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2015/02/28

東京新聞「大衆食堂ランチ」28回目、動坂下・動坂食堂。

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先週の20日は、第三金曜日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。

今回は、動坂下交差点にある動坂食堂。JRの最寄り駅は田端になるか。

この交差点の近くには、もう一軒、人気のときわ食堂がある。どちらにしようか迷ったが、まずは、動坂食堂にした。

すでに東京新聞のサイトにも掲載になっているので、ご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2015022002000199.html

近くに住んでいる知り合いの一人は、もっぱら、ときわ食堂を利用しているし、別の一人は、動坂食堂を利用していることが多いようだ。

利用者側からの比較選択の基準というのは、とくに大衆店についていえば、一般化できる確かな基準というより、つまるところ決着のつかない、たいがい微妙な「好み」の問題になるようだ。

料理法的にみると、動坂食堂とときわ食堂には、ちがいがある。だけど、そういうちがいが、それだけで、利用者の選択の決定的な基準になることは、ほとんどないだろう。

よく大衆店で、「職人の味」「職人仕事」などをアピールするところがある。本来は、食べてみればわかるハズの料理に、そのようなアピールをするのは何故だろうというモンダイは、なかなか面白い。

そもそも、「職人」とは何か、「労働者」ではないのか、「労働者」であってはいけないのか、「労働者」とのちがいは何か、などに関係するし、「職人」に対する憧憬の背後にある思想も、大いに気になるところだ。

「料理研究家」「料理家」という人たちがいて、料理のレシピを創作したり料理に関するエッセイを書いたりする。面白いのは、料理店の厨房から始めたひと、つまりお店で料理人をしたことがある人と、そうでない人では、ちがいがあるようだ。

「商品開発」という仕事においては、あちこち食べ歩いて、「これは職人の味だね」「これは職人仕事だね」という評価をすることがある。それは、必ずしもいい意味ではないこともあるし、いい意味のこともある。

去年、『dancyu』11月号で「東京の味って、どんな味?」を書いたときは、4つの店を取材した。そのうち、老舗の料亭と蕎麦屋は、自他共に認めるといっていいだろう、いわゆる「職人の味」「職人仕事」の店だし、おでん屋については、いろいろわかれそうだ。月島の居酒屋については「超」がつくほどの人気店だが、いわゆる「職人の味」「職人仕事」とはちがうだろう。

「職人の味」「職人仕事」が上とする考えには、あまり根拠はないが、それが簡単に通用するのには、いろいろな理由がある。

一つは、言葉の問題で、「職人の味」「職人仕事」以外に、うまく表現する言葉がないからだ。これは、いまでも根強い「職人原理主義」が支配的だった名残りといえるかもしれない。「手作り」「手仕事」に対する思想の問題も含まれるようだ。「素人」や「労働」が軽く見られてきたこととも無関係ではない。それは、日本の文学のことにも深く関係する。

動坂食堂から、おもわぬほうへ話が転がったが、「職人の味」「職人仕事」については惰性的にありがたがるだけでなく、考えてみなくてはならないことが多い。

いわば、「家庭(素人)料理」と高級料理店を頂点とする「職人料理」のあいだにある大衆食堂では、いつもそのことが気になる。

ところで、下の写真だが、動坂食堂の隣は、オリジン弁当だ。食堂にとっては、ファミレスなどより、コンビニや弁当屋のほうが、はるかに厳しい競合になるが、動坂食堂は負けない力を持っていると思う。

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2015/02/27

北浦和で3軒ハシゴ、「川の社会学」から「川の東京学」へ。

「川の社会学」トークの相棒、有馬さんが、これからの打ち合わせをかねて北浦和で飲みたいというので、昨日は北浦和駅で17時半に待ち合わせ。有馬さんは、雨の中、葛飾から。

一軒目は、ひさしぶりに「志げる」。おやじは元気だった。19時ごろ、クークーバードに移動、扉を開けると、なんと、カウンターにハニカミ王子Mさんが座って飲んでいるではないか。

