『ロッパ食談 完全版』と「日本料理の二重構造」。
昨年9月に発売になった『ロッパ食談 完全版』(古川緑波、河出文庫)を、先日買って、パラパラ見ている。パラパラ見るによい本だ。カバーデザイン・装画が、牧野伊三夫さん。
この中に、「食書ノート」というのがあって、ロッパが読んだ食の本の、感想メモといったところ。
『荻舟食談』(本山荻舟、住吉書店 昭和28年10月)について、アレコレ書いているが、おっ、と目を引く指摘があった。
引用………
「常食は重点的に」
この本で、一番感心したのは、これだ。
==外国では家庭とレストランとの料理献立が、ほとんど共通しているから==
とあり。その通りで、わが国では、それが判然と区別されている。そう言われて、はじめてこの事実を認識した。
この点、わが国の主婦は、幸福だと言えるかも知れない。とにかく、これは大きな問題である。
………引用終わり。
これは、『大衆めし 激動の戦後史』で述べている「料理」と「おかず」のあいだにある、「日本料理の二重構造」のことだ。本山荻舟も古川緑波も、それを構造的にとらえているわけではないが、現象面はとらえ、古川緑波は「大きな問題」としている。
本山荻舟も古川緑波も、食について見識のあるひとらしい指摘だ。
食文化と料理文化の視点から、その構造的な問題に踏み込んだのが、江原恵で、そのことについては、『大衆めし 激動の戦後史』にも書いた。
最近、戦後の料理史や、「普通」「日常」の食が話題になることが増えているようだが、この「二重構造」のことは、食料供給環境の変化もあり、ますます避けて通れなくなるだろう。
台所と料理は、とくに明治以降に「家庭」と「主婦」が生まれてからは、長い間、山の手の中上流の家庭の台所が、アコガレをリードするモデルだった。
それは、普通や日常ではなく、特別のごちそうをアコガレとして、そのアコガレにふさわしい、料理店や料理学校や山の手中上流の主婦が、「先生」として牽引したきた。
日常の食である大衆食堂もだが、いわゆる「下町」の日常である飲食店がメディアで注目されだしたのは、ほんのここ20年ばかりのことにすぎない。正確には、2000年ごろからだろう。しかも飲食店は注目されても、その家庭の台所が注目されることはない。メディアに登場する「料理研究家」や「料理家」などは、まさに「山の手」、昔の「第一山の手」から鎌倉・湘南まで含む「第四山の手」の人たちが圧倒してきた。
「二重構造」は、そのようにして食文化のさまざまな面に温存されてきたのだが、2000年ごろからのいまは「激動」している。
江原恵は、この「二重構造」の矛盾と問題を、「生活料理学」を指向することで、「体系化」を試み解決しようとした。おれは、「生活料理学」や「体系化」ではなく、「生活料理」をスタンダードとして考え、たびたび述べているように、「近代日本食のスタンダードとは何か」に興味を持ってきた。そこは、同じ「生活料理」を指向しているようでも違いがある。
「スタンダード」と「アコガレ」。
「アコガレ」を指針とした生活は、近代日本の国策のようなものだったから、料理に限らず、上昇志向に凝り固まった「いいモノ」志向は、とくに1970年ごろからの消費主義のなかで、広くゆきわたった。それが「生活の向上」であり「生活の成熟」だったのだ。
「上昇」は悪いことではないだろうが、スタンダードがないと積み重ねにならない。日本の場合、とくに戦後は、アコガレの「いいモノ」を求め、右往左往につぐ右往左往、迷走につぐ迷走だったといえる。
スタンダードという根がない、宙に浮いて上を見て下を見て、「いいモノ」だけを見て追いかける。スタンダードのない生活と社会は、あわただしく、ガツガツカリカリして、余裕がない。
スタンダードは、いいかえれば「標準」ということになるだろう。地図を作るには、標準点が必要だ、そこから東西南北、高低をはかり、図ができる。そして一歩一歩あるく。
スタンダードがない生活や社会は、いつも「落ちる」不安と「上に向かわなくてはならない」焦りに、追い立てられる。「不安と焦燥の文化」といえるか。
なーんて、話がメンドウになったから、このへんで。
まずは、わが国では、家庭とレストランとの料理献立が、判然と区別されてきた、「この事実を認識」することだろう。
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2015/03/13
食料自給率問題はどうなる。『大衆めし 激動の戦後史』ですなあ。
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