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2016/01/14

地守神社の掛軸。

036_2秩父の山奥の家では、正月を迎えるのに、神棚の前に掛軸をかける。昨年までは、「天照皇大神」という文字だけのものだったが、今回は、押し入れから見つかったという古い掛軸だった。

パッと見、日本武尊と天狗とオオカミの絵だったので、三峰神社のものかと思ったのだが、「地守神社」とある。はて、「地守」などというと「土地を守る」ということだろうから、どこでも通用しそうな名前ではないか。もしかすると、特定の神社のことではなく、日本武尊と天狗とオオカミを祀る神社の総称あるいは一般名称というもので、やはり三峰神社の系統ではないかと思った。

それにしても、上から順番に日本武尊と天狗とオオカミの絵があるのは、意味深長であるように思えた。

「お犬様」と呼ばれるオオカミ(山犬)信仰は、『オオカミの護符』にも詳しく書かれているが、縄文期ぐらいまで遡れそうな、かなり古くからの関東甲信あたりの土着信仰だ。

修験道が祀る天狗は、「狗」がイヌであることから、古い土着のオオカミ信仰と山岳信仰から生まれたものとの言い伝えもあるが、伝来の儒教やら仏教やらのリクツを吸収しながら、ようするに都合のよい教義によって出来あがった単なる信仰ではなく宗教で、土着と余所者の折衷ともいえる。

これらに対して、日本武尊は、まったく土着性のない余所者の宗教、神道の神様だ。

しかし、三峰神社など、日本武尊と天狗とオオカミを祀る神社の言い伝えでは、日本武尊が「東征」の折に神社を造り、のち修験道がオオカミ信仰を広めた、ということになっているようだ。

このあたりの話は、日本と関東や東日本の歴史もからんで、おもしろい。

もちろん、農業や食も関係する。

それはともかく、「地守神社」を検索したら、あった。神社のサイトはなく、訪問した方のブログの一例になるが。「Tigerdreamの上州まったり紀行 上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。」というブログの2015年4月25日のエントリに、「鮎川の両岸に鳥居がある -地守神社-」とあるのだ。比較的新しい訪問記だ。
http://tigerdream-no.blog.jp/archives/28186977.html

地守神社は藤岡市下日野の鮎川沿いにある、かなり古い神社らしい。かつては、かなりの勢力だったと思われるのは、この掛軸は戦前のものだからだ。

この掛軸のある家は群馬県境に近く、そこから地守神社は直線距離で10数キロといったところか。三峰神社と地守神社は直線距離で30数キロぐらいか。昔のひとの足なら、遠くはない。

036002『オオカミの護符』を読んでも、オオカミ信仰のもとは、焼畑農業など山の民の暮らしと深い関係がある。この掛軸がある家の周辺でも、焼畑農業は昭和30年頃まで行われ、自給自足が中心の暮らしだった。それは「米が主食」ではない暮らしだ。

オオカミ信仰が里へ広がるについては、修験道の行者の役割が大きかったのは確かだろう。それは「川の東京学」も関係する、関東の山々と東京低地と両者を結ぶ水系のことでもある。

と、またまた「川の東京学」の妄想が広がるのだった。

現在の、東京的な「善良」と「悪」は(味覚の「善良」や「悪」も含め)、どう決まってきたかなどについても、なかなかおもしろい含みがありそうな掛軸だと思った。

三峰神社もだが、明治までは神仏習合の「権現」であった。それは、土着的な信仰を吸収し排除することなく成り立ってきたようだが、明治以後の国家神道による廃仏毀釈により事情が変わった。「三峰権現」は「三峰神社」と名前を変えざるをえなかったが、とはいえ、古い土着の信仰を排除しきることはできなかった。そのへんに、キレイゴトではない、真理がうかがえそうだ。

味覚についていえば、東京の味覚は、「いい」評価の話題や人気や有名に支配されているようだけど、その実態はどうか、あるいは、その「東京」とは、どこのことか、など、いろいろなことに関わることでもある。

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