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2015/07/23

車夫馬丁。

昨日のエントリーを読み返してみたら、「馬丁」という言葉がトツゼン登場している。おれは、タクシードライバーの関連で、「車夫馬丁」が頭にあって書いたのだが、トウトツな感じではある。

「車夫馬丁」という言葉は、1960年代ぐらいまでは、けっこう使われていて、タクシードライバーは、「車夫馬丁」扱いされていた。という文章が、その前にあるべきだった。

ようするに、「肉体労働を頭脳労働より低く見て身分差別につながるもの」(http://tokusyu.sppd.ne.jp/nhk/jinken/02.html)があって、教養のない無知蒙昧の人間が就く、卑しいとされていた職業の代表だったのだ。

差別用語の問題は、なかなか難しい。とにかく、職業差別や職業にまつわる優劣観は、さっさと無くすべきなのに、戦後の「民主主義の時代」とかいわれても、1000年以上にわたり、生活のすみずみまではびこっていた、儒教思想は、そう簡単に克服されるものでないのだな。肉体労働を頭脳労働より低く見る傾向は、まだまだはびこっているように見える。

それと、人と仕事を切り離して考える近代性の遅れ、これはまあ儒教思想の克服と関係するのだろうけど、これがなかなか問題なのだと思う。

昨日も書いたように、仕事で人の評価を決めてしまうなんて、ごく普通にまかり通っている。仕事で人を評価する人たちは、仕事に対する批判と人に対する批判の区別がつかず、仕事の批判に止まらず人まで貶めたり、逆に、自分の仕事を批判されると、自分が否定されたかのように、過剰に反応する。

ツイッターなどでも、よく見られるが、思想の問題なのか幼稚性の問題なのか、よくわからない。仕事は批判にさらされて当然という考えも持てないものが、政治を仕事にしたり文筆を仕事にしたりするおかしさ。

これはアタマで「民主主義思想」を持ったぐらいでは、うまくいかないからだろう。人から仕事を切り離し、人は人として見て、仕事は仕事として機能で見るってことになるまでが、なかなか大変だ。

一方、人を機能としてだけ見る経営がある。これは、いわゆる「アメリカ式」のやり方を、都合のよいようにまねた結果だろうけど、チェーン店経営などに、けっこう見られる。行き着く先は、人権無視の「ブラック」だ。

飲食店や料理の世界には、この二つの傾向が、顕著だ。ゆがんだ儒教思想の上に、ゆがんだ近代化がのった結果か。

少し前に、久松達央さんの『小さくて強い農業をつくる』を紹介した。久松さんは、農作業の言語化と数値化をめぐって、このようなことを書いていた。

「仕事が言葉に落とし込めている=属人化させない仕組みがあることによって、仕事が「人」ではなく「機能」で見えるようになるのです。ある目的が達成されるためには、どんな条件が満たされなければならないかがはっきりしていると、誰かのせいにして終わり、になりにくいのです」

「逆に「人」をブラックボックス化してしまって、「機能」に切り分けないと、「気をつけろ」「気合いで乗り切れ」以上のことは言えなくなってしまいます」

ここはキモで、健全な近代思想だと思う。経営規模の大小や仕事に関係なく大事だろう。

しかし、気になるのだが。

この久松さんの本は、晶文社の「就職しないで生きるには21」シリーズで、本の後ろに「好評発売中」の広告があって、並ぶ本5冊は、いずれも「頭脳労働」系と判断できるものなのだ。これ、「差別」とはいわないけど、偏向してないだろうか。

そもそも「就職しないで」の意味も、アイマイなのだが。ことによると、低賃金低収入を固定化する労働力流動化政策にのっかったものと、見えなくもない。アブナイ感じだなあ。

就職しないで生きている人たちは、以前から大衆食堂へ行けば、いくらでもいた。いまでもいる。就職しないで生きたければ、大衆食堂へ行ったらよかろう。すごくいろいろな仕事があって、運がよければ、すぐ仕事に就ける。でも仕事に就いたら「就職」だよね。

だから、まず働くこと生きることを考えるためにも、さっさと就職してみるのもマイナスにはならないだろうと思う。このことは、いくら強調してもよい時代だ。これまでとはちがう、うっかり、「就職しないでも」と信じてしまったら、泥沼にはまりかねない。

ようするに「就職しないでも」とかなんとかではなく、「とりあえず働いたら?」(津村記久子さんのおことば)ってことなのだ。

今国会、「安保戦争法」が大問題になっているけど、労働法関係の「改革案」が、どうなるか。おれは、「安保戦争法」より、こっちのほうが大問題と思っている。働かなくては食っていけないものは、戦争だろうと平和だろうと、働いて生きなくてはならない。これが根本問題だ。

なのに、すでに、働いても生活が成り立たない状態があり、いつでも簡単にクビになる状態があるうえに、もっと「流動化」するのだ。さらに、さらに、サービス残業、パワハラ、セクハラ、ブラック、と。ああ、こういうのがイヤだから就職したくないのか。

会社は小さければ「善」、自営なら「善」というわけじゃない。それに、就職しようがしまいが、それぞれの勝手だが、どのみち孤島で生きるのでなければ、大きなシステムのなかで生きている。

職業の優劣観は、捨てよう。どんな仕事も、大きなシステムの必要な機能の、どこかを担っている。

ビル管理会社から派遣で清掃をしているおばさんが言いました。水道のカランひとつでも、上手に早くきれいにできるかどうかの拭き方がある。そういう一つ一つのつながりのなかで、仕事が成り立ち、人びとは生きているのだ。

当ブログ関連
2015/06/06
生きることが批評である生き方、『小さくて強い農業をつくる』久松達央。

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