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2015/07/12

「川の東京学」トーク編3回目は、にぎやかで、有意義だった。

今日は、忙しい。とりあえず、きのうのことを簡単に書いておこう。

きのうは、野暮酒場@小岩で「川の東京学」トーク編3回目だった。

17時開店、18時スタートだったし、急に暑くなったことでもあり、おれは上野でチョイと一杯と腹ごしらえして、17時半ごろ野暮酒場に着いた。すでに、飲んでいるのが、3人ほど。続々と、という感じで集まり、18時過ぎにトークを始めた。

今回は、『大衆食堂の研究』発行20周年(この本の発行は1995年7月31日なのだ)特別企画ということだったので、おれは20年前ごろの、とくにその後閉店した大衆食堂の写真を中心にタップリCDに焼き付けて持って行った。有馬さんは、ときわ会のときわ食堂20数店の写真を用意。

それらを、モニターで見ながらトーク。『大衆食堂の研究』が出るまでのことや、1995年前後のことなど、あれこれ。まいどのことだが、トークの途中でも、参加者が口をはさむのは自由なので、どんどんにぎやかになる。途中から「川の東京学」などどうでもよくなるにぎやかさ。

いろいろバラバラに話がはずんで、そういうなかで、ひらめくこともあり、なかなか楽しく、いい発見があった。こうして、「川の東京学」は、トークの方法そのものも雑駁雑多に「東京低地」らしく進むのだろう。川の流れのように、いろいろ混ざり合って。

不便な場所なのに、野暮酒場は初めてという2人の方も含め、参加者は20人近くいたのではないかな。野暮酒場の小さな箱が一杯だった。

資料として、おれが『雲遊天下』111号の特集「なくなったもの」に寄稿した、「大衆食堂から見たなくなったもの」をコピーして配った。

有馬さんが、図書館かどこかで見つけた葛飾区の何かの雑誌に、「モツ煮狂い」のクドウヒロミさんが、「工藤博海」の名前で書いている、「「下町酒場ブーム」の盲点:葛飾の風景の変遷から考える」のコピーを持ってきてくれた。その内容が、おれが『雲遊天下』に書いていることと、かなりシンクロしていて、まさに「川の東京学」的。

しかも、工藤さんの文章の最初「なぜ本稿が書かれたか」に、「知人のライター・遠藤哲夫(エンテツ)氏は、次々と「目新しい店/珍しい店」を仕立てあげ、押しかけるメディア取材を「急降下爆撃」と呼ぶ。常連相手に数十年変わらぬ業態を保ってきた(東京低地の)家族経営の個人店にとり、取材は「荒らし」行為のほかならない」と書いているのだ。

工藤さんは、「大都市の恩恵で豊かな消費生活を満喫するミドルクラスと、地域共同体の束縛など考えもつかない生活を送る山の手のマスコミ人たちがもてあそぶ「下町情緒」の擬制」を、告発しながら厳しく批判している。

そして、「では、どうすればよいか」について、述べているのだが、きのうは、その「では、どうすればよいか」について、トーク自体はあまり深まらなかったが、大事な示唆的なことがあった。なんだか、さらに一歩進んだ気がして、大いに満足な気分で帰って来た。

おれは、電車の関係で早く帰るのだが、野暮酒場を出る22時半ごろでも、ほかの連中は、にぎやかに盛りあがっていた。

とにかく、参加のみなさま、ありがとうございました。「川の東京学」は、ますますおもしろくなりますよ。

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