豪雨の歌舞伎町で考えた。
世界も日本も、そこらじゅうがガタピシしているが、日本最大の暴力団組織までガタピシしているらしい。
そのスジの専門家によると、歌舞伎町には1000人ぐらいの組員がいて、その半分ぐらいが最大組織の構成員とかで、歌舞伎町は「血の抗争」が起きてもおかしくない状態だから、「銃撃事件が起きたら、通行人が巻き添えになる危険もあります。サラリーマンは歌舞伎町の裏道を歩かないほうがいいでしょう」などといっている。
それは、またもや、「風評被害」のもとになるのじゃないか、やはり現場を見る必要がある、と、ついでの用をつくり、歌舞伎町の裏道へ行ってみた。
昨日のこと。ところがだ、現場に着くと、ポツンと当たった雨粒が数秒もしないうちに土砂降りに変わり、ちょうど近くにあった飲食店の日除けテントの下にかけこんだまま、身動きならない。すぐそばの王城ビルも新宿区役所も霞んでしまう降り方。さすがの暴力団も身動きならないだろう。
通るのは、飲食店などに、食材や何かを配達のカタギの人たち。その飲食店に出勤の店員たち。周囲は風俗店がたくさんあって、そこの白ワイシャツに黒ズボンのオニイサンたちが、昼飯なのか、あまり役に立ちそうもないビニール傘をさして食堂に入っていく。そして、風俗店の女たちが、通る。女たちは若い。なかなか美人のうえボディもよい。むきだしの首から胸や腿のあたりが、しゃぶりついて舐めたいほどだ。おれは、ジロジロ舐めまわすように見ていたにちがいない。なにしろ、することないからね。
おれが立っていた、すぐ横は、隣のビルの地下階段出入口で、「個室」ヘルスの看板、「9000円」の文字が見える。と、その店から出てきた、わりと地味なカタギとわかる30代の男が、出てきて土砂降りを知ったのだろう、そこでボー然と立ちつくす。そんなところにいつまでも立っているわけにいかないだろう、おれが立っていたところは余裕があるから、少し移動して空けてやったのだが、気がつかなかったのか気がついても一緒に並んで雨宿りする気がなかったのか急いでいたのか、雨の中に突っ込んだ。たちまちグショ濡れになって、通りの角から消えた。
強い雨は30分ぐらい続いただろう。あがってから、ザッと歌舞伎町のなかを歩いたが、来るたびに変わる景色の変化におどろいたぐらいで、とくに緊張感はなかった。
王城ビルは、いまでは数少ない、おれの1960年代の歌舞伎町のままだ。歌舞伎町という町をみていると、いろいろ考えることがあったし、チョイといい考えも浮かんだ。
それは、「スタンダード」が関係する。
憲法ですらスタンダードではなくなった国。というか、憲法をスタンダードにしたことがなく、そのくせ「コンプライアンス」を唱えて平気でいた。その感覚で何かを評価する。政策を評価する、人を評価する、仕事を評価する、味覚を評価する、デザインを評価する…いろいろ評価する、その基準は「スタンダード」がないゆえに「私主義」。しかも、それを「個人主義」とカンチガイする人も少なくない。
そこのけそこのけ、「スタンダード」がなくて宙ぶらりんの「私主義」がまかり通る。私主義は、私が、正しいこと、よいことの基準だ。それに他を従わせようとする。暴力的なら、他を潰そうとする。そして、あちこちで「私物化」が進行する。
すでに、テレビや新聞や雑誌などでも、私物化が進行している。そもそも、メディアはパブリックなものだ、それがスタンダードなのだという自覚も習慣も希薄だ。メディアの権力や権威をかさに私主義。大私主義から小私主義まで。
こういうものがのさばるところに、さまざまな矛盾が生まれる。そこに、ビジネスチャンスがありそうだ。
ただ、すぐには、あまりカネになりそうにない。
きのう歌舞伎町へ行ったからか、今日、しばらく行方不明だった、新宿の下層労働者から電話があった。大阪で下層労働者をしていたとか。何かおもしろいことがありそう。でも、おれ、もう若くないからね。
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