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2015/09/18

自己顕示欲や承認欲求と食。

2015/09/12「瀬尾幸子さんの「料理レシピ本大賞」と新宅陸仁さんの「食とアートのくされ縁」。」の関連で書くのだが、「食とアートのくされ縁」トークで、新宅陸仁さんは「表現のテーマは食でなくてもよい、自分は自己顕示欲と承認欲求が強いだけなので、テーマはなんでもよい」というようなことを言った。

つまり、テーマにこだわりはないが、自己顕示欲と承認欲求が満たされやすいテーマとして食を選んでいる、というふうなことだったと思う。「表現」を仕事にしているひとには、けっこうありがちなような気がする。

酒も含め「食」のことになると、食欲を否定的に語ることも含め、たいがいのひとが関心を持ち、一過言持っているひとが多いし、興味を持たれる確率が高い。「おいしい」「職人仕事」「丁寧」「粋」な話をしていれば無難だし、さらに、ネタによっては、その表現は、ときどき感動ポルノに化けやすい。ひとに注目され、認められ、チヤホヤされ、いい気分でいるためには、食をテーマにすると、てっとり早いといえる。

「無名時代」つまり、まだ「名前」だけでは売れない時代は、食をテーマにし、売れるにしたがいテーマを広げたり移動したりし細工したりし、最終的に「作家」として認められたい。という文章系のひとも、けっこういるようだ。

背景には、あいかわらず「作品作家主義」が根強いこともあるだろう、そういうタテの上昇のための踏み台のテーマに、食は選ばれやすいわけだ。

文章系や美術系に限らず、食をテーマにした表現の前面に、うっとうしいほど、自己顕示欲と承認欲求が出ている場合がある。だけど、ひとによっては、表現技法がうまければ、うっとうしさを逆手にとって、魅力にできる。そういうひともいる。

新宅さんのばあいは、そうは言ったけど、展示の作品「カップヌードルの滝」を見たかぎりでは、そんなに自己顕示欲や承認欲求が強い印象はなかった。それは、美術であるからかもしれない。展示会場では、新宅さんのブログから選ばれ編集された『むろん、どこにも行きたくない。』というタイトルの小冊子が、できたてホヤホヤで売っていたから、買って来て読んだのだが、こちらのほうは、少し、その「欲」がにおう。悪くはないが。

文章のほうが、「欲」が出やすいということがありそうだ。

文章が権力的・権威的である歴史が、根強いからだろうか。非近代的な事大主義も根強いな。「作品作家主義」は、その歴史に負うところが大きい。

いま、日本の「民主主義」が問題になっている。食と民主主義は大いに関係あると思うのだが、そういう話にまで、いくだろうか。

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