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2015/08/18

見沼田んぼ福祉農園のサバイバルキャンプをのぞく。

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8月10日から16日まで、農園でサバイバルキャンプというものを実施します。2002年からやっており、今年で13年目です。例年元気な体育会系の合宿でしたが、今年は暗い男子たち(主に大学生)が本当におれたちはこの時代をサバイバルできるのだろうかと思いつつ合宿する、これまでからすると未知の一週間になります。……

こんな内容の誘いがイノセさんからあった。あまり明るくない時代を生きる暗い男子学生たちとは、どーいうものなのか、大いに興味津々、15日の土曜日に農園へ行った。

農園とは、さいたま市浦和区の見沼田んぼにある、見沼田んぼ福祉農園のことだ。ここを初めて訪ねたのは2013年11月25日のことで、2013/11/30「見沼田んぼ福祉農園を訪ねた。すごい充実した一日だった。」に書いた。その後、イノセさんとはトークをやったり、北浦和の祭りであったりしているが、農園は、それ以来だ。

13時20分ごろ大宮駅東口から浦和学院高校行きのバスに乗った。20分ほどで終点。日差しが厳しいなか、10数分歩く。見わたすかぎり畑が広がる見沼田んぼ、どこに農園があるかわからない、テキトウに畑のなかの道を行くと、うまいぐあいに到着。

みなさんは、ちょうど休憩をとっていたらしい。イノセさん、それに、もしかしたら会えるかなと思っていたイシイさんがいた。お2人は、大学の教員だが、ほかに7名ほどの男子と女子が1名。

暗いどよよ~んとした空気を想像しつつ期待していたおれだが、いまどきの普通の若者という感じ。もっとも、「いまどきの普通の若者」といっても、いろいろだが、ようするに、わりとちゃんと挨拶をし、礼儀正しい。2人の教員のほうが、ばかに元気がよく、闊達で、見るからに野人のようだから、学生たちがおとなしく見える、ともいえそう。ま、第一印象は、そんなところだった。
 
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お互い紹介がすむと、すぐにみなさんは、それぞれの作業についた。里芋の畑の土盛りと、水路と通路の復旧整備の片付けや草刈り。おれはとくに役割もなく、老人だからねと作業をやる気もなく、農園のなかをふらふら。

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夕方になるにしたがい、参加者が増える。女子も増える。そうそう、イノセ夫人と、この春に会ったときは、まだ歩けなかった娘さんは元気に歩きまわり、初日から毎日通いで参加しているから、もう虫や蚊も気にしない。このキャンプは「変身」がテーマだったのだが、この1歳の娘さんが一番たくましく変身したのかも知れない。

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キャンプのリーダーは、イノセさんの大学の学生で、バンドのリーダーもしていて、その仲間も参加していたから、ドラムもセットして、この夜だけの「だんごむし」バンドが誕生、キャンプ最終夜の宴は大いに盛り上がった。

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(用ができたので、ここまで。つづく)つづきを書く。16時過ぎに作業は撤収、キャンプファイアーの準備にかかる。どんどん人も増え、みなテキパキ動く。竈の火を焚き湯を沸かし、ドラムがセットされ、ドラム缶を縦に半分に切ったバーベーキュー用のコンロが設営され、自家発電の電灯の設置などとやっているうちに強い雨が降り出した。どうにもならない激しい降り方。1時間近く降り続いたか。

雨があがり、バンドの練習が始まる一方で、バーベキューの準備もすすむ。野菜のカットなど、けっこう手際がよいと思ったら、飲食店のアルバイト経験者だったり。30半ば過ぎの教員2人をのぞけば、20代ばかりのなかで年配者になるTさんが16歳の息子さんを連れ、3キロの鶏のから揚げを作る。この息子さん、あとで話してわかったが、この日、ドイツ一週間1人旅から帰ったばかり。「ドイツ語はほとんどわからなかったけど、子供のふりしていたら親切にしてもらえて問題なかった」と。Tさんは、「これで子育ては卒業です」

火床に雨水がたまってファイアーなしのキャンプファアーが始まったのは19時過ぎ。キャンプリーダーのUさんの挨拶で、この合宿のテーマが「変身」だったと知る。最初から泊りこみで参加のほかのに、3日目から郡上盆踊りへ行き踊りつづけて、この日もどってきた人など、いろいろな参加があったらしい。

つぎつぎに参加者が感想を述べる。就職活動中で内定をもらって参加の学生もいれば、もう学生はやめて自分の好きな道へ行くことにしたものもいる。さほど深刻でもなく暗くもなく、めんどうな人生論があるわけじゃなく、わりと淡々と自分を批評したり、ほかの人を批評したり。そして、みな向かっているのは、これから、という感じだった。

考えてみたら、おれは彼ら20歳ぐらいの年齢から50年は生きてきたわけで、あまり「これから」はない。しかし、このように1週間の合宿など、おれは高校3年間の山岳部の夏合宿以外なかったし、彼らにとっても、もうめったにないことだろうと思いながら話を聞く。

どうやら、リーダーのYさんが一番「変身」したようだ。自分で企画書をつくるところからやったのだし、「一体感」や「仲間意識」の醸成など関係ない合宿とはいえ、リーダーはそれなりに自覚がちがうこともあるだろう。

ライブタイムになり、バンドの演奏は、「戦争を知らない子供たち」で始まった。そしてまた、スピーチが入る。女子3人のうちの1人は、この春卒業して就職したばかり、ほかの2人は就職して1年か2年か、とにかく結婚したばかりで、2人ともうれしそうに結婚の報告をしていた。と、記憶している。

この福祉農園は、イノセさんのキャラもあってだろう、いろいろな人たちが混ざり合って、おもしろい。いい加減で適当で、だから、いい加減で適当なおれも参加しやすいのだが、それは、世間的にはそうであるけど、「福祉」からすれば、これがアタリマエなのではないか。

けっきょく、「サバイバル」の課題は、いわゆる「障害者」を「障害」扱いしてはじきだしてしまうような、キッチリとした仕事や洗練を向上とする一本調子の世間とどう向き合うか、そこをどう生き抜くかということになるか、それとも…なーんて考えながら、酔いは深まった。

帰り、前回同様、東大宮の実家へ帰るイシイさんのクルマに乗せてもらい、24時過ぎの帰宅になった。福島で農業の調査研究をしているイシイさんが、キャンプファイアーで話したことや、クルマのなかで語ったことは、しっかり頭に残っている。

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