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2015/06/01

料理と味覚、東京の山の手と川の手。

「川の東京学」に関係するが、少し前、インターネットで「グルメランキング1位が密集する東京・小岩の行くべき店3選」という記事が話題になった。

東京の東の外れ、小岩駅。
この街がグルメタウンとして急激に注目を集めているのをご存知だろうか?
食べログを確認すると、タイ料理カテゴリーで日本一の「いなかむら」、ネパール料理カテゴリーで日本一の「サンサール」、焼きとんで東京1位の「豚小屋」など各ジャンルのトップ店が密集しているのだ。

というぐあい。
2015/01/29 15:21:23
http://guide.travel.co.jp/article/8154/

いわゆる日本の「伝統文化」や「伝統食」とは異なるものばかりではないか。「いずれも予算2~3千円あれば、さまざまなメニューが食べられる大衆店」というのも、おもしろい。

2015/05/30「豚レバ刺し問題。」で引用した記事では、墨田区向島の大衆酒場の店長は、「大衆酒場で安く出すには、鳥か豚のレバーになる」と言っている。

20年前、1995年の『dancyu』4月号は、特集が「家庭料理」だ。そこで、漫画家の槇村さとるさんが、自分と家庭料理について語っている。まさに、自身のフォークロア。

彼女は、1957年、東京都葛飾生まれ。父親は電気工事の職人だった。「ハイカラなものが一切上陸しない家でしたから、おかずは魚の焼いたのが多くて、肉はあまり食べませんでした」。11歳のある日、母親が家出する。「その晩から私、主婦でしたよ」「親戚のおばさんから鶏肉やモツの存在を教わったり、料理番組を見たりもしました」「そのころは、ただ早くつくりたかった」

11歳といえば1968年。「この暗黒の主婦時代」があって、漫画家・槇村さとるが生まれる。

「親戚のおばさんから鶏肉やモツの存在を教わった」という話は、向島の大衆酒場の店長の話とも通じる。

日々の生活で「安さ」「早さ」を判断(価値)の基準にする文化の存在は、単に「貧しい生活」ということですまされ、文化的側面は意識されたり評価されたりされることがほとんどなかった。とくに、山の手的文化にあっては。

よくサザエさんの家族が、戦後の家庭のロールモデルのように語られるが、料理においても、サザエさんの家族が住む山の手的文化の香りがロールモデルとしては不可欠だった。やきとんやモツにかぶりつく文化ではなく、「ハイカラ」な「上質」なイメージだ。

槇村さんが見た料理番組は、どのようなものか知らないが、おそらく、山の手的文化のイメージだっただろう。

料理雑誌や料理番組に登場する「料理研究家」も、山の手的文化のイメージの演出者であり代表者であり、たいがい山の手的文化の住人で、出身が川の手である場合でも山の手に住むかして、自らの出身地を明かし自身のフォークロアにもとづき料理や味覚を教授するようなことは、できる環境になかった。

安さ早さのなかに文化を見い出せない、あくまでも丁寧な手仕事を上質とするロールモデル。

デフレカルチャーの時代になって、「安さ」「早さ」は、料理と味覚の分野では不可欠なほど大いにもてはやされているが、スタンダードな文化として共有されたような感じはない。生活の文化としての料理と味覚の底の浅さではないのかな。

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