「川の東京学」リンク集。
一昨日の「川の東京学」トークを思い出しながら、あれこれ考え整理しているのだが、おもしろくてコーフンが止まらない。
有馬さんが撮影した、ときわ会に所属のときわ食堂20数店舗の場所が、ごく一部は台地にあるとはいえ「下町色」の濃い地域で、ほかは見事に「東京低地」のジャンク地帯にあること。その佇まいも、「山の手」文化との違いがハッキリしていること。
20年前の『大衆食堂の研究』のころは、「山の手」にも、まだジャンク地帯といえるところがあり、また、東のときわ食堂のように勢力を張っていた「やしろ食堂」があったが、ジャンク地帯は「山の手」文化にのみこまれ、やしろ食堂も、ずいぶん少なくなった。
「川の東京学」を続けることで、これまで見逃してきた資料やコトが、発見できるのもよい。今回のトークでは話す機会がなかったが、2000年ごろの『散歩の達人』を読み返してみると、「山の手視線」で「下町」が塗りかえられていく様子が、みごとに残っている。
たとえば、1998年の『下町酒場巡礼』(四谷ラウンド)でブームに火がついたかっこうの、大はしや大久保や丸好などが並ぶ「大衆酒場考」で、「大衆の、大衆による、大衆のための名酒場で……」を謳いながら、「名物・牛にこみのうまさに、文化の香りまで感じる酒場の王道」だの、「安くてうまい、だけではない。文化人にも愛される。それが上々吉の酒場の条件なのだ」なーんて書いてあるのだ。噴飯ものですね。
だけど、このように思い上がった「文化の香り」は、いまやマンエンして、都会の空気のようになっている。
メディアまわりで「文化の香り」だのが、やたら珍重されるようになるのは1990年代、おそらく速水健朗さんのいう「デフレカルチャー」と関係しているように思う。そして、メディアまわりの「文化の香り」の高い人たちによって、人びとは「文化の香り」に飼いならされてきた。その文化は、「安くてうまい」だけじゃいけないという、選良思想に支えられて、侵略する「東京(山の手文化)」のコアな思想になっているようだ。
そんなこんないろいろ考え、「川の東京学」は、これから地味に野暮に力をつける時期だと感じ、とりあえず、これまで当ブログに書いた「川の東京学」がどんなだったか気になったので、リンクをはっておくことにした。
2015/07/12
「川の東京学」トーク編3回目は、にぎやかで、有意義だった。
2015/07/04
モツと生存とアートをごちゃごちゃと。
2015/07/03
生存のめし。
2015/06/29
7月11日(土)は、野暮酒場@小岩で「川の東京学」トーク。
2015/06/20
東京新聞「大衆食堂ランチ」32回目、亀有・常盤仙食堂。
2015/06/15
「モツ煮狂い」と「川の東京学」。
2015/06/12
「川の東京学」トーク編3回目は、7月11日(土)。
2015/06/08
北浦和スウィングフェスティバルのち「川の東京学」的散歩、蕨で泥酔。
2015/06/01
料理と味覚、東京の山の手と川の手。
2015/05/31
1995年、デフレカルチャー、スノビズム。
2015/05/29
スノビズムと味覚または料理または食。
2015/05/22
雑誌って、ナンダロウ。本って、ナンダロウ。南陀楼綾繁って、ナンダロウ。
2015/05/13
『川の東京学』トーク編2回目は、いろいろ面白い発見があった。
2015/04/30
5月4日、『川の東京学』第二回トーク編@小岩・野暮酒場。
2015/04/21
東京新聞「大衆食堂ランチ」29回目、南行徳・丸平食堂。
2015/04/09
4日の「川の東京学」浦安フィールドワークは、大いに楽しく有意義だった。
2015/03/30
「語られてこなかったこと」が示すもの。『川の東京学 フィールドワーク編(1)』と『常磐線中心主義』。
2015/03/18
「川の東京学」メモ。抑え込まれてきた、「川の東京」の発掘。
2015/03/16
「清龍新酒祭り」から、4月4日「川の東京学」へ。
2015/02/27
北浦和で3軒ハシゴ、「川の社会学」から「川の東京学」へ。
2014/11/11
いま、森を見よ。「三隈川かっぱめし」の巻。
2014/10/23
泥酔野暮トーク「川の社会学」。
2014/09/25
泥酔野暮トーク「川の社会学」をやります。
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