なんとなく「上から目線」。
「上から目線」は、たいがい悪者だ。確かに、悪い。
悪いけど、なにかしら「上」にいるものは、無自覚のうちに「上から目線」の側に立っていることも少なくない。自分は「上から目線」の人じゃないと思っていても、そうは問屋が卸さないことがあるのだ。
光瀬憲子さんの最新作『台湾で暮らしてわかった 律儀で勤勉な「本当の日本」』(この本は7月10日発売で、1週間ぐらいで増刷が決まった)を読んでいて、まだ途中なのだが、最初のほうに、戦前は日本だったことがある、朝鮮と台湾の話が出てくる。
その時代を、台湾では「日本時代」といい、韓国では「日本時代」という人は少なく、「日帝時代」とか「倭政(ウェジョン)時代」「日帝強占期(カンジョムキ)」のような、「微妙な呼称が通用している」と書いてある。
そもそも「上」の支配者であった日本人には、そういう時代認識はないのが普通だろう。だけど、戦前、戦中、戦後を生きた当地の人たちは、この時代をぬきに自分のことを語れない。それは当然、その子供たちにも伝わる。祖父母から孫へと伝わるうちに、いろいろ時代も変化するし、意識の変化もある。
戦後、台湾は、中共に大陸を追われた国民党政府に支配される時代もあった、朝鮮半島では朝鮮戦争があった(休戦中で終わってない)。その受け止め方も、「日本時代」があった台湾と「日帝時代」があった韓国では、ちがう。さらに、国土が似たような大きさであることも関係して、両者はライバル意識が強い。
こうしたことは、日本や日本人に対する見方のちがいにもなる。
そのあたりのことも、この本を読んでいるとわかるのだが、おれは、台湾へは観光で1回、仕事で2回、韓国は行ったことがないが、韓国にある韓国人の会社の社員と日本で仕事をしたことがある。
台湾の人には、親の代から日本語をよく話す人がいておどろいたが、それは日本の植民地だったからだろうぐらいで、当地の人の立場で「日本時代」なるものを考えてみたこともなかった。台湾での仕事は、現地の人も関係したが、日本の某商社の委託による市場や立地の調査だったので、こちらがいろいろ尋ね、教えてもらうという感じだったから、意見の衝突というものはなかった。
韓国との会社の仕事は、共同プロジェクトだったから、仕事の進め方なども含め、いろいろ衝突があった。議論が激しくなると、韓国の人は激高して「日帝ン十年の支配は」てなことまで持ち出すので、いやあ困ったなあと思いながら、やはり日本の植民地支配はキツかったのだろうぐらいのことで、仕事を先にすすめる。ついでだが、韓国の人は激高して言葉は激しいが、それは日本人には激しいように聞こえるだけなのだ。もともと感情の表現なんて、民族や文化によって、かなり違うものだから、いちいち気にしていたら仕事は進まない。
ようするに、なにが言いたいかというと、「上から目線」のなかには、「下」に対する無関心も含まれるということなのだ。無関心だし、認識はアマイ。
同じ国内でも、たとえば、年収の高い層は低い層の生活ぶりなど、ほとんど無関心だし認識はゼロに近い。そして、なにかコトがあると、データだけで、トンチンカンな言い方や騒ぎ方をする。
自分の目線に、大きな影響を及ぼしているのは、なんだろうか。
台湾の「日本時代」や韓国の「日帝時代」と比べたら、かなり短いけど、70年前の敗戦のあとには、日本は初めて「占領時代」を体験している。これは本土政府レベルのことで、沖縄を含めれば、その返還までの「占領時代」は、けっして短くない。それからロシアとの平和条約問題・北方領土問題が残っている。
こういうことも「上から目線」のなかで、アイマイになりそうな日常だ。どうも日本人の「上から目線」には、なにごとも自分の都合のよいように見てしまうアマイ目線が含まれているようだ。
この本を読みながら、そんなことまで考えている。
大衆食堂から見る目線ってのは、これから、アンガイ意味を持つような気がする。
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