鬼子母神みちくさ市「講座」のち、清龍から打ち上げ。
一昨日15日は、わめぞ一味が運営する、今年最後の鬼子母神みちくさ市だった。市の日には、かつておれも五十嵐泰正さんと対談した、トークなどがある。
今年は、連続講座「『商品と作品』のあいだ~表現という仕事のリアルな現場の話~」ということで、毎回ちがうゲストを招き、「聞き手講師に東北新社でCMディレクターとして数々の作品を世に送ってきた」中野達仁さん 司会を「東京をハイパーローカルに掘り下げるシティカルチャーガイド『TOweb』を立ち上げた」武田俊さんで開催してきた。
今回の最終回は、というのはマチガイでして、連続講座は来年も続くので今年最後のゲストですが、森山裕之さんなので、ひさしぶりに森山さんにも会い、話も聞きたくて参加した。時間は13時半から15時まで。
森山裕之(もりやま・ひろゆき)さんについては、みちくさ市のサイトには、「1974年、長野市生まれ。編集者、ライター。大学卒業後、印刷会社の営業マンを経てフリーライターとして活動。2001年より編集の世界に入り、雑誌『クイック・ジャパン』、『マンスリーよしもとPLUS』の編集長を務める。」という紹介がある。
森山さんは、一部では、「カリスマ編集長」といわれたり、編集以外の分野でもジャーナルな感覚で活躍しているが、おれのなかでは、彼は「あだち充のひと」なのだ。10年前ぐらいか、南陀楼綾繁さんが座長のBOOKMANの会というのがあって、そこで森山さんが、あだち充について語ったことがある。その知識のすごさもさることながら、漫画の読み方ということからも深いものがあって、おれはすごくビックリした。
その印象が鮮烈で、そのころ森山さんは『Quick Japan』の編集長をしていたが、おれはそちらのほうは疎く、とにかく「あだち充のひと」になってしまった。ひさしぶりに会う森山さんは、ヒゲをはやしたこともあるが、すぐにはわからなかった。
出版関係のゲストは森山さんが初めてということだった。表現をめぐって、ジャンルクロスオーバー的、かつ「有名人」というよりは現場で格闘し活躍しているひとをゲストに招くというあたりが、わめぞらしい。
話は、「大学生時代に始めた『みえない雑誌』」「印刷会社営業から太田出版『Quick Japan』へ」「飛鳥新社 『daikaiパンチ』から、よしもとクリエイティブ・エージェンシー『マンスリーよしもとPLUS』へ」「独立、ひとり出版社の立ち上げ」という順に進んだ。
森山さんは74年生まれ。『みえない雑誌』は、大学に入り長野県人学生寮で過ごしていたとき、同じ寮の学生たちと始めたもの。現物を見せてもらったが、創刊号の特集は「大学」で、94年12月の発行。ワープロで作成した版下を簡易印刷で印刷し、自分たちで中折りホチキス留め、500部ぐらいだったかな、フリーペーパー。森山さんは、大学を4年で卒業し印刷会社の営業マンになっても続けた。それが2000年11号まで続くのだが、9号からは表紙はカラー印刷の厚い平とじで3000部ぐらい印刷、書店売りもしていた。もう「出版人」だ。
印刷会社をやめフリライター、『Quick Japan』に出入り、編集に欠員ができ編集部に入った。編集長になったのは、わずか3年後ぐらい。それは突然やってきた、ある日、赤田祐一編集長が、「疲れた、お前がやれ」と言って。ま、中小出版社というのは、そんなものなのだろう、面倒なこともなくチェンジ。
その赤田さんは、のちに飛鳥新社に移り 『daikaiパンチ』を立ち上げた。おれは、その 『daikaiパンチ』に何度か寄稿している。知り合いの編集者、清田麻衣子さんが声をかけてくれたからだ。そこに森山さんが副編集長として転職。2007年ごろのこと。
その後一年ぐらいで、森山さんはよしもとクリエイティブ・エージェンシーへ。清田さんも、そこへ移った。清田さんは、一昨年だったかな、里山社という出版社を立ち上げ、11月に田代一倫写真集『はまゆりの頃に 三陸、福島 2011〜2013年』を出版、昨年7月には、おれも買って持っているが『井田真木子 著作撰集』を発行。いずれも、出版人として、熱く、ドッシリした仕事をしている。
森山さんが、この9月でよしもとをやめ出版社を立ち上げる選択をしたのは、元同僚の清田さんの仕事ぶりに刺激を受けたこともあるのだろうか。その話はなかったが。とにかく、森山さんは、雑誌編集だけではなく書籍編集も手がけている。もとはといえばライターをやりたかったらしいが、編集の才能もあったのだろう、なにより「出版人として生きる」自覚や気概がある。「出版」にアイデンティティがあるというか。
つまりは、「『商品と作品』のあいだ」は、出版人としてのあり方と密接なのだ。その意味では、組織でやってきたことが、大いに力になりそうだ。年内立ち上げの予定だが社名も決まっていない出版社では、「ミリオンセラーをねらいたい」と力強く言っていた。これまで20万部30万部は経験しているから、そこまでは見える、その先を。
いまどき紙物の出版社を立ち上げるなんて、といわれるが、「いい本」なら売れる、売れる「いい本」を作りたい。それは、彼が知っている長野の田舎のヤンキーのような人から都会のインテリまでが読む本。時代の波長と著者なり作品なりを、どうマッチングしていくか。
と、なかなか力の入ったおもしろい話だった。ひとり出版社というと、最初からニッチ狙いのコツコツ路線、小さいことはいいことだコツコツはいいことだ式が少なくないのだけど、ミリオンをめざす、出版だからこそ大小関係なくミリオンをねらえるのだという考えに、可能性を感じた。森山さん42歳、大いにやってほしい。
終わって、16時までやっている、みちくさ市へ。鬼子母神商店街を歩いていると、道路わきに野糞をするようにうずくまっている、冴えない老人がいる。誰かと思ったら塩爺。古本が売れない、赤字になりそう。そもそも、みちくさ市は、鬼子母神境内で行われる手づくり市と連動しての開催なのだが、この日は朝方まで雨模様で境内の地面は濡れているため手づくり市は中止、そのぶん人出がガタ減りという影響を受けたようだ。ま、いい日もあれば、悪い日もあるさ。
18時ごろから「打ち上げ」があるというので参加することにし、それまでどこかで一杯やることにして池袋へ。たまには、ひさしぶりで「清龍」へ行ってみようかと、南池袋公園近くのそこへ。すると、なに、これ、清龍。以前は2階か3階ぐらいまでの営業だったのに、全館ギラギラの清龍。しかも、一階には、最近清龍が始めたバルが入っている。いやあ驚いた。じゃ、本店に行ってみようと、本店まで行った。本店は変わらず。ビールと本醸造大徳利を空けているうちに、ちょうど時間となりました。
打ち上げの会場は、名前を覚えていないのだが、前にも一度行った、地下鉄東池袋駅そばの高速高架下にある、すがれた居酒屋。一軒貸切飲み放題。まいどのことだが、もう野武士の宴会、梁山泊のよう。いろいろ話もはずんで、なかには離婚話もあったような気がするのだが、その夜の夢のことなのか区別がつかないアリサマ。とにかく、森山さんの話もそうだったし、わめぞ一味の雑多な人たちの可能性を感じながら、楽しく泥酔の淵に沈み帰還。
最後に野武士のような落武者の写真。
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