最近、わめぞ古本フリマにも出店していないから、どうしているのだろうと思っていたので、うれしいかぎり。聞けば、浦和の本屋に就職し、クークーバードに古本コーナーを置くようにもなったと。けっこうなことだ。

それで21時半ごろだったかな、狸穴へ移動し、23時ごろまで。

日本的プラグマチズムやら日本的ロマンチシズムやら消費主義やら、「川の社会学」にも無関係ではないアレコレに話がとびながら、これからの運びを打ち合わせ。お互いの資料も交換。

今朝目が覚めて、「川の社会学」より「川の東京学」のほうがよいのではないかと思いつき、メールで連絡、これからは「川の東京学」でいくことになった。

当面は、4月の初めにフィールドワークのようなことをやり、それを受けて5月初めにトークのようなことをやる流れ。「ようなこと」というのは、ようするに野暮に飲みながらやるわけで、4月のフィールドワークは、外飲みをセットする予定。

「川の東京学」をネタに、楽しく真剣に遊ぶ。これは面白いことになります。どなたでも参加できるから、よろしく。

有馬さんのツイッターで告知があることになっているので、告知があったら、こちらにも転載する。

ほかにも野暮連がらみで、いろいろありそう。

そうそう、5月には、ついに、渡辺勝さんが、クークーバードに登場する。楽しみだなあ。

(追記)
有馬さんから告知のツイートがあった。
「来る4月4日(土)、遠藤哲夫さん(@entetsu_yabo )と私の『川の社会学』改め、『川の東京学』フィールドワーク編を浦安近辺で開催します。「青べか」の舞台を散策しつつ花見・外飲みを楽しむ予定なので、野暮な方々はスケジュールの調整をお願いします。」
集合時間や場所など、詳細は後日。

当ブログ関連。
2014/10/23「泥酔野暮トーク「川の社会学」。」

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2015/02/25

御徒町で大いに飲む。

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前のエントリーに書いた、やどやゲストハウスの新館オープンハウスのあとは、御徒町で飲み会だった。やどやに着いたのは15時すぎで、出たのが15時半ごろ。御徒町の待ち合わせの飲み屋に16時。

着いてみたら、思いがけなく、S課長がいて、ビックリ。なんとよいタイミング、ちょうど出張で上京中だとか。S課長と一緒に飲むのは初めてだが、酒豪とのウワサは聞いている。Mさんとおれとあわせて、大の飲兵衛が3人揃ったのだから、もう飲みだしたらとどまるところを知らず。

女子も3人で、計6人だったのだが。まずはビールで乾杯のあと、大震災で丸ごと流され確か7人ほどの方が亡くなったが復活した酒蔵、酔仙の本醸造の燗を2号徳利で、8本まで空けたのは覚えている。ほかに、冷でも一本とったから、9本。そのあとは、もうままよ成り行きまかせ、何本か数えてない。

もちろん話もはずんで、遠慮のないことをワイワイ言い合いながら、すごい勢いで飲んだ。

19時ごろ、S課長がほかの約束があるというので、みんな揃って出て、5人が向かったところは、大統領近くの立ち飲み。

おれはホッピー。あれこれおしゃべりしているうちに、どうしてか小沢信男さんの名前が出て、Nさんが小沢さんのファンとわかり、大いに盛り上がった。ってのは、覚えている。

21時半過ぎだったろう、飲み疲れた帰ろうと店を出て、高架下の例のカレー屋の前でカレーを食うと言いだしたのは、Mさん。おれは食えねえよ~と言いながら入り、券売機の前に立ったら、カツカレーが食べたくなり、それと中瓶ビールも頼んでしまった。

腹いっぱい、酒一杯で、上野駅でバイバイ。じつにアナーキーで楽しい飲み会だった。

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2015/02/24

やどやゲストハウス、新館オープンハウス。

001このブログでも何度か書いてきた、中野のやどやゲストハウスの新館工事が完成、続いて保健所と消防署の検査も終わり、昨日と一昨日は、営業開始前のオープンハウスがあった。

