きのうは、木枯らしのような風が吹き、この時期にしては寒すぎだった。
予約をしてあった、『常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)』出版記念トークイベント第2弾、五十嵐泰正さん×ゲスト・久松達央さん、へ行って来た。
柏の会場で19時半スタートなので、早めに出て、柏駅南口の立ち飲みで一杯。いい気分で店を出たのに、駅から500メートルほど歩くあいだに、寒さで「平常」にもどった感じだった。なんてこった。
受付をすませ、会場を見ると牧野さんがいた。そのテーブルの彼の隣に座る。五十嵐さんと久松さんに挨拶。久松さんとは、メール交換があったり、おれはほとんど放置状態のフェイスブックの「友達」であるが、初対面の名刺交換。
会場は40人の定員。各テーブルに5人ずつ、勝手に座る。ビールと赤ワインと白ワインがテーブルごとに用意され、久松農園の「エロうま野菜」の生がソースと共に。そうそう、笠原さんにもひさしぶりにお会いしたのだが、笠原農園の鶏卵を茹でたのも並んだ。それらを食べたり飲んだりしながらトークを聴いたのだ。
最初に五十嵐さんが久松さんを紹介。久松さんは自己紹介で、今日が45歳の誕生日であることを繰り返し強調し、会場から笑いと拍手という楽しいスタート。
五十嵐さんがトークの口火を切り、『常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)』の帯に、「それは、『東京の下半身』」とあることにふれ、コモディティについて語る。
この「コモディティ」は、「スペシャル」の対義語としてのそれで、「日常気づかれずに消費されているもの」を生産している。そこがまあ、「下半身」たるゆえんなのだが、この本の、五十嵐さんによる序章の「コモディティ」には「(大量流通品)」とある。
その文章を参照すると。たとえば、久松農園がある茨城県は、「農業大国」であり、都道府県別農業産出額では上位3位以内を占め、品目別でみると、水産業も加え、「茨城県が生産額の都道府県別1位になっているものが非常に多岐にわたっていることに驚かされる」そして「こうした品目を茨城県の名産だと認識したことがほとんどないことに、再度驚くかもしれない」そのように「際立った名産品を作るというわけではなく、首都の日常を支える種々のコモディティ(大量流通品)としての食品を淡々と供給してきた」ということなのだ。
これには、最近このブログでも書いている、スペシャル(上質)ばかりを追いかけ「普通」や「スタンダード」を考えない、とくにメディアの問題もあるが、生産地の取り組みとしては、「名産化」としての「ブランディング」がある。
ってわけで、五十嵐さんは、「ところで、久松さんは、地域ブランディングより個人、セルフブランディングのほうですよね」と話をふる。
そのあたりから、久松さんの迫力あるトークが、怒涛のごとく。五十嵐さんが、テキトウに口をはさむのが、また絶妙。話に引きずりこまれて、メモをとるのも忘れた。そのうえ、内容豊富で覚えきれなかったが、久松さんの話を思いつくままにメモしておく。
・有機栽培をやったのは、アタマから。・お客との直販以外考えなかった、それがやりたかった。その結果、いまのようになったのであって、年収700万以上を対象にするなど、そういうことはやってないし、マーケティングの結果ではない。
・最初のころ、有機栽培のよさやスペシャリティを強調し、うっとうしがられ、反省したこともある。・原発事故の影響で、お客が3分の1?になったとき、「有機だから」という客とのつながりでなく、「食い気」でいこうと思った。食べ物は、うまさ(「エロうま野菜」)・セルフブランディングは「人を売る」、けっきょく「人」だから。・地域ブランディングに関心がないわけじゃないけど、自分のまわりには、そういうことで何かやっている、組んでもよいと思える動きがなかっただけ。福岡の糸島などは、うらやましかった。
・個人経営で小規模だが、家族経営でなかったのがよかった。組織的な環境で人は育つ。・農水省の青年就農給付金(150万円を5年間)はドブに金を捨てるようなもの。・農業は、いろいろなことを経験しなくてはならないから、5年では難しい。・久松農園でやっているモジュールが、そのままよその土地にあてはまることはないだろうけど、やりようはある(いま新潟県三条でやっている例)。自分は、2千万円ぐらいまでの規模なら、やれると思う。・まず、客は農園に関係するまわりの人からつくる。食べてもらう。
