「川の東京学」メモ 「第四下町」と「東京低地」、「葛飾探検隊」。
『東京人』9月号は、戦後70年ということで、特集は「ヤミ市を歩く」だ。ちょっと中途半端な編集だが、なんと、小岩ベニスマーケットが、これも中途半端だが、見開き2ページ載っている。
この特集については、日を改めたいが、読んでいると、ヤミ市的な文化は「東京低地」に継承されているんだなと思った。小岩などは、まさにヤミ市文化の延長にあるといえそう。
その「東京低地」だが、「下町に代わる概念が必要だと思い、使い始めたのが『東京低地』という言葉です」という、葛飾区郷土と天文の博物館の学芸員、谷口榮さんが、この号の「郷土博物館から始まる街歩き②葛飾区郷土と天文の博物館」に登場する。
「郷土博物館から始まる街歩き」は、三浦展さんの連載で、今回は2回目、「街の記憶をアーカイブスする、葛飾探検隊」のタイトル。
三浦さんは、かつて「第四山の手」論で、第一山の手から第四山の手を分けたように、下町を第一下町から第四下町に分けている。それによれば、葛飾区は第四下町になる。第四下町は、関東大震災後に人口が急増した「東京の下町」で、「江戸の下町」ではない。葛飾区のほかに、足立区と江戸川区。
その葛飾が第四下町になる様子を谷口さんの話をまじえながら紹介したのち、「東京低地」という視点について述べる。
「東京低地とは武蔵野台地と下総台地の間に挟まれた低地を指す。川をさかのぼれば、埼玉、千葉、群馬にまで広がる、その広大な地域が東京低地である。江戸以前は主として利根川の流域、現在では荒川、中川、江戸川に挟まれている」
縄文海進と重なりそうだ。
「博物館では平成五年度に特別展「下町・中世再発見」を開催し、これに関連してシンポジウム「東京低地の中世を考える」(同タイトルで書籍化)を行った」
これ、すごく気になる。それに、かつての葛飾郡のうち、「江戸川、墨田、江東三区を合わせた地域は、葛西と呼ばれた」そうだけど、この葛西の地名は、支配者だった葛西氏の由来であり、葛西氏は、秩父平氏の末裔ということだ。荒川の上流は秩父だから、なにか関係がありそうだ。
「葛飾探検隊」とは、区民から募った博物館ボランティアが、街を歩いて街のさまざまな要素を記録する活動をし、平成二十一年、二十六年に「かつしか街歩きアーカイブス」という展示を行った。
いやあ、おもしろい。おもしろいのは、谷口さんというひともであり、ま、葛飾といえば立石の「宇ち多゛」テナものだが、そこのグラスや受け皿や焼物などを皿の断面図まで描いて記録しているのだ。
とにかく、この記事を読んで、特別なものでなくても、ごく普通のありふれたものでも生活や街の記憶であると見れば、なかなかおもしろいということ、またまた「川の東京学」への妄想がふくらむのだった。
これらのことは、東京の食や味覚をめぐるフォークロアや深層と、大いに関係あるにちがいないのだ。
ところで、三浦展さんの肩書だが、「社会デザイン研究者」と。
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