おれは、昨日の午後、都内へ行く用があったので、15時ごろ顔を出した。

2002年に、マンションの一室からこじんまりと始まり、2010年末に中野2丁目にホステル1号店を開業、そして今回の2号店の計画がスタート。中野駅北口3分という、願ってもなかなかない場所にある当ビルを見つけ、借り上げたのが昨年の6月。

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設計は、これまで同様、白井さんにお世話になり、今回は全室ドミトリーであることからベッドのデザインと施工を白井さんの後輩で東京芸術大大学院生の福山さんのお世話になった。

0021号店のように今回も、設備工事以外の施工はセルフビルドで完成した。たくさんの方にご協力いただいた。

客室は、2階から4階で、2階は女性専用階で春のイメージ、3階が秋、4階が冬のイメージでまとめた、素敵なデザインの部屋とオリジナル2段ベッドができあがった。

コンクリート壁を一部壊して改装したり、ブロックを積み上げたり、ところどころその痕跡が残っているが、それがツルンとした壁より味わいが出ていて、なかなかよい。

これで、収容可能客数は、一挙に倍増、毎日50人のゲストを迎える体制ができた。オペレーションが軌道に載るまで、少し時間が必要と思うが、これがまた新しい展開の一歩になると思うと楽しみ。

この新館の名称はどうなるか気になっていたが、「ヤドヤゲストハウス フォー バックパッカーズ D」になった。「ヤドヤゲストハウス フォー バックパッカーズ」は、もちろん、通常は英語表記。「D」は「ドミトリー」の頭文字。単純にして明快。実質本位の、バッカパッカーたちのための宿であり名称だ。

もうかなり国境は無に等しいほど、国境を越えいろいろ混じり合っている日常、もっともっと日本を楽しんで知ってもらいたいし、日本人も、もっともっと海外に出かけ直接交り合うことになるだろ。「国土」の内側にいて無知の偏見にまみれてののしりあっている場合じゃないのだ。

ま、一歩一歩だ。これからも、さらなるご支援(物心体力金とも)よろしくお願い申す。

最後の写真は、4階からのブロードウエイ方面の眺め。

007当ブログ関連。
2014/06/14
次のステップ、中野でウロウロ。
2014/12/29
レンガ積みとトークで年暮れる。
2015/01/17
ペンキ塗りのち金銭管理問題。雲のうえ22号の校正が届いた。

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2015/02/23

「Wコージの麹酒場@さばのゆ」と「キッチンうろ覚え@野暮酒場」などのこと。

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すでに書いた2月10日(火)の齋藤圭吾写真展「melt saito keigo」の初日に行った。そして、18時からのパーティーにも、チョットだけ参加したのち、そこで落ち合った女子2人と、経堂さばのゆで開催の、おのみささんの「Wコージの麹酒場」へ行った。19時スタートだったが、遅れて19時半ごろ着。

「Wコージ」というのは、おのさんの「塩麹」料理と、とんちピクルスこと松浦浩司さんの「浩司」をひっかけたもので、福岡出身のおのさんととんちピクスルさんの共演というわけなのだ。

おのさんの塩麹料理はうまいし、とんちピクスルさんの演技はひさしぶりに3度目ぐらいだと思うが、あいかわらず達者な芸、食う飲む見る聞くで大いに楽しんだ。

010塩麹料理のメニューは、塩麹レバーときのこのオイル煮とパン/ゆでキャベツ+味噌やヨーグルトやごまのはいったディップ/塩麹豆腐/酒粕根菜シチュー/酒粕チョコWコージ(酒粕と甘酒)バレンタインスペシャル。

どれもうまい。とかく、日本の調味というと、ダシだの醤油だのみそだのってことになるが、日本列島の風土に独特の黄麹があってこその醤油やみそであるし、麹は調味の基本中の基本、塩麹は調味料としてもっと使われてもよいわけだ。

よいのはわかっているが、スーパーの店頭で、それを手にしてながめては、まだ買ったことがない。でも、このうまさは味わうと何度となく脳裏に浮かび忘れられないから、そう遠くない未来に必ず買って、塩麹料理をやることになるだろう。

