
光瀬憲子さんの『台湾縦断!人情食堂と美景の旅』は、台湾へ行かなくてもいい、台湾を深く深くタップリ楽しめる。
2014/07/05「台湾にもある大衆食堂パラダイス。光瀬憲子『台湾一周!安旨食堂の旅』は快著だ!」に紹介した、『台湾一周!安旨食堂の旅』は昨年の6月15日の発行だった。これが、売れ行き好調、まだ再刷も決まっていないうちに、第2弾の本書の企画が決まった。という話は、昨年8月、光瀬さんたちと飲んだときに聞いた。
そして、本書は、今年の2月14日の発行だ。短時間の取材と制作だが、すごく充実している。
前の本の紹介のときには、なにしろ食べ物の話が魅力的で、このことを意識せずにブログを書いた。つまり、光瀬さんは、アメリカの大学を出てから台湾に住み、ジャーナリストを志していた人であることだ。今回は、そのジャーナリストの視線を強く感じた。
それに、台湾人と結婚し子供を育て、あるいは上海で暮らし、離婚した1972年生まれの女性の、簡単に言ってしまえば、苦労人の視線がある。
台湾は、多民族が暮らす島でありながら、日本時代があり、国民党時代があり、北京語に台湾語、外省人と本省人、原住民の言語などが、複雑にからんでいる。それは、文化の多様性でもあるが、その機微をとらえるのは、簡単ではない。そこを、著者は、縦横無尽に歩きながら、食べ飲み話し、独特の文化を掘り起こし、現地の人に案内され秘境を楽しみ美景を味わう。
そういうわけで、「人情」も「美景」も、単なる謳い文句ではなく、鮮やかに興味深く描かれている。
第一章は、艋胛(バンカ)。台北のディープゾーン探検だ。
その最初、著者は、こう述懐する。
「台北郊外に暮らしていた20代の頃は見向きもしなかった。いや、まったく視界に入ってこなかった。/あの頃の私は、全然違うところを見ていた。自分は何でもできると思い込み、世界を股にかけるジャーナリストになることを夢見ていた。がむしゃらに仕事をして、必死で子育てをして、まっすぐに生きることばかり考えていた。その後、辛酸をなめ、40代になってみると、今まで見えていなかったものが見えてきた。井の中の蛙とは私のことだ。そう気づいたのはもう30代も半ば過ぎてからだった」
そして、台北に来るとその日のうちにバンカへ足を運ぶことが多くなった。
その彼女が、バンカの、酒が飲める廟とヤクザの事情や抗争と旨い店を語る。「50年来、同じ味で牛肉炒めと牛モツスープを出しているこの店には何十年も通いつめている根強いファンが多い」しかも「牛モツスープはたったの40元(約150円)。この値段で牛モツスープが飲める店など、台北のどこを探しても見つからないだろう」。
昼酒を飲むおやじたちに混じって著者も飲む。「料理上手な肝っ玉女将」や、よく働く美人姉妹のお粥、会ってみたい人たちや、食べてみたい店が、続々と…ってことだから、台湾へ行かなくても台湾を深く楽しめる本だが、やっぱり行ってみたくなる。
第二章、「北端の離島、馬祖(マーズー)」は、台湾の北端の島、しかも大陸に近い。基隆から、飛行機もあるが、10時間かけて船で行く。馬祖と大陸のあいだは、船で30分だ。
ここは、かつては海賊の基地だった。その名残りが地名や廟にあったりする。戦後は、大陸に対する軍事基地の島になり、兵隊さんのまちになった。島の人たちは、あまり外食の習慣はなかったが、兵隊さん相手の飲食店が繁盛した。兵隊さん御用達の馬祖バーガーや揚げものがうまそうで食べてみたくなる。
馬祖は1993年に軍事基地としての役割を終えるのだが、それは、中国が大陸から台湾本土まで届く弾道ミサイルを開発したからで、「馬祖でどうあがいても、台湾本土にミサイルが落とされればお手上げだ」ってことで、馬祖に軍事基地を置く理由がなくなったのだ。
「中国との関係が改善されたから軍事施設が少なくなったわけではないのだが、それでも両岸関係は以前とは違う。台湾と中国は経済面ではとても密接に、複雑にからまり合っていて、ミサイル一つでは何も解決できない関係になっているからだ」という著者の指摘は、いまどきの日本も考えてみる必要がありそうだ。
もちろん風景のよいところで、オーシャンビューの石造りの民宿はあるし、おしゃれなカフェの自家製老酒を飲みながら海を眺めるのも魅力的だ。
面倒な漢字はカタカナにするが、第三章「イェンチェン」は、「高雄の横浜、レトロ散歩」。第四章、本島最南端の熱帯リゾート「墾丁(ケンディン)」。第五章、台南に負けない安旨の宝庫「嘉義(ジャーイー)」。第六章、先住民の聖地を歩く「阿里山(アリサン)、栗松温泉(リーソンウェンチュェン)」。番外編、「台湾「大衆酒」探訪」。というぐあい。
第六章では、日本マンガ大好きの先住民ガイドの少年が登場する。ツォウ族の学校に通い、腰に鋭い刀をさしているが、日本の漫画やゲームも大好きだ。
ツォウ族のアフさんは、3人の娘たちを育てるために、いくつもの仕事をしている。著者たちが泊った民宿を手伝いながらドライバーも務め、製茶工場で働き、茶園の仕事も手伝ったり。
大陸からの団体観光客も多い。彼ら陸客たちは、年に2~3回、仕事仲間と海外旅行へ行くらしい。「アフさんがため息混じりに言った。「あの中国人たちはすごいな。毎年あんなに旅行に行くなんて。俺は女房子どもを年に一度旅行に連れて行くことすら難しい。仕事があるからね」
「私は返答に困った。私だって、何が幸せなのかはわからない。でも、阿里山であらゆる仕事をこなし、高雄や嘉義で暮らす高校生の娘たちとのたまの会食を心待ちにするアフさんには、海外旅行では見えないものがちゃんと見えているはすだ」
光瀬さんならではの眼差しを感じる。
「墾丁に向かう際、台北→高雄は深夜バスを利用した。飛行機のファーストクラス並の豪華座席。トイレ付。所要約5時間。片道運賃が700元(約2600円)前後で、1泊の宿代が浮くことを考えると、悪くない選択だ」など、細かなガイドまであるけど、著者が動くように動き、食べたように食べ、飲んだように飲み、見たように聞いたように、そして思い考えてみる紀行の楽しみが大きい。
とくに、当面、アフさんのように仕事が忙しかったり、ヒマもカネもなく、台湾へ行けそうにないおれのような人間を、とても満足させてくれる。
それに、ゲストハウスの経営に関わり(スタッフには、台湾の女性もいるけど)、「旅人文化」なるものを志向しているおれとしては、ここに書かれた旅は、まさに旅人の旅。ドミトリーや民宿などを利用した、安い自作の旅の面白さや味わい深さがタップリ。はあ、やっぱり、旅人は、いいね。ってこと。
光瀬さんの文章は、その視線もあるが、翻訳業をやっていることもあるからか、ちょっと翻訳文のようなところがあって、ドライなタッチが心地よい。なんというか、日本的な情緒的な思い入れやネチネチがなく、余計な技巧的な装飾や言い回しもないし、いい感じだ。