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2016/01/18

ふみきり@溝の口でのトーク、盛況御礼。

一昨日のふみきり@溝の口での坂崎仁紀さんとのトーク、ご参加のみなさん、ありがとうございました。

ふみきりはスタンディングが基本の店とはいえイスも用意してあり、人数によってはイスを使う予定だったけど、それでは入りきらない人数になったことから、トーク後の懇親飲みも含め約4時間立ち続けというアリサマだった。お疲れさまでした。

002最初の写真は、会場のものではなく、大宮のいづみや。なんだか、なごみますね。

おれは、東大宮から遠い溝の口へ行くのに、まずは大宮のいづみやで一杯やり、つぎに新宿あたりで一杯やり、という予定で、早めにウチを出た。近頃のいづみやは、いつも混雑していて(最近また『散歩の達人』に載った影響もあるらしい)、この日も9割方の入りで、空いていた壁と向き合うカウンターに座ったら、目の前に、このPOPがあった。

これ、どうやって作ったのだろうと、目を近づけて見るけど、わからない。とにかく、絵柄はいづみやのおばさんの感じがよく出ているし、だけど手描きでもないし、オリジナルでもないようだ。それにしても「舶来ハイボール」とは、まさに昭和的表現。

デレデレ飲んでいるうちに、気がつけば、時間がギリギリになっていた。もはや、新宿でもう一杯の余裕はない。渋谷で田園都市線に乗り換え、ふみきりに着いたのが17時。トークのスタートは17時半の予定だ。

ふみきりは、初めて行ったのだが、コの字カウンターの店。厨房ではタイショーが料理を作っていた。「タイショー」とは、以前から、ときどき当ブログに登場している、塩崎庄左衛門さん。たぶん10年以上前、タイショーと初めて会ったときは、カメラマンだった。そのころは、田口ランディさんと一緒にメキシコを旅し写真を撮り、『オラ!メヒコ』(角川文庫)という本になっていたり。いまでも、カメラマン仕事もやっているらしい。おれとは日本森林再生機構の同志だ。ようするに、一緒に酒を飲んでいるだけで、よくわからない楽しい関係なのだ。

そのタイショーが『ちょっとそばでも』の著者・坂崎さんと知り合いだった関係で、今回のトークになった。坂崎さんとは、昨年後半、鴬谷の信濃路でタイショーに引き合わされた。その後、メールでのやりとりはあったが、顔を合わせるのは、この日が2回目。

これまで東京西南方面でのトークというと、下北沢や経堂では何回もトークをやっているが、渋谷の大盛堂書店で速水健朗さんと対談、鎌倉でヒグラシ文庫の主催で瀬尾幸子さんと大竹聡さんと鼎談をやっているだけで、東急沿線では初めてだ。

ということで、今回は、いつもの野暮連な面々のほかに、横浜方面の方々が来てくださった。予告もなくあらわれた、久しぶりのエロモリタ夫妻、うれしかった。かねがねお会いしたいものだと思っていた在華坊さんが来たくださり、うれしい初対面の挨拶。

エロモリタ夫妻は、あいかわらずエロ元気で楽しい。トークが始まる前からエロ夫妻と野暮連周辺は、「野暮は正しい!」「エロは正しい!」とエロウ盛り上がり、そのままトークに突入した。

もちろん、坂崎さんのお知り合いや、立ち蕎麦ファンの方もおられた。

坂崎さんとおれとで事前に用意した、といっても、おれは写真をセレクトし坂崎さんに送っただけ、坂崎さんがまとめてDVDにしてくださった。それを映し、その前で、トークする。お客さんも立ったまま。店内一杯なので、舞台スペースというほどのものもなく、お客さんのなかに混ざりあう感じで、これが、なかなかよかった。やはり、舞台的空間と客席的空間が別なのとは、だいぶちがう。

最初の画像は、かつては、都内の「国電」の駅いたるところにあったが、いまは秋葉原駅の総武線ホームにしか残っていない「ミルクスタンド」だ。そして、話は、「初めての立ち食い」ってあたりから。

戦中の1943年生まれのおれの年代は、たいがい「立ち食いイケマセン」で育っている。田舎育ちも関係するのだろうけど、上京して、ミルクスタンドの前で立ったままパンと牛乳で腹ごしらえすることに抵抗感があった。抵抗感がありながらも、空き腹には抵抗できず、利用した。1962年頃の「国電」駅には、ミルクスタンド以外、たいしてなかった。

1959年鎌倉の生まれ育ちの坂崎さんのばあいは、『ちょっとそばでも』の「名代 富士そば」のところにも書いているように、10代ぐらいに、この渋谷店に行った記憶がある。

そこにある年代と体験の差は、立ち食いをめぐる文化の変化でもある。

蕎麦は江戸の「ファストフード」といわれたりするけど、「立ち食い」となると事情は単純ではない。立ち食いは、戦前からあったのだけど、都市の下層労働者のあいだでのことだった。