当日の様子は、おのさんのブログに。いやあ、なかなかよい集まりだった。
http://koujieeen.exblog.jp/23484134/

この夜は、新宿発23時ごろの湘南ライナー終電で泥酔帰宅だったが、翌11日は野暮酒場で非公式物産展による「キッチンうろ覚え」があったので、ようやっと起き、13時スタートだが15時ごろ着いた。もう狭い店内は、満員状態。

「<キッチンうろ覚え>は、旅行先で食べて美味しかった食べ物を記憶と勘で再現する会です」というもので、この日は6名のうろ覚え調理人たちが野暮酒場の厨房に立った。

「厨房」っていうほどの広さではないが、こういうときは狭い方が厨房・客席とも声が通りやすく親近感があってよい。前の元力士によるチャンコ鍋もそうだが、持ち寄り手づくり料理イベントに、野暮酒場はピッタリ。

メニューは、stsysrがメキシコ旅行で食べた「モーレ」/ricoが北海道で食べた「いも餅」/biki、なでなでろう、パクダハムが韓国で食べた「干し菜のクッパ」/非公式物産展・大村が山形旅行で食べた「からから汁」。

調理のみなさんが、アレコレ思いだしながら、ああでもないこうでもないと塩梅している姿を見ながら食べるのも楽しい。現地で食べたものと同じ、というわけではないのだろうが、どれもうまい。

ある種の「伝言ゲーム」か。こうして料理は広がり、ひとはつながっていくのだなと思ったりした。これはまた、料理の「質的調査」の方法にもなっている。それぞれの主観と体験が交わり、そこに「質」つまり「文化」が形成されていく。そういう姿が見られた。

「キッチンうろ覚え」は、楽しい。非公式物産展としても、素晴らしい。

台所さえあれば、どこでもやれることだから、どんどん広がるとよいね。記録、できたら、ビデオ撮りなどで記録を残しておくと、なおよいかも知れない。こうやって、料理本をこえる料理本ができると、うれしいなあ。

イベントは20時までだったが、疲れが残っていたおれは、ますます盛り上がりを見せていた18時半ごろ退散。

東京の東のはずれの小岩、その小岩の東のはずれの、いつも看板もないうらぶれ野暮酒場だが、この日は「非公式物産展」のちょうちんとのれんが、光っていた。

さてそれで、これからのイベント。

毎年恒例の、蓮田の清龍酒造の新酒祭りが、3月14日(土)15日(日)にあるのだが、14日に行くことにした。12時半に蓮田駅改札に集合です。ご一緒したいかたは、どなたでもどうぞ。

それから、昨年末、中原さんからお話があって決まったことだけど、先のことだから忘れていたところ、先夜の千石ガールズ飲み会に鎌倉の人がいて思いだした。

鎌倉の「ヒグラシ文庫」は、4月19日で4年を終え、20日から5年目に入るそうで、それを記念して「話の会」を開催する。大竹聡さんと瀬尾幸子さんとおれが、なにか話すことになっている。鎌倉生涯学習センターで18時30分から20時30分。

まだ先のことだけど、予約は先着50名までだそうです。ヒグラシ文庫の関係者のみなさまやお客さま、よろしく~。

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2015/02/21

「俺と僕と私」。

ようやっと調子が出てきた。

なにがって、いまユルユルと進行中の二つの本の原稿のことだ。これまでの本は、大きく括くろうが小さく括ろうが「食文化」や「食生活」のフレームに入るものだったが、こんどの二つは、どちらも入らない。そして、これまでの本では、人称が「おれ」だったが、こんどの一つは「私」であり、もう一つは「ボク」なのだ。さらには、「ボク」のほうは、通常の編集出版と異なり、某アートディレクターさんとのコラボで、なかなか面白い。

そういうわけで、なんだか新しい人生の一歩をふみだしつつあるような気分になっている、というと大げさだが、脳ミソや血が少し入れ替わったのではないかという感じがしないでもない。

