「自称」の職業のおもしろさ。
知り合いに、「スクール」とか「セミナー」という類で食べている男がいる。自営の講師業のようなものか。ただ派遣や不定期ではなく、主催しながら自分も教える。どれも趣味や教養のカルチャースクールと違って、その教程を終えると、うまくやればそれで食べていけるか、小遣いかせぎはできるというものだ。
専門分野としては確立されていないけれど、主に、専門と生活のあいだのアイマイな領域に成り立つ、ある種の専門知識が必要とされる分野で、しかも制度化・資格化されていないあたりで、彼らは活躍する。
既存の例をあげれば、スタイリストやライターだってそうだが、デザイナーも、そうか。これらは職業としては制度化・資格化されてはいないが、学術や学校の業界のほうで制度化や系統化されている。それは、基本的には、生活のニーズのためではなく、産業のニーズに応えるためであり、一般の生活と直接関わりあうことはあまりない。比較的新しく制度化された、インテリアコーディネイターなどは、典型だろう。最初のころは、カルチャースクールのテーマぐらいだった。
そういうものと違って、わかりやすくは、健康や身体に関わる、ケアなどの分野は、ずいぶんいろいろある。食まわりでも、マクロビ系の「塾」とか、自称的にいろいろやっている人たちがいる。
医療などの専門分野からは相手にされない、医者に行けば病気じゃないと見なされるが、自分は具合が悪いという類など、日常の対処やケアのなかで改善可能なもの、そういう分野が、たくさんあるわけだ。習慣でゆがんだ姿勢を正すだけで、調子がよくなるとか。
学術などで確立された専門分野だけじゃ、わからないことや、解決や改善がすすまないことは、いくらでもある。
そのあたりにくらいついて、「新興宗教」がはびこったりするが、科学的な専門知識と技術で対応する専門家を育てようと、マジメに取り組んでいる人たちもいる。
これらがどう成り立っているかは、とてもおもしろい。まず、こういうこと始めたキッカケというのが、自分が困った目にあって、その解決のために、徹底的に調べた結果とか。自分の専門分野の制度のなかでは、どうしても解決しないことがあって、なんとかしようとやった結果とか。ようするに、起業するなら、自分が切実なことを仕事にする、という、よく言われていることだ。
そして、まず、同じ切実を抱えている人たちを「生徒」として募集する。
募集するには、広告代理店を使って、Webと雑誌に広告を打つ。広告効果は、圧倒的にWEBがよい。というのも、ユーザーは最初から目的がはっきりしているからだ。
対して、雑誌広告は、パラパラ見をして、気まぐれに資料請求する人たちが多いから、歩留まりが悪い。それでも雑誌に広告を載せておくのは、印刷物のほうが「権威」があって、雑誌に大きな広告が載っているのが「信用」になるから。ま、日本はまだ、それぐらい権威への依存が高くリテラシー能力が低いということだが。
とにかく、業界や制度の外側でやるわけだし、ハードがあるわけじゃないソフト商売だし、とくに体験のない人からはウサンクサイ目で見られやすい。そういう知人の一人は、職業を訊かれると「自称」と答えるのだそうだ。
でも、いまあるソフトの専門分野は、たいがいは、そんな始まりじゃなかったのかなあ。おれのかつての肩書の「プランナー」だって、いまもか、「自称」という職業だ。フリーライターも、そうだな。
「自称」のつかない肩書を持つようになったら、「就職」ということだろう。就職は、就社か自営かに関係ない。職業的枠組みやヒエラルキーなどの外側にいる、自称の世界は、したたかでおもしろい。
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