オノマトペな味覚。
先日、ツイッターで「銀座三州屋。旬のカキフライの幸福感。ソースさらりと掛けて頬張ると、その食感はサクサクぶりん。カキから旨味がジュッと滲み出て口の中にたっぷり広がり、最後にふわりと磯の香が残る。美味い。」というツイートを見つけ、思わず笑った。
とにかく、面白いのだ。
これだけの文章のなかに、擬音語や擬態語など、いわゆるオノマトペといわれれる語彙が、「さらり」「サクサク」「ぷりん」「ジュッ」「ふわり」。「たっぷり」は一般語との中間ともいわれるが、この場合は擬態語に近い使い方だろう。
これらの語彙を省いてしまうと、「その食感は」通じなくなり、「ソース掛けて頬張ると、カキから旨味が滲み出て口の中に広がり、最後に磯の香が残る」というぐあいになる。
オノマトペには、ひとを気持よくさせ酔わせる力がある。そして、いわゆる、うまいもの話が好きな「グルメ」な人たちのあいだでは、オノマトペが多用されるし、よろこばれる。このツイートなども、そういうことの反映だと思う。
オノマトペを使った文章は、受け入れられやすく、広がりやすい。ということを「実験」してみたことがある。
おれは、なるべくオノマトペを使わないで書いてみようとしている。それには、ワケがあるのだが、そのわけはともかく、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は、新聞掲載日にすぐ東京新聞のサイトにアップされる。これが、たちまち2chあたりのエサになった。
彼らは、たいがい、「通りがかり」に、痰を吐くように何かしらの悪態を書き込んでいくことが多い。その意味では、彼らのテクニックは洗練されていて、なにかしら自分が気にくわないところや、くらいつきやすいところを素早く見つけ、きわめて簡潔に痰を吐く。
あまり高級店とは縁がなさそうな彼らにとっては、大衆食堂あたりはネタにしやすい。身近でケチをつけやすいものには、すぐくらいついてくる。
おれとしては、彼らに痰を吐かれるのは、いやじゃない。ある意味、彼らに貶されるのは、とても名誉なことだと思っているのだが、あるとき、彼らをのせてやろうという遊びを思いついた。
これならのってくるだろうと思われる擬音語を使ってみたのだ。すると、案の定、のってきた。その語彙が彼らによって繰り返し使われて、どんどん拡散していく。
だからといっておれの文章をほめるようなことはなく、ただ彼らは、とても気持よさそうなのだ。
べつに彼らに限ったことではない、文章を読者に売り込むには、オノマトペを上手に使うことだ。最初に読んだひとが気持よく受け入れて、ここが大事なのだが、それを同じように誰かに伝えやすい語彙を使うこと。これは、広告コピーの基本だが、飲食においては、じつにわかりやすくあらわれる。
太田和彦さんの「ツイーッ」なども、その典型だね。
読者が気持よくなるオノマトペは、売れる文章に不可欠のようだ。
だけど、味覚をオノマトペ抜きで書くのは難しいが、オノマトペを使いなれてしまうのも、アブナイことだと思っている。もっとアブナイのは、オノマトペに酔ってしまうことだろう。
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