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2015/06/25

味の素。

先月のことだけど、「味の素」が国内生産を止め、海外へ移すニュースが流れた。

たとえば、朝日新聞DIGITALでは、こんな具合。

「味の素」国内生産に幕 操業1世紀、年内に海外へ
2015年5月13日10時43分
http://www.asahi.com/articles/ASH5D62TGH5DULFA03K.html

 味の素は、国内で売るうまみ調味料「味の素」の生産を、年内に海外へ移す方針を明らかにした。原料の一部が高騰するなか、海外での一貫生産で燃料費や人件費を抑える。

 「味の素」は、国内では1914年に操業を始めた川崎市の工場だけでつくっている。サトウキビなどから取り出した糖蜜を発酵させたグルタミン酸ナトリウムを海外の工場から輸入し、不純物を取り除く精製をしている。

 この精製の工程を年内にタイ、インドネシア、ブラジルなどの海外の工場に移す。川崎市の工場に残るのは、精製したグルタミン酸ナトリウムを別のうまみ成分でコーティングしたり、瓶に詰めたりする工程だけになる。

 「味の素」は年間で60万トンを販売。その大半は海外向けが占めるという。

……以上。

味の素は、近代日本人の味覚に大きな影響を与えてきた。直接的にだけでなく、とくに戦後の急増する人口と、それを支える食品産業の量産化は、味の素をぬきに語れないはずだ。必需の味噌や醤油、嗜好品の酒や菓子(とくにスナック菓子)など、そして、さまざまな調理半調理の加工食品。さらに、それらを使用する外食産業の成長。

おれの「味の素歴」を振り返ってみると、新潟県の田舎町で初めて、あの赤い缶から耳かきのようなものですくう味の素を見たのは、7歳ぐらいのことだ。ほとんどまわりで知る人が無かったころ、新しもの好きのおれのオヤジが、どこからか持ち込んだ。オヤジは、おれを連れて、町内を歩きまわり、みそ汁に入れて食べさせた。そのときの、大人たちの興奮と騒ぎようは、いまでも覚えている。

味の素の年表によれば、1950年に「国内販売の統制が外れ、自由販売開始(8月)」とあるから、そのころだろう。

貴重品だった赤い缶から赤いキャップの卓上の瓶に変わったのは、それからしばらくしてだった。毎日の食卓に欠かせない、白菜や胡瓜や野沢菜などの漬物に、あの白い結晶が不可欠になった。味の素の赤いキャップを見ると、なんだかワクワクした。

赤いキャップになってからでも、味噌、醤油、砂糖、塩以外の調味料などは買う習慣がなかったこともあって、味の素は節約しながら使っていた。

おれの周囲では、たいがいの料理にちょちょっとふるていどだったが、1970年ごろには、赤いキャップと白い結晶が過激なほど使用される景色が見受けられるようになった。

料理屋や酒場で、刺身を食べるのにも、刺身に白い結晶をかけたり、醤油皿の醤油の中に白い結晶を山盛りにし刺身につけて食べたり、漬物にしても表面が真っ白になるぐらいかけるのだ。

おれは、築地市場へよく仕事で行くようになったのが70年代前半で、場外の店に、業務用の透明の10キロ袋ぐらいの大きさに入った味の素が山のように積まれ売られているのを見て、ちょっとギョッとした。

そのように使用が過激のピークになるころ、「味の素は石油からつくられている」というウワサが広がったこともあって、白い結晶に、いろいろな疑惑が集まりだした。

高度経済成長も曲がり角、公害問題が世間をゆるがす。進歩と発展と成長のシンボルだった近代文明を象徴する工場と、その商品に対して、疑惑や警戒や批判が噴出しはじめた。とくに、50年代はあこがれだった石油製品に対する人びとの態度は、「意識の高い人たち」を中心に変化が生まれ、70年代前半には、自然食ブームが到来する。

いま調べたら正確には75年のようだが、三重県四日市コンビナートで大きな火災があり、そこに味の素の工場があったのが広く知られることにより、「味の素は石油からつくられている」が、ますます真実味を持って拡散した。

当時、技術的には石油たんぱくの製造が可能になって、それの食品への使用がゴーになる待機状態にあった。オイルショックもあって、進行しなかったが、「味の素は石油からつくられている」のウワサの根拠の背景にはなった。

そのあたりから、味の素の広報や広告の「苦労」ぶりが目立つようになった。えーと、味の素の原料は、トウモロコシですとか、サトウキビですとか。

そうそう、瓶の振り出し口のふたの穴を大きくすることで、一度ふるたびに出る量が増えるようにして、販売量をあげたりした。それを発案した人は出世したもので、ほかの食品会社でも、似たようなことをして出世をたくらんだ人もいる。

それから、いつのまにやら、「化学調味料」といわれていたものが、「うま味調味料」といわれるようになったな。

おれは『大衆めし 激動の戦後史』に書いた、江原生活料理研究所のころには、味の素は使わないようになっていた。味の素が「毒」だとか、健康に悪いとか、ではなくて、料理に対する考え方の変化によるものだ。「うまさ」を、どう考えるかということに関係する。味の素を否定したいわけじゃない。いまでも。

最近は、「和食」が世界文化遺産に登録されてから、だしとだしのうま味が、和食伝統文化の特徴であるかのような言説が流れている。そこに登場するのは、かつお節や昆布のだしだ。

しかし、これらが、日本人一般の「和食」文化に広がり貢献するようになったのは、味の素の歴史とたいした違いがないはずだ。それに、「ウマミ」という味と言葉を世界に知らしめたのも、かつお節や昆布ではなく、味の素の功績の方が大きいだろう。

それから、中国料理はもとより、タイ料理やインド料理などの日本への進出と普及にも、大いに貢献している。

いま国内の軍需産業を中心にキナ臭い話が多くなっているが、平和な国際交流に大いに活躍してきた国際的な商品、味の素は、もっと評価されてもよいかも知れない。

なーんて書くと、PRライターになってしまうが。

味の素の一世紀は、なかなかおもしろい。

なにしろ、戦前から「蛇からつくられている」など、なにかとワルイウワサや伝説に取り巻かれ、毀誉褒貶が激しいのだ。

また、いまどきの高齢者は、一人ひとりが、味の素の個人史を持っているのではないだろうか。それは味覚の個人史でもあるだろう。それに、年齢を問わず、多くの加工食品に潜んでいる、うまみ調味料ファンも少なくないはずだ。

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