30年たっても変わらないこと。
昨日は、約30年前、1980年前後に出会った人たちと、ひさしぶりに飲み会。やはり30年前と同じように、酒を飲みながら、あれやこれやの話を楽しんだ。
17時にFイさんと新宿で待ち合わせた。10数年ぶりにあう彼は、少し老けていた、それは仕方がない、おれだって老けている。
まずは鳥園で一杯。お互いの近況を話しあうが、おれは、せいぜい住所が変わったぐらいで、あまり変化がない。彼も、表参道で従業員もいて、イタリア製高級靴輸入販売とフットケアサービスのような仕事をやっていたが、事務所を閉鎖、自宅でインターネットを利用してやるシステムに切り替えたという変化ぐらい。お互い、もっとも変化の少ない10数年だったかもしれない。
18時過ぎに中野へ移動。やどやのボスと女将と合流。Fイさんとボスとは、30年ぶりぐらいの再会になる。女将は初対面だ。この春から営業のドミトリーを案内してから近くの第二力酒蔵へ。
Fイさんとおれが会ったのは、彼が大学卒業後大手商社に就職したものの1年ぐらいで辞めて筑波大学大学院に入りカナダ留学、してみたが、人種差別のひどさに嫌気がさし一年ばかりアメリカ放浪して帰って来たばかりぐらいだった。
彼をおれに紹介したのは、一時日本にいられなくなってアメリカへ逃亡、ほとぼりがさめたところで帰国、大手ゼネコンに席を置いていた、気はいいがアヤシイ男だった。
Fイさんが26歳ぐらいのときだったらしい。おれは37歳ぐらいということになるか。そのころ、おれとボスは、いろいろアメリカとの仕事に手をつけ始めていた。という感じか。アメリカと行き来していたボスは、84年頃から10年間ぐらいは、アメリカに滞在したまま…とか、昔の記憶のアイマイな部分を埋め合わせながら、あれやこれやの話をしているうるうちに、けっきょく、昨今の国際情勢の話に。
国境は低くルーズになるばかり、まるでたががはずれたよう。世界は撹拌され混沌か混乱か。ヤバイことになる可能性もあるが、そこにまた新しい仕事の可能性がありそう。それにしても、熊本は…。
おれたちの関心は昔から、ある種の文化ギャップであり、そこで商売していくことだったと、あらためて思う。
誰のために、どんな人たちのために、なにをしたいのか、そこからビジネスを考える。業界だの、業界での地位だの、業種だの職種だのは、関係なし。名声などもどうでもよいが、計算はシッカリやる。そういうことで業界などからは独立独歩やってきたし、実際のところ、いまやっていることも、そういうことだ。
しかし、おれの「フリーライター稼業」だけが、いささか業界付き合いがあるところで、しかも、仕事を自己表現と考える不健全な連中が多い、古い業界体質と接していなくては仕事ができないという、皮肉な自虐的な位置にいる。
とかまあ、あれこれ、おもしろい話をしているちうちに時間は過ぎて、22時過ぎにお開きとなった。
とりあえず、この春から稼働のドミトリーハウスは、いちおう順調な滑り出しのようなので、よしとしておこう。
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