村上春樹は、『村上朝日堂はいかに鍛えられたか』で「俺と僕と私」を書いている。外国語を日本語に翻訳する場合、「主人公の呼称を「俺」にするか「私」にするか「僕」にするかで、作品の印象はずいぶん変わってしまう」と述べ、かれが得意とする?レイモンド・カーヴァーの作品の訳を例に書いている。それによれば、村上春樹は、カーヴァーの人となりに直接ふれたことが、その翻訳に「僕」を使う動機になっていると読める。

日本語の文章の文体は、「俺」か「僕」か「私」かで決まる、というような主張をしている作家もいるが、そうかな、という感じがなきにしもあらず。

とにかく、日本人の読者は、そういう「文章的環境」のなかで、そういうことにビンカンにならざるを得ないのだろう。村上春樹は、「俺と僕と私」で、「いずれにせよ呼称が自分の感覚とずれていると、サイズの違う服を着せられたみたいで、読んでいてけっこう疲れるし、それが気になって最後まで読み通せないということもある」とも述べている。

おれの場合、鈍感であり確たる「自分の感覚」がないのか、そういうことはない。読み手として、そういうことが気になったことが、ほとんどない。

これは、どんな文章をたくさん読んできたかも、関係するのではないかと思っている。おれの「文章生活」は、マーケティング屋をやるようになった30歳ごろから、かなり変わった。

それまでは、たいがい本や雑誌といった、「プロ」の手で編集された刊行物が中心であり、大部分を占めていた。

マーケティング屋とくにリサーチやプランニングを手掛けると、とんでもなく、いろいろな文章を読まなくてはならない。例えば、営業マンや現場の人たちが書く、各種のレポートや日誌や、研修のあとの感想文のたぐいなど。

たいがい、これらは、いわゆる「質的調査」といわれるものに関係していて、「聞き取り」や「ヒアリング」あるいは「インタビュー」や「グループ・インタビュー」「取材」などの走り書きも少なくなかった。

年がら年中そういうものを読む「文章環境」だった。いわゆる「文章稼業」の人が見たら、まともでない文章のほうが多かっただろう。だけど、そこに、大事なことが含まれているのだし、もちろん、まったく取るに足らないことも多いのだが、とにかく、キチンと読みこなすことが、まず必要とされた。これは、いまにして思えば、なかなかのテクニックだし、もろもろの思想とも関係することだ。

いまでも、文章の「うまい」「へた」や、自分の感覚とのズレなどを気にすることはない。自分の感覚と違っていても普通に読める。それはひとの話を聞くのも同じだ。

でも、自分が書くときは、「俺」と「私」と「僕」を使い分けるし、「俺」にしても「おれ」もあれば「オレ」もあり、「私」も「僕」も同様だ。

このあいだ、ツイッターに「近頃ハヤリの「自己責任」論の背後には儒教的秩序観がみえるし、デモといった「直接行動」を嫌う人たちの間には儒教的な文治政治や民本主義を民主主義と錯覚しているフシがみえるし、自然食になびくフード左翼やフード右翼には儒教的自然観や身体観が通定しているようにみえる。儒教思想は根深い。」とつぶやいた。

なかでも、「人間の上下関係と親疎関係を基軸とした」儒教的秩序観は、しつこくはびこっていて、出版業界や読書業界や文章業界などは、それをシッカリ抱えているようでもある。

敬称はもちろん、人称の問題では、いろいろあるわけだが、業界が異なると、もう別社会になってしまう日本のことだから、「文章業界」などでは「マーケティング業界」や「調査業界」の質的調査や質的研究、分析法などが参考にされることもあまりないようだ。あくまでも「文学的」に、コトが運び片づけられる。

すると、「俺」などは、じつに立場が悪い。

まあ、そんなこともアレコレ考えながら、楽し苦しく原稿が進みだした。

昨夜は、イエスガールズの飲み会で、18時半に三州屋銀座店。Hさん、Sさん、ラストオーダータイム間際に、Oさん。Oさんは、渋谷での作品展示と販売が終わって駆けつけた。なにやら、ガールズが一人増えそうと、Oさんがいう。どういうことになるのやら。2軒目はサンボアで、終電。帰って、さらに飲んだら、今朝は二日酔いだった。

