこに、思考の幅のようなものが生まれる。それが、大事だと思う。思考の幅は、物事の見方の幅、味覚の幅にも関係するからだ。

とくに、「上品」「下品」は、儒教的価値観が入りやすい言葉で、これを使うひとの頭の中には、序列的な価値観が入っているとみて、ほぼ間違いない。それは、前のエントリーに書いた、快楽を罪悪視する思想にも通じるし、ひとを上下でみる考えにも通じる。

飲食の快楽のためには、「上品」や「下品」は、最も使ってはいけない言葉なのだ。そもそも、こんな言葉で簡単に片づけていては、味覚の楽しみは、ずいぶん失われる。そんなふうに考えるおれは、20年前の『大衆食堂の研究』のときから、このことを意識している。

『大衆食堂の研究』以来使っている、「気取るな、力強くめしをくえ!」は、その結果、頭に浮かんだフレーズなのだ。

実際のところ、飲食の世界では、「上品」といってしまえば、簡単に共感が得られやすい場面が多い。ついでながら、「粋(いき)」なんて言葉もそうだ。だからこそ、書く方も安直に使うのかも知れない。上品ぶっている下品なやつが多すぎるのだ。

「上品」「下品」という言葉を使わないようにしよう。

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