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2015/09/20

家飲み、外飲み、町飲み。

きのうのブログで歌舞伎町にふれたからか、歌舞伎町のことを考えながら、「町飲み」について考えた。おれは、歌舞伎町という町が好きだから、歌舞伎町で飲んできた。これは単なる「外飲み」ではなく「町飲み」というものだ。

町飲みという言葉は、ほとんど使われることがない。インターネットで検索しても、いまのところ、ヒットがない。

しかし、おれの場合、確かに、「家飲み」でも「外飲み」でもない、「町飲み」というのがある。

飲食店で飲むことを「外飲み」といわれるが、これは「家飲み」に対する言い方で、「町飲み」は含まれていない。空間的にみれば、「町」と「店」は、あきらかにちがう。

そして、店は、町の空気を遮断し独自の方針のもとにコントールされた空間であるばあいと、大衆食堂のように、そういうコントロールは弱く、町との風通しがよい店がある。

おれは、いつも後者を好んでいる。

よく「いい人いい酒いい料理」という言い方があるが、これは町とは遮断された店の空間で成り立つことだろう。

以前に、このブログで「いい人いい酒いい料理に頼ることなく、自ら楽しく飲む人間をみがく。」と書いたが、これは、家飲みと町飲みのことになるだろう。「みがく」というのは、偉そうすぎるけど。「いい人いい酒いい料理に頼ることなく、自ら楽しく飲む人間でありたい」ということだ。

そのように家飲みと町飲みは共通するところがあるが、やはり「町飲み」は家飲みとも違うものがある。

店の方針でコントロールされた空間では、どうだ、おれの店のサービスや客や料理や酒はいいだろうという物語がある。それに対して、うんうん、おれはそれをわかる人間だからねと、お互いに「特別」であることを確認しあう儀式のようなものが陰に陽にある。

個人店ほどそれが強いが、チェーン店だって、それぞれの方針に応じてある。それは、店のイメージづくりや、固定客やファンづくりに関わることでもある。客は、たえず、それとの関係を意識せざるを得ない。そして「いい人いい酒いい料理」という言い方になり、それを評価できる自分がいる、ってことじゃないと「いい」グループに入れないし、「いい」グループに入るべく切磋琢磨するひともいる。

人間は、そういう関係をつくって商売したり楽しんだりするものかもしれないが、一方では、人間として、それでよいのか、それでは市場に飼いならされた動物ではないか、そういうものではないだろう、もっと店のコントロールから自由に、人間として個人として自由に楽しみたい。となったら「町飲み」なのだ。

そう「都市が個人を自由にする」という言葉があるように。

では、町飲みとは、どういうものか、もっと考えてみよう、ということで、昨夜は家飲みしながら考えた。「外飲み」にも、店を選ぶばあいと、町を選ぶばあいがある。

今日は忙しいから、忘れないうちに、これだけ書いて、オシマイ。

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