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2015/08/02

「川の東京学」メモ 大衆食堂から見たなくなったもの。

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暑くてウダウダしているうちに8月になった。なにかしら少しずつ進展はしているのだが、ま、夏はウダウダにかぎると、あまりアクセルをふみこむことなく過ぎている。

去る7月31日は、『大衆食堂の研究』の発行から20年だった。そのことについては何も感慨もなく考えることもなかったが、「川の東京学」と「大衆食堂の研究」の関係は、あれこれ考えることが多い。

2012年11月に発行の『雲遊天下』は特集が「なくなったもの」で、おれは「大衆食堂から見るなくなったもの」というタイトルで寄稿している。

そのときは、そのタイトルをいただいて、思いつくままに書いたのだが、とくに「川の東京学」を始めてから、トークの相棒の有馬さんに言われて読み返してみたら、けっこう大事なことを書いていた。

なくなったものは二つあって、一つは「義理」、それから「義理と同様に話題にすらならないものが、もう一つある」と、「労働や労働者との共感」をあげている。

冒頭、「近年、大衆食堂のイメージというと、「昭和」「人情」「貧乏」「家庭の味」「おふくろの味」「手づくりの味」などだろうか。それらが、なくなったものとして、懐かしがられ、話題になってきた」と書いている。こういうものをひっくるめて、おれのことを「昭和礼賛、昔はよかった論者」のように見る向きもあるし、また、そういう期待でおれの本を読むと裏切られるという、おもしろいことが続いていたのが、この20年だったともいえる。

とにかく、「下町人情食堂」といったアンバイに、とくに大衆食堂をめぐっては「下町」と「人情」が消費されてきたのだけど、元来、人情と一対の関係で、「ときには現実と理想のように厳しい相克の関係にあるはず」の義理が、みごとなほど無視されてきた。

大衆食堂の家族や常連たちが義理でやっていることまで、人情とカンチガイされ消費の対象になっていることも少なくなかった。そのあたりには、この間の、いわゆる「東京」目線の消費特性がよくあらわれていると思う。

しかし、大衆食堂は「義理の網の目の中にあるようなまち」に存在していたのだ。そして、義理のほうは、関心ない見たくないという消費が増えてきたのも事実だった。

それと同時に、労働や労働者との共感の場も、失われてきた。それがよく残っていた大衆食堂すら、飲食サービスに対するジャッジや批評を消費する市場に侵されてきた。

『雲遊天下』では、長いこと千住の住民である会社員が、ため息混じりに言ったことを紹介している。「最近は、労働者はどこにいるんでしょうかねえ、ウチの近所の大衆酒場は趣味人や高等遊民みたいなのが増えて、労働者はどこへ行ったんでしょうかねえ」

津村記久子さんは、『二度寝とは、遠くにありて想うもの』の「働いて食べて活きる」で、「食べるため」「活きるため」と働くことにふれて、こう書いている。

「「食べるため」から少しずつ距離を置くごとに、労働観は洗練され、複雑になってゆく」

「食べるため」と「活きるため」は対極の労働観のようであるけど。

「しかしただ、「働いた」という実感の後にやってくる解放感や充実の喜びは、どちらも同じなのではないかと思った」

「「食べるため」から少しずつ距離を置くごとに、労働観は洗練され、複雑になってゆく」については、複雑になってゆくのは確かだけど、「洗練」されているかどうかは疑わしいと、おれは思うが、大衆食堂は、そういう解放感や充実の喜びを「味覚」とした空間であり、さまざまな労働観の人たちが、その一点で混ざり合って食事をし、そこに労働や労働者との共感があった。

「明日も働いていけますように、と切に願う」(上記、津村さん)生活の場であり、趣味や娯楽としての消費とはちがうものだった。

「義理と人情」も、労働や労働者との共感も、下町のような職住近接の地域にあっては、共同の核となるものだった。

下町は新住民の流入も含め「東京の侵略」に飲み込まれ変貌しているいま、かつてのような共同や共感を「復元」することは難しい。それに「義理と人情」の背景はいいことばかりじゃないし、その「復元」は歴史の流れに逆らう「復古主義」のようなことにもなりかねないから、考えないほうがよいだろう。

しかし、「働いて食べて活きる」うえで、生活に根付いた共同と共感は不可欠であることも確かだ。

てなわけで、「川の東京」になにがあったのかを掘り起こしながら、新たな共同と共感の関係を模索していくのが、「川の東京学」であり、そこに「大衆食堂の研究」は続くのだ。

そういえば、7月25日は、いつも「川の東京学」トークをやる、野暮酒場@小岩へ行ったのだが、あそこではジワジワ新たな共同と共感の関係が生まれている感じだった。

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