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2015/01/15

「生活のアート化」と「アートの生活化」と生活料理。

拙著『大衆めし 激動の戦後史』は、生活料理入門として書かれ、1章から5章までには「生活料理」という言葉が生まれた背景が述べられている。

そこでは主に、長い間、料理を観念的に支配してきた、「日本料理」というものと「食通」や「グルメ」から、料理を生活にとりもどす意図を持って「生活料理」という言葉が生まれたことが書かれている。

それは、「料理の生活化」ともいえるが、料理は、そもそも生活であるのに、わざわざ「生活料理」といわなくてはならない状況があった。

いまでもその状況に本質的な変化がないのは、一方では、「料理は芸術」ということもよく言われてきて、「料理の芸術化」を志向する人たちがいたし、いまでも、とくにプロを中心に、けっこう広い範囲にいることが関係する。

なぜか「上昇志向」は「芸術」に向かうのだ。

その背景には、芸術的であるものを優れているとしたり、優れているものを芸術的と評価したり、そして、生活臭いものを劣っている、あるいは下品とする価値観が見え隠れする。

「生活の役に立っている」ぐらいでは満足できない、優劣観や野心があるのだな。

ま、人のうえに立ちたい序列的な価値観があって、料理に限らない、「芸術」に対する憧れや、「芸術」を至高のものとする考えがはびこり、芸術は、いろいろな権威付けや権力を奉る信頼関係の育成などに貢献してきた歴史があるのは確かだ。

その場合の「芸術」とは何かを問うことについては、あまり興味はないが、近年は、「生活のアート化」と「アートの生活化」が入り乱れて進行しているようで、「生活料理」は「料理のアート化」へ向かうのか、「アートの料理化」へ向かうのか、大いに興味があるところだ。

「芸術」と「アート」は、ビミョーに違うような気がするが、いまのところ、「料理の芸術化」と「生活のアート化」と「料理のアート化」は、同一軸上にあるように見える。つまり、「生活臭い」ものに対する排除性を強く感じるのだ。

これは、2015/01/08「使いたくない言葉、「上品」と「下品」。」にも関係していると思う。「芸術的(だからよい)」なんていう言い草は、「上品(だからよい)」と同じように、内容のない、使いたくない言葉だ。

そんなこともあって、昨日告知した、非公式物産展の〈キッチンうろ覚え〉は、面白い試みだと思っている。

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