二日酔いでゴロゴロしている午前に、『雲のうえ』22号の再校が届いた。

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2015/02/16

齋藤圭吾写真展「melt saito keigo」。

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先週10日の火曜日は、グリルギャラリー@清澄白河の齋藤圭吾写真展「melt saito keigo」のオープンニングへ行き、のち、さばのゆ@経堂のおのみささんの塩麹イベント、翌日11日の水曜日は祝日、野暮酒場@小岩で開催の非公式物産展による「キッチンうろおぼえ」、2日連続の移動と泥酔で疲れた。

まずは、齋藤さんの写真展のことだけでも書こうと思いながら日にちが過ぎてしまったが、写真展の会場で、できたての写真集「melt saito keigo」を買って来たのを、毎日手にとって見ては、タメイキをつき、考えている。なにしろ、この写真が頭から離れないのだ。このままおれはビョーキになるのか。

とにかく、「いい写真」とか「素晴らしい」なんていう称賛ではすまない、深いものがあるのだな。それが、より深い世界への洞察を与えてくれる。

グリルギャラリーのサイトの案内には、このような文章があった。

「齋藤圭吾は、2013 年 1 月、フクシマの原発付近の海岸を訪れ、そこで目にした光景 に自然と人間のあり様に驚きと感動をもって再認識させられ写真に収めました。とりわ け、「一本一本をなるべく丁寧に写した」というつららの一連の写真群は、人間と自然の 営みの原理・摂理を感じずにはいられないもので、汚染した土や空気と共にわたしたち 鑑賞者のこころも浄化されることでしょう。」

おれはココロがよほど汚れているので「浄化」ということはなかったが、会場に展示された、A2だかB3だかの紙焼きの90数パーセントは、その地のその季節には、ありふれた、どうってことないつららの写真、これが、まるで生き物のような生命感にあふれているのに、驚いて、ココロを奪われた。

つららは冷たいはずなのに、血が通っているように見える、温かい。それは、つららが下がる土や植物や目に見えない小動物から生命を与えられている生き物のようでもある。

その血の流れのように温かいものが、おれの皮膚の表からジワジワしみこみ、おれの体内の血とつながったような気持になった。むむむっ、なんという写真だ。

齋藤さんが、そこを訪れて、このつららを写したときのことを書いた、短い文章があった。それもよかった。

かれは立ち入り禁止地域の、「検問の無い山道を抜けてたどり着いた集落」で「ヒトの営みの残骸だけが、あの時のまま残っていた」景色や、白い服を着て地表を削る除染作業を目にする。そして、こう書いている。


周囲の山は地震に裾野をえぐられて裂け目をさらし、
そこからにじみ出た地下水は、無数のつららとなって垂れていた。
同じかたちのものはひとつも無く、それぞれがその場所で、
成るべくして成ったかたちだった。
一本一本をなるべく丁寧に写した。

その晩、鼻血を出し、口から血を吐いた。
しばらくして、のど仏のまわりが腫れた。

広大な土地に降り積もった毒を、ヒトは削り取ろうとする。
土や木の根や苔や粘菌は、太古から変わらぬやり方で、
膨大な時間をかけて、降り積もった毒を濾している。
つららはゆっくり融けて、海へと注ぐ。

二〇一三年一月二八日 福島県楢葉町波倉地区にて s.k.


