
2015/05/30「豚レバ刺し問題。」と2015/06/11「豚レバ刺し問題、もう一度。」は、インターネットの「闇」と「泡」な人たちに楽しんでいただけているようだ。
たいがいは、ツイッターによる「蚤のションベン」みたいなもので、予想通り。ブログのこんな短い文章すら、マットウに読めないで、すぐさま何かしら突っ込みどころを素早く見つけては、異分子叩きに走るような「キーッ」な反応で、とるにたらないもの。
しかし、お一人だけ、誠実な方がいた。
「豚レバの生食の危険は指摘されていることで、それ自体にどうのこうのはないが、リスクと禁止の措置のあいだ、それと文化の関係は、十分論議されたようには思われない」「どうもスッキリしない成り行きだった。」という、おれの文章の趣旨に、正確に応えてくださったツイートがあった。とても参考になる。
坂本隆彦_鵜住居(ウノスマイ)@unosumaiさんのツイート。
12:24 - 2015年6月13日
https://twitter.com/unosumai/status/609561978105786369
リスク評価とリスク管理の関係は結構複雑でちゃんと勉強しなければ理解できない。でも一応目安っぽいものはあってそれは1.0e-5という数値ね。10万人に1人が死ねば管理対象になるってこと。//豚レバ刺し問題、もう一度。 https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2015/06/post-0dc0.html …
に対して、最も多勢の傾向の代表的なものを、あげれば、これになる。
片瀬久美子@kumikokataseさん。
11:25 - 2015年6月13日
https://twitter.com/kumikokatase/status/609547140772171777
いつから東京下町の伝統文化に? (^^; RT @kuri_kurita 「東京の下町」って、「豚生食」の「習慣性が高かった」んですか???→ https://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2015/06/post-0dc0.html …
ま、たいがいの人は、生食が騒がれ出してから注目ネタにたかって、気にくわないことにはペッとツバを吐くことで優越感を味わって通り過ぎていくような、インターネットの娯楽であり、すぐ自分がどんなことを書いたかも忘れるのだろうから、よいとしても、この例は、チョイと悪質、というほどではないが、イケナイ。
というのも、おれは「伝統文化」なんぞという言葉は、使ってない。とくに「伝統文化を守ろう」といった趣旨はキライであるから、そういう主張は批判してきた立場だということぐらいは、当ブログを以前から読んでいる方はご存知だろう。
「フォークロア」を「伝統文化」とカンチガイしたのだろうか。あえて読み換えたのか。
「「東京の下町」って、「豚生食」の「習慣性が高かった」んですか???」については、これはまあ、それほど悪質ではない。よくある、自分の都合のよいところだけ引っ張り出して、他を叩いたり無視したり否定する、例の娯楽のテなのだ。
これは、つぎの文章の、最初の、なくても話の本筋は通じるところ。
「せめて、その習慣性の高かった東京の下町の、たとえば前のエントリーでも引用した今回の措置に意見のある「かどや」などの店や、その客の調査をするとか、地域の豚生摂食率と発症率のデータを示すなど、もともと摂食の地域差が大きいはずだから、以前から摂食機会の多かった店や地域にしぼった調査により、もっと摂食実態に即したデータや根拠や判断が必要だったのではないか。そういうことは、あったのだろうか。」
カンジンなのは、「もともと摂食の地域差が大きいはずだから、以前から摂食機会の多かった店や地域にしぼった調査により、もっと摂食実態に即したデータや根拠や判断が必要だったのではないか。そういうことは、あったのだろうか。」であって、普通に読めばわかることだと思うが、「その習慣性の高かった東京の下町の」という部分に、齧りついて、そのあとについては、無視している。
