イカ天。
このあいだ、近所のスーパーの惣菜売場でイカ天が目にとまり買って食べてから、しばらく遠ざかっていたイカ天が気になりだした。
遠ざかっていたのに、理由はない。なんとなく、イカそのものをあまり食べなくなっていただけだ。
ひさしぶりに食べたイカ天は、うまかった。モンゴウイカの天ぷらだった。
それで思い出したのだが、モンゴウイカの天ぷらを初めて食べたのは、1962年に上京してからだ。いまの新宿西口の思い出横丁、昔のションベン横丁のつるかめ食堂でだった。
そのころのつるかめ食堂は、座ったカウンターの目の高さのへんに棚があって、いろいろなおかずがバットに盛られて並んでいた。そこに、イカ天は2種類あって、ふつうのたぶんスルメイカの類のものと、モンゴウイカだった。
食堂のオニイサンに「どっち」と訊かれ、なにしろ上京したての田舎者で、つるかめに入るだけでも勇気がいったのに、そんなことを訊かれて、ドギマギしていると、オニイサンがその2種類を指して教えてくれたのだ。
それで、初めてのモンゴウイカの天ぷらを食べた。
厚い身のうまさと食べごたえに感動して、それからは、いつもモンゴウイカの天ぷらを頼んだ。
上京するまえの、中学生や高校生のころ、うちではオフクロがよくイカの天ぷらを揚げた。そのイカは加工品で、スルメか、塩イカとよぶイカの一夜干しだった。
スルメの天ぷらってのは、ようするにアタリメの天ぷらで、駄菓子のようでもあり、酒の肴のようでもあるが、日常スルメを焼いておかずにすることが多かったのであり、それを天ぷらにするのは、「上等」のほうといえた。そして、それより上等なのが、一夜干しであり、一夜干しの天ぷらだった。
一夜干しのあぶったのは、スルメでは味わえない少し厚めのイカの身の甘みと塩の加減が、ちょうどよい塩梅で、あとをひくうまさだった。これを、さらに天ぷらで食べるときは、ごっつおうだった。
とにかく、スルメは安い保存食だったのだろう、厚い束が買い置きしてあった。一夜干しのほうは、たまにしか食えなかった。
考えてみると、新潟の山奥の田舎町でも、生のイカも氷詰めで無くはなかったはずと思うが、魚といえば干物が中心だったから、記憶がない。スルメは、祝い事につきものだったが、正月料理の酢のものに不可欠だった。
つるかめでは、モンゴウイカの天ぷらばかり食べていたのだろう、別の普通のイカ天のほうは、まったく覚えがない。揚げたてではなく、バットのものをそのまま皿に盛って出され、油の質も悪かったと思うのだが、とにかくうまかったということしかない。
モンゴウイカがアフリカ産であることは、いつのまにか知っていたが、70年代初めに大手水産会社の仕事をやるようになって、その会社がアフリカ西海岸に事務所を設けているのは、ほとんどモンゴウイカのためと知った。
送られてくる漁獲中の写真を見せてもらったりしたが、記憶に残っているのは、駐在員が撮影したアフリカの女性のヌード写真だけだ。独身の駐在員は、海岸まで続く広大な敷地の家に住み(その写真もあった)、メイドを数人抱えていた。いい暮らしで、日本には帰って来たくないような話しだった。そういうことばかり覚えている。ま、ありがちな南北格差の構造のなかで、モンゴウイカの天ぷらを賞味していたということだ。
いまの日本では、食べ物の何を取り出してみても、たいがいは国際関係のなかにある。だけど、それが生活レベルで日常の話題になることは少ないようだ。国際感覚なき国際消費。
10年ほど前ぐらいまでは、スルメイカやヤリイカは、いろいろに料理して食べていたが、天ぷらにしたことはない。とくに理由はないが、イカの天ぷらは、決まって、惣菜か外食で、モンゴウイカであるかどうかも気にしなくなった。
大衆魚というと、漁獲量の変動もあってか、あるいは季節感もあってか、サンマやイワシなどの青魚の系統ばかりが注目を浴びるが、イカも、かなりの消費量だ。寿司屋の安いネタの定番でもあるな。
あまりあてにならないウイキペディアには、「日本は世界第一のイカ消費国であり、その消費量は世界の年間漁獲量のほぼ2分の1(2004年現在・約68万トン)とも言われている。また、イカの一種であるスルメイカは、日本で最も多く消費される魚介類である」とある。
例によって、世界中の海からイカを獲ってきている。水揚げ高日本一の青森は八戸港で、大型のイカ釣り船を見たことがある。ちょうど入港したばかりで、一度出港すると、南米チリ沖などで、半年間漁を続け船を一杯にして帰ってくるとか。
近頃は、アジにしてもそうだが、干物のほうが高くつく感じだ。近所のスーパーの魚売り場で、ときどきイカの一夜干しを見かけるが、一枚250円以上もする。これをあぶって酒の肴にするとうまいのだがなと思いながら、なかなか手が出ない。
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