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2015/05/21

手仕事と機械仕事。

ベーカリーレストランの店頭で、「やはり手づくりの焼き立てはおいしいですね」と取材のライターさんに言われ、「ありがとうございます」と返す。本当は、棚に並んだパンの半分以上は、機械成形か、一部に機械仕事が含まれている。

だけど、そもそも「手づくり」の概念は、それほど普遍的でもなければ、ハッキリしているものでもない。それに、食べたライターさんは、その味覚で、「手づくり」と言っているのだから、あえて人様の味覚にケチをつけるようなことを言って反感を買うのも面倒だ。

とにかく「手づくり」がよい、そう思っている読者が多いだけではなく、取材者も、そう思い込んでいる。だからこそ、機械は地下に設置されていて、一階の店舗部分には、オーブンの一部だけを設置すると、それだけで「手づくり焼き立て」のイメージはできてしまう。

仕事というのは、時代と場所とカネによって考え方もやり方も変わるものだし、どうであろうと品質が大事だから、それぞれの条件とやり方で、品質を求める。そういうアタリマエや実態がわかっていないで、単純に手づくりかどうかを判断の基準にする。それは、店にとっては都合のよいことが多いが、当面そうであるにしても、食文化全体からすれば悩ましい。

成形や包あんの機械メーカーはいろいろあって、高度な技術で世界的にも知られている日本のメーカーの機械を、その店では装備していた。高価であるから、装備したくてもできない店もある、垂涎の機械だ。かなり優秀な熟練者並みの性能を有し、アタッチメントが豊富で、その組み合わせにより、さまざまな成形や包あんができる。

機械では、何もかも計算通りになると思われがちだが、そうではない。優秀な熟練者がやっても、どうしてこの味になるのかわからないけどイイ味ができちゃう、ということがあるように、機械でも、そういうことがある。操作をするのは人間だし、パンの場合、いろいろ微妙な要素がからむからだが。

しかし、「手づくり職人」がそういう話をすると、取材者にはとてもよころんでもらえるが、機械の場合は、ヤバイ。機械だからと怪しまれる危険性もある。ま、パンのように嗜好性の強い食品は、商品価値として「幻想」が不可欠だから、仕方ない面もあるのだが。

ただ、こういうこともある。つまり、高価な機械を使ってみもしないし、よく研究もしないで、はなから機械はダメ、手づくりだからこそと決め込んだり思い込んだりすることだ。これは店にもあるし、先に述べたような取材者にもある。ヘタをすると、こういう機械の存在すら知らない。

とにかく、なぜこうなるかわからない部分というのは、属人性が高い作業につきまとう。そこから先、そのわからない部分を、なるべく科学的に解明して自動化機械化したいという情熱を持って研究していく人と、そうではなく、だから手仕事というのは不思議でおもしろい、と、属人性にゆだね熟練度をますようにするかは、たぶん世界観の違いだろう。それに、経営的には、投資の問題や売上と利益構造などがからむ。これは昨今の酒造についても言えると思う。

ようするに、手仕事にこだわるほど真面目で丁寧で真摯で上質であり、機械生産は効率主義で品質が悪く経営としては誠実さに欠ける、という評価の仕方を一般化する傾向は、科学的な思考を後退させる思い込みや偏見につながりかねない。それに歴史的にみれば、手仕事と機械仕事は、補完し合い刺激し合う関係だったのではないか。

昨日のエントリーにも関連する話だが。

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