そもそも、原発事故の現場周辺を訪ねて、こういう写真を撮るのは、齋藤さんぐらいのものだろう。たいがいは、荒廃の景色か、それと対照的に生命を感じさせる生命体あたりが、被写体の相場ではないか。

地震で崩れた山裾の裂け目にたれさがる、生命体でもない「つらら」に生命の営みを見る視点は、いったいどういうことだ、これは「魂レベルの視点」「宇宙観レベルの視点」としかいいようがないではないか、と考えたりした。

001会場には、立花文穂さんの編集・デザイン・製本による写真集「melt saito keigo」があった。新書サイズより少し大きめで、厚さ3ミリほどのそれをパラパラ見て、さらに驚いた。開いて両手にのる、このぐあいが、またいい。その写真は、会場に貼ってある大きな紙焼きに負けない、というか、ぐいぐい引き込まれるエネルギーを発散させているのだ。

値段を聞くと3000円、貧乏でケチなおれだが、即買い。

『雲のうえ』の写真でも、齋藤さんは、どうってことないありふれたコップに生命を与えたり、見た目よいとはいえない黄身が崩れた目玉焼きに、とてもうまそうな息遣いを与えたりする。そこには、深い視点のほかに、表現技術ってものがあるのだろうが、「ありふれたものを美味しく」の精神のおれは、いろいろ学ぶことが多い。

「いいもの」をとなえていれば、「いいもの」を知る「いいひと」であるかのような風潮があるが、いい素材で、いい写真やいい文章やいい表現は、仮にできたとしてアタリマエであり、いい素材をなぞるだけで、チャレンジでもないし、いい素材に表現が追いついていないことも珍しくない。

ありふれたどうってことない素材を活かす視点や表現で、よりいい素材を活かす力がつく、と、アタマではわかっているツモリだが、なかなか難しい。

とにかく、「いい」「悪い」の尺度に拘泥しているうちは、深い視点や洞察すら身につかない。世界は、そんな薄っぺらなものじゃないのだな。

まあ、あれこれ考えながら、毎日、「melt saito keigo」写真集を見ている。

齋藤さんは、以前このブログでも告知した初めての写真展をやって、会場が山梨のほうだったかで、行けなかったかったが、今回の人生2回目の写真展は都内なので、オープニング早々に行った。身体ごとすいとられる、よい写真展だった。齋藤さんには、大いに活躍してほしい。

齋藤圭吾写真展 「melt saito keigo」は、22日(日)まで。

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2015/02/04

催し3つ。

先週は、東大宮の外へ出ることなく、コツコツコツバタバタバタ、いろいろ片づけて、かなり進行したような気でいたが、実際は思っていたほど進んでいなかった。ようするに、トシのせいだろう、身体はかなり歩いたつもりでも、実際はたいして歩いていなかったのと同じ原理。やれやれ。

『雲のうえ』22号うどん特集の校正をもどし、昨日はT谷さんと北浦和で飲んだ。もう打ち合わせということもなく、おしゃべりしながら飲むのみ。楽しい面白い話しがてんこ盛り。絵文字とオノマトペの間には何かありそう。クークーバードから狸穴、終電で帰宅。

催しの案内が届いている。

目下制作進行中の『雲のうえ』22号、以前の食堂特集の5号、瀬尾幸子さんとの共著『みんなの大衆めし』で、写真を担当してくださった齋藤圭吾さんの写真展「melt saito keigo」が、2月10日(火)~22日(日)、清澄白河のグリルギャラリーで。

写真集「melt saito keigo」も刊行予定。立花文穂さん編集・デザイン・製本で初版限定500部。ってことは、もしかして、立花さんの手製製本?

グリルギャラリー
http://grill.vc/2015/01/%E9%BD%8B%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%90%BE%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%B1%95%E3%82%92%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82/

昨年の春は津金学校で開催の個展を見に行ったが、下諏訪のすみれ洋裁店の小口緑子さんの美術展、前篇「ワンペア「ある形」」が2月6日(金)~15日(日)、後編「ワンペア「なし形」が2月20日(金)~3月1日(日)、茅野市アノニムギャラリーで。緑子さん、がんばってますねえ。

すみれ洋裁店の「続続・すみれ日記」
http://sumire-yousaiten.blogspot.jp/

さて、それで、清龍酒造の新酒祭りが、3月14日(土)15日(日)。野暮連は、14日に行く予定。たぶん12時半に蓮田駅改札集合になるだろう。例年のように、大いに泥酔しよう。

清龍酒造
http://www.seiryu-syuzou.co.jp/

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