記憶で書いているから、記憶違いがあるかもしれないし、話の順序とは、関係ない。ここに書いてしまうと、どうってことないようだが、なかなかスリリングで刺激のある内容だった。「生きることが批評である生き方」の久松さんのキャラもあるが、やはり、実践の裏打ちがある本人の、ナマの話は違う。
おれが仕事で有機など(「自然食」やコンニチの「マクロビ」など含め)に関係したのは、80年代後半から91年ぐらいまでだった。久松さんが大学を卒業して大きな会社に就職したのが94年、農業研修を経て独立就農したのは98年。まだそのころの有機は、「宗教色」というか「思想色」というか、アタマから入る傾向が強かった時代だと思う。
95年には阪神大震災やオームのサリン事件などがあり、「現実不安」や「現実不信」が増幅していたこともあって、有機などにマーケティングやビジネスとして取り組んでいた会社もあったが、有機無農薬栽培や自然農法、自然食などは、どこか「信仰」めいていた。
そんなことを思い出しながら聴いていた。トークは1時間ほどで中締めとなり、料理が追加、そして久松さんの45歳の誕生日を祝う「ポテサラケーキ」(これ、すごくよかった、作ってみたい)が登場。久松さんがローソクを吹き消し後半は勝手に交流会という感じ。
遅れて来ておれの席の隣にすわった方が、久松さんが批判していた、官庁で青年就農給付金の推進を担当していたことがあるとわかった。「もう久松さんからは、悪代官のようなものです、ハハハ」という愉快な方で、話がはずんだ。
青年給付金の推進は、ある意味、青年の人生や生き方に影響を与えることなので緊張しましたよ、といわれ、ハッとした。とかく「組織の歯車」のように見られながら、一人ひとりは、さまざまな思いで、いろいろ考えながら仕事をしているものなのだ。コモディティの食品の生産や流通に従事していても、そうなんだよな。スーパーの労働や労働者を見下げちゃいけないよ。
それはともかく、やはり、「農業は特殊」ということであるうちは、新規参入や定着は難しい。その点、まだまだ家族経営の特殊性が残っているなかで(かりに法人組織になっていても、実態は家族経営というのが多い)、久松さんの経営は、家族経営ではなく、地域のしがらみに縛られることなく、普通の資本主義的な株式会社組織で、実態としても組織的な運営をしている(オーナー社長が講演などで全国を駆けずりまわっていても農園は運営されている)ところが大きな特徴で、このスタイルの広がりは、これからの農業の可能性と大いに関係があるように思えた。
それは「小さくて強い農業」の条件なのかもしれない。そして日本の農業の「守り方」にも関わることだろう。
そういう意味では、「農業の近代化」は、機械化や大規模化に本質があるわけでなく、組織や機能の「近代化」が必要なのだろう。大きいか小さいかではないのだな。もちろん、有機か慣行か、でもない。
しかし、久松さんは、スペシャルな能力の人だ。いったい、こういう人が、どれぐらい農業に参入し、あるいは、育つのだろう。そもそも、「6次化」なんて、能力が高くないとやれそうにない。「普通」では、無理だ。少なくとも、おれには無理だ。
それに、コモディティは、たぶん、どんな時代でも必要とされる。おれのような、日常は有機の食品と無関係に近い生活の消費者からすれば、コモディティがあってこその日常であり、それは、「ありふれたものを美味しく食べる」方法で、かけがいのないよい日々になる。
しかし、いま有機というと、スペシャルな位置にあるが、大量流通が可能になり、コモディティな食品に位置ずく可能性がないわけじゃない。
ああだこうだ、考えることが多い。考えることが多くなるトークだった。多くて、書くのがメンドウだ。
それにしても、牧野さんと話していたことは、柏の面白さだった。人口40万人のこの都市は、ほかの東京近郊都市にはないものがある。それは、もしかすると、この町の近郊都市農業の強さと関係あるのかもしれない。
終了21時半過ぎ。さすがに帰りを考えると柏で飲む根性はなく、牧野さんと帰路に着いた。
当ブログ関連
2015/06/06
生きることが批評である生き方、『小さくて強い農業をつくる』久松達央。