1995年、デフレカルチャー、スノビズム。
まだまだ続く1995年とスノビズム。だけど、このへんで、思いつきだが、小まとめをしておこう。自分のための備忘メモ。
速水健朗さんは『1995年』のあとがきで、こう述べている。要所だけ、あげる。
「オウム真理教の麻原彰晃は、物質文明や消費社会を否定することで、それに共感する若い信者を集めた。だがオウムは同時に、テクノロジーを大いに活用した宗教だったし、極めて消費社会的な手法で運営された団体だった」
「「1995年」も、オウムと同じような矛盾を抱えた年だったように思う。テクノロジーが生んだ物質文明や行きすぎた消費主義への反省は、この頃に臨界点に達した。日本ではそれがオウム事件に行き着いた」
「テクノロジーと消費がリードした時代に終わりが突きつけられ、さらなるテクノロジーと消費がリードする時代が始まる。そんな矛盾がクロスしたポイントが1995年だったように思う」
以上。
おれは、バブルのころ、オウム真理教ではないが、そのころハヤリだった、物質文明や消費社会を否定する、無農薬有機栽培や自然食いわゆるマクロビの人たちのあいだで仕事をしていたことは、すでに何度か書いた。この世界、サヨクばかりじゃなく、ミギもいて、おれはミギの系統だったけどね。ホリスティックとか、かなりヤバイ。
オウム的なるものは、いまも生き続けている。速水さんが指摘する、1995年から始まった新しい時代は「おそらくは、さらに進んだテクノロジーとさらに進んだ消費社会のロジックによって駆動される何かでしかない」という点は、すごく納得。
で、さらに進んだ消費社会のロジックに、このあいだからここに書いているスノビズムが深く関係していると、食に関してだけだが、ますますそう思えてくる。
このスノビズムは、かつての「みやび」の洗練を、より現代的大衆的な方向(つまりは消費大衆に適合する方向)へ向かって、より「上質」を中心にすえているようだ。
そのまわりを、丁寧な暮しとか、丁寧な仕事とか、誠実な職人仕事とか、妥協のない仕事とか、こころのこもった仕事とか、ナチュラル、シンプル、「愛」は昔から…いろいろな言葉が囲み、本来は労働や生産や生活のことが、倫理や精神や心のありかたなどに置き換えられてしまう。
そういう語りの中に、おれのような野暮は、「ああ、上質を知っているワタシは上質ね」という感じの自己陶酔のようなものを見てしまうのだが、そこには、オウム的なもの、つまり物質文明や行きすぎた消費主義に対する反省や批判や否定が横たわっているのも見る。
そして、いま、この物質文明や行きすぎた消費主義に対する反省や批判や否定を含んだ消費が、新たな消費社会のロジックを担い、消費主義をリードしているというわけなのだ。このあたりに、スノビズムの正体がありそうだ。
「上質」が悪いわけではない。「上質」以外のものを位置づけられない、包括し得ない、見下したり、認めなかったり、否定する。そこにまあ、スノビズムとしての存在があるのだろうが。
ところで、速水さんの造語に「デフレカルチャー」がある。
速水さんは「さて、“文化”の定義とは、一定の層に共有されるゆるやかな価値観のことである。経済の停滞によって余儀なくされる生活が一定期間にわたり定着し、その環境で育った人間にゆるやかな価値観が共有される。ここではそれを“デフレカルチャー”と名付けておく」と述べている。
http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=c&m=8&c=8
近頃のスノビズムには、バブルのころの「ワンランク上の生活」に通底しているものを感じるのだが、これをさらにデフレカルチャーとしてとらえて見ると、たとえば、大衆酒場や立ち飲み屋などで繰り広げられる、酒や料理に関するスノッブな会話が思い当たる。ずいぶん安上がりのワンランク上にしても。
食についていえば、1995年以前のスノビズムは、バブル期であっても、大衆的とはいえなかった。大市民的文化人たちがリードしてきた影響下だった。(グルメの分野で、そういう状況に立ち向かった?のが、マスヒロ氏だった)。大衆食堂もちろん、大衆酒場や立ち飲み屋は、はっきり、労働者の生活の場だった。
幸か不幸か、いまでも、大部分の大衆食堂は、ほぼ、スノビズムの周縁か圏外だ。
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