『川の東京学』トーク編2回目は、いろいろ面白い発見があった。
「まちづくり」という言葉は、どうもウサンクサイものがある。それは、生活の中から生きるための必要として生まれたことではなく、そういうことを口にする人たちが、たいがい、いわゆる「仕掛け」の立場であるということが関係しているからのような気がする。
「川の東京学」を始めてから、さらにそのことが気になっているのだが、いったい「まちづくり」なんて必要なことなのか、なぜ必要とされるのか。
そりゃまあ、「コミュニティの衰退」だの、とくに地方へ行けば「まちの消滅」につながりかねない、といわれることはあるのだが。それらは、いま言われているような「まちづくり」ということで、解決されていくのだろうか。
レイモンド・カーヴァーの「大聖堂」(村上春樹編・訳『CARVER'S DOZEN』中公文庫)には、登場人物の会話のなかに、「大聖堂は何百人という工人の手によって、五十年あるいは百年という歳月を費やして建設される」という話がある。
「ひとつの家族が何代にもわたってひとつの大聖堂建設に携わる」「なかには物心ついたときから働きつづけて、一生をその作業に費やし、しかもそれが完成するのを見届けることができないという人々もいる。もっともその点に関しちゃ我々だって大同小異というところじゃないかね」
「我々だって大同小異」にちがいないが、では、その「大聖堂」にあたることはなにか。ひとつは、「まち」だろうと思うが、「まち」が意識されることは、少ない。
この話を持ち出したのは、「川の東京学」は、この大聖堂建設のようなことだと思っているからだ。
さしあたり、この場合、「大聖堂」は「東京」に置きかえられると思う。
ちとデカイ話のようだが、東京のような大都会では、自分たちが生きて生活している「まち」について、「このまちではねえ、こんなことがあったんだよ」というナマの話をする機会は、なかなかない。消費都市化するなかでは、その必要性すら、自覚されることなく、「まち」と「生活」が成り立っている。かのようだ。
そんなことを考えた、『川の東京学』トーク編2回目だった。
4月4日、ゴールデンウィークのど真ん中なのに、10数名もの野暮が参加。
野暮酒場亭主に用意してもらったパソコンモニターで、画像や映像を見ながらのトークになった。
まずは、前回、浦安フィールドワークを画像を見ながら振り返り、そのあと、有馬さんが用意した、川と労働者の街が舞台の「男はつらいよ 望郷篇」「キューポラのある街」「いつでも夢を」などのビデオを見ながらが中心のトークになった。
「男はつらいよ 望郷篇」は、1970年公開のシリーズ5作目だが、浦安が比重を占める舞台になっている。その映像には、先のフィールドワークのときに花見休憩した水門や運河が映し出されるのだが、まだ、運河にはべか舟がビッシリ係留されている。それは、ほぼ、この映画公開ごろを境に消えた風景なのだが、これほどシッカリ映像として残っているとは、おどろいた。
YouTubeには、予告編しかないが、その場面が、ほんのチョット見られる。
https://www.youtube.com/watch?v=CeeZ1ILAr-o
また、こちらのサイトに、「昭和の面影色濃い、浦安の風景」として、その場面が載っている。
http://dear-tora-san.net/?p=63
1962年公開「キューポラのある街」で一躍人気女優になった吉永小百合を主人公に、1963年には「いつでも夢を」が公開になる。
いま映像で、この作品としての「落差」を見ると、いろいろ面白い発見があったが、この2作の舞台は、荒川と工場のある街なのだ。
「キューポラのある街」については、大衆食堂と大いに関係がある場面があるので、『大衆食堂の研究』でも、けっこうふれていて、いま自分で読んでも面白いが、この頃、おれは「川」をまったく意識してなかったということもわかる。
この文章は、こちらに全文掲載している。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_5_04.htm
ま、そんな、なにやかにやで、4月4日の野暮酒場では、楽しく泥酔。おれは、連夜の呑み疲れで帰って来たが、午前3時まで充実した時を過ごした連中もいたようだ。
つまりは、こうして、ワレワレの大聖堂建設は続く。
次回トークは、さらに核心部に入って、さらに泥酔も深まることになるだろう。
当ブログ関連
2015/04/09
4日の「川の東京学」浦安フィールドワークは、大いに楽しく有意義だった。
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