野暮連新年会。「つながり」や「縁」の搾取。
昨日は下高井戸に14時、取材と野暮連新年会だった。
えーと、8名ぐらいだったかな。17時ごろには、落ちこぼれなく明大前に移動し2次会、ここで1名加わり、21時過ぎにイチオウ終わったが、おれを含め5人で、明大前のローカル色の濃いカラオケへ。2時間うたいまくって、解散。
非公式物産展の大村さんも来てくださり、野暮酒場で非公式物産展をやることになっている。昨年末の、元力士による野暮ちゃんこ大会に続き、だんだん多彩な野暮展開になる気配。
そうそう、木村衣有子さん編集発行の『のんべえ春秋」4号が発行になり、野暮酒場にも置いてあるのでよろしくね。バックナンバーもあります。と、野暮酒場の亭主が申しています。
fbの「友達」が、「つながり」や「縁」を搾取する人と、「つながり」や「縁」を積み重ねる人の違いが、SNSやメールは明らかになりやすい、テナことを書いていて、なかなかおもしろかった。
ま、インターネットがない時代でも、「つながり」や「縁」を搾取する人と、「つながり」や「縁」を積み重ねる人の違いはあった。
とくにバブルの頃から、「異業種交流」だの「人脈」だのがうるさくなり、「搾取型」が蔓延してきたように思う。インターネットやSNSで手っ取り早くアプローチやコンタクトがとれるようになり、搾取的で功利的な「つながり」や「縁」が追求しやすくなったといえるかな。
「フリー」あるいは「自営」な稼業をしていると、なんでも自分の稼業の「ネタ」としてみることがクセになりやすい。意識的か無意識かに関係なく、「ネタ」になりそうなほうへ「つながり」や「縁」をつくろうとする、ということもあるようだ。
いつもマーケティングな感覚で過ごしている、って感じだな。自分が「つながり」や「縁」を搾取しているとも思わない。
ビジョンがなければ、あるいはビジョンによっては、そういうことになるだろう。
「いい仕事のためには、遊べ、無駄をしろ」なんていっても、こう世知辛い世の中になってくると、あまり現実的じゃない。そういうこと自体が、なにかの搾取につながりかねない。
「搾取型」を排除するのも問題があるわけで、ときたまソレ間違っていないかいと指摘し合ったりしながら、ごちゃごちゃ混ざり合って、「つながり」や「縁」を、よりよく構築するしかないだろう。それを「忍耐」ではなく、ゲームを楽しむようにやる。ってことだな。
野暮連なんか、得にも損にもならない。いや、搾取されて、損の方が多いかな。
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