これは、この方だけではなく、摂食地域に対する認識が低い現状があるので、仕方ない面がある。とも考えられる。そこから先、すぐ異なる考えに「キーッ」となるかどうかは、それぞれの人格も関係するだろう。
とりあえず、都合よく、坂本隆彦_鵜住居さんの「10万人に1人が死ねば管理対象になるってこと」にしたがって考えてみよう。
すると、やはり、リスクはあっても管理対象にいたるまでの摂食がありうるし、あってもおかしくないわけで、どのように食べられていたかという実態と、文化の介在が気になるところだ。それを知って、何の不都合があろう。むしろ、食文化的には、「リスクと禁止の措置のあいだ、それと文化の関係」は、知っておくべきなのだ。
それで思い出したのが、あのクドウヒロミさんの名著、『モツ煮狂い』だ。これは、自費出版のリトルプレスで、2006年に第一集、2007年に第二集が出た。第一集が、2002年に創刊し人気上昇快進撃中の『酒とつまみ』の表紙にソックリだったこともあって、好きな人たちのあいだで注目を浴び話題になった。
徹底してモツ煮(いわゆる「モツ煮込み」)にこだわりながら、クドウさんが目指していたのは「東京論」だ。とくに「東京の下町」を、「東の郊外」として探索することだった。ちなみに、クドウさんは東の京成沿線育ちで、当時は「西」に住んでいた。
その『モツ煮狂い』だが、たいしてない本棚を探して第二集は見つかったが、第一集がない。もしかすると、誰かに貸したままなのかも知れないから、気がついた方、知らせてちょうだい。
クドウさんの方法は、モツ煮にこだわりながら、もつ酒場からフォークロアを読み取り、フォークロアのなかに、もつ酒場やモツ煮を位置づけるというものだ。おれが、大衆食堂にフォークロアを見て、フォークロアのなかに大衆食堂を位置づけるのと共通するところがある。
それはともかく、第二集のサブタイトルが、「東京「工場郊外」のフォークロア」で、特集タイトルは、「「川向こう」は今も異世界 もつ酒場は近代化遺産だ!」である。
東向島、八広、京島の中から、クドウさんのお眼鏡にかないピックアップされただけで、16軒ある。
京成押上線と東武伊勢崎線には曳舟駅があるが、その間には、いまでは道路になった「曳舟川通り」がある。北には荒川放水路、西には隅田川。このあたりは、江戸期には江戸ではなく、したがって下町でもなかったが、近代になって工場と工場労働者の街となり、つまり「東京「工場郊外」」の下町になる。そこに、もつ酒場が集中しているのだ。
モツ煮が中心なので、モツ焼やモツ刺しの記述は少ないが、東京「工場郊外」のもつ酒場のフォークロアのなかに、モツ煮やモツ焼やモツ刺しなどが息づいている。
いま、この第二集を読み返してみると、じつに面白いし、クドウさんは貴重な仕事をしてくれた。
そのうち、「川の東京学」で、このあたりをフィールドワークしなくてはならないなと思った。
フィールドワークといえば、豚生食は禁止になったばかりだから、いまのうちに聞き取りなどして、その調理の仕方も含め、なぜどう続いてきたのか、事故はなかったのか、「安全・安心」など客と店の信頼関係は、どう成り立ってきていたのかなど、まとめておきたいものだ。
そうしないと、「異端」「異分子」のこととして片づけられ(いまでも十分異端悪者扱いだが)、「異世界」のことは、もとからなかったことにされかねない。
しかし、やはり、クドウさん、前に一度、一緒に曳舟あたりを飲み歩いて、その後、彼は大手出版社に就職したというウワサは聞いたのだが、いまこの時期だから、『もつ煮狂い』カムバックして欲しい。
もともと、肉食については、主に下層の民のものだったこともあり、たとえば、「粉河寺縁起絵巻」には、シカの生肉を親子三人で切りながら食べて「主食」とし、ほかのものは食べてない様子が描かれているが、米食至上主義のメインの文化と歴史では、あまり語られてこなかった。
今日は、これぐらいにしておこう。『モツ煮狂い』については、いろいろあらたな発見もあるから、また書こう。
