100年。
100歳以上の人と話したことはないが、80歳以上の人とは、けっこう話す機会がある。たいがい、飲食店の方だが、やはり爺さんより婆さんのほうが多い。それも、スガレ系の食堂や飲み屋のカウンターのなかで、店の佇まいより、はるかにハツラツとしている婆さんだ。
今日も、そういう婆さんと出あった。82歳。ご主人が身体を悪くしたので、一人で店に立っている。ご主人は、どうやら店の二階の部屋で寝ているらしい。昔の古い安普請の建物で、ときどきガサゴソ小さな音が響いた。
店は52年前に始めた。婆さんは30歳のときだ。
「50年とは、すごいじゃないですか。いまどき、飲食店は難しいからねえ」
「まさか50年も続けているとは思わなかった」
「何年かしたら、別の商売をするつもりだったの」
「そういうことじゃなくて、何年後なんて考えずに、毎日生きていくために働いていただけ。そしたら、50年たっていたの。主人が倒れてからは、ますます働かなくては生きていけないしね」
「昔は、人生50年といったけど、昔の一生分、店をやっているわけだ」
「そういうこと」
婆さんは80過ぎとは思えないほど、色つやがよい。婆さん、なんていうのは失礼だ。
「現代人は」と、婆さんは言う。
「この通りは美観がよくないから、もっと美しくしろというのよ、区役所がね。ちゃんと働いて税金払っているのにさ。自分たちは税金で新しい高い綺麗なビルにおさまって。街中を、同じようにしたいのかしら。でもね、こういう店がよくて来る人もいるの、こういうところに美しさを感じる人もいるのよ。どうも現代人の美しさとは違うみたい」
この店は、再開発されたビルの谷間に残った、古い建物が並ぶ細い通りにある。
出てくる食べ物は、ぜんぶ、婆さんが作っている。たくあんも、漬けている。そのかわり、「現代風の食べ物はないの」と言う。ポテトサラダやハムエッグはあるが、それは婆さんが子供のころから知っているものだから「現代風」ではないらしい。
この店を支えてきたメニューは、そういうものだ。現代風ではないかも知れないが、100年以上か100年近くは食べられている料理ばかりだ。この100年は現代だろうと、おれは考える。
100年続くかどうかなんて、誰も考えずに、だけど続いてきた料理が、たくさんある。婆さんが、何年後なんて考えずに、毎日生きていくために働いてきた結果、いまも店が続いているように。
しかし、最初から100年続くものを作ろうと考える人もいるようだ。近頃のモノヅクリや、本づくりでも、そういうことを耳にする。しかし、過去、100年も続くものを目指して作るなんてことが、どれほどあったのだろう。「100年続くもの」「長く続くこと」は、最初から、そのように企画されたものなのか。
あるいは、史書や、神社仏閣のたぐいは、そうかも知れない。「長寿思想」は昔からあり、鶴や亀のようにという願望があったのは確かだけど、権力者の志向と密接だし、なにより願いと意図では、ずいぶんレベルが違う。
願望を超えて、「100年続くものを作ろう」というような考え方は、いつごろからどう生まれたのだろう。なんだか、小賢しい、高慢な考えのような気がした。そういえば、「歴史に残ることを」って言っていた人たちも、おれのまわりにいたな。ウサンクサイ、政治家や、似たような野心家たち。
たいがいは、100年続くことより、いまの必要や切実から企画され、結果として100年続いているということが、はるかに多いのではないか。
林業家が話してくれた100年を思い出した。杉を育てる林業家の100年は、苗を植えてから3代にわたる。孫の代を考えて苗を植える。当然だが、最初から100年の杉ではない。苗の頃から、杉にとって必要なことをしてやる、すると杉も応えてくれる。そのように成長するのだが、難しいのは、子供のことも含め孫の代があるかどうかだと。
カンジンな、人間が、いちばんアヤフヤなのだ。
なんだか、今日は、婆さんとの出あいから100年を考えてしまった。
最初の写真は、52年前の開店のときに贈られた額。「いまでは、こういうの作る人もいないし、贈ったりもしないでしょ」。おれも婆さんも、この浮き彫りをはめた額を、なんて呼んだか、それすらもう思い出せなかった。だけど、この店と共に、ここにある。100年続かなくても、それでよいではないか。
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