「川の東京学」メモ。抑え込まれてきた、「川の東京」の発掘。
昨日のブログは、4月4日の「川の東京学」のことを考えながら書いたので、それと「日本料理の二重構造」のことが混ざりあってしまった。でも、まったく違うことではない。
『大衆めし 激動の戦後史』では、石毛直道が指摘した、「日本の料理ほど、料理屋料理と家庭のお惣菜の差のひどい料理文化はめずらしい」を引用しているが、これは昨日の、『ロッパ食談 完全版』からの引用と同じ指摘だ。そういう食文化を生き続けてきたワレワレ日本人の価値観はどんなものなのか気になるところで、おれとしては、「川の東京学」とも大いに関係があると見ている。
トークの相棒の有馬洋平さんとも、打ち合わせやメールなどで話していることだけど、チョイとメモしておきたい。
ちくま文庫の『新編「昭和二十年」東京地図』(西井一夫、平嶋彰彦)の、「其の六 新橋・銀座・日本橋」には、「陸の"横暴"が"水"を制圧する」という項があって、とくに戦後、この地域での川の消失と、それによって何が変わったか、何が抑え込まれたか簡潔に述べている。現在の「東京」目線というのは、その上に築かれていることに思い当たる。
三浦展が、アクロスの編集にいたころの『「東京」の侵略』(月刊アクロス編集室編・著)では、「第一山の手(本郷)」から南西へ広がる「第四山の手」までを設定していて、「東京」の侵略を論じている。それにならえば、日本橋周辺は「第一川の手」であり、さらに最近、五十嵐泰正さんと開沼博さんの『常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)』(河出書房新社)という本が出たようで、まだ読んでないのだが、表紙に「それは、「東京の下半身」」とあるのにならえば、日本橋あたりは、東京の「第一下半身」になるか、それともやはり墨田・葛飾・江東あたりが「第一下半身」かと。
とにかく「東京」というときの「東京」目線にひそむものがある。たとえば、おれも最近知ったけど、東京の「闇市」が話題になるときは、たいがい山手線から西で、小岩のベニスマーケットなどは知られてない。小岩の戦後というと「東京パレス」になるのは、いかにも「東京」目線だ。
それから、つげ義春を「場末趣味」「零落趣味」と見るのは、まるで見当違いではないかも知れないが、葛飾の中川沿いで育った自伝的作品には、川がよく出てくるし、「海へ」では、彼と水と川と海の関わりの深いところを感じる。そうすると彼の作品の舞台に千葉が多いワケも、いろいろ見えてきて、いったい「場末趣味」「零落趣味」という見方には「東京」目線を感じたりする。
料理や食文化からすれば、「東京」は、かなり明確に山の手でしかない。長い間、山の手の中上流の家庭の台所が、アコガレをリードするモデルだったのであり、そういう「東京」目線の料理文化や食文化が華やかに、全国の家庭を侵略した。これも「「東京」の侵略」といえるだろう。
昨日も書いたように、近ごろにぎやかな京成立石など、東京の川の手の飲食店が注目されだしたのは、2000年ごろからだ。それも、かなり「東京」の趣味的な目線からだと思う。
抑え込まれてきた、川の東京を発掘してみることで、同時に、いわゆる「東京」の価値観や目線はどんなもので、どうつくられてきたか、わかるかも知れない。それは、「東京のスタンダードとは何か」を考えることにもつながる。とかアレコレ考えているわけだ。
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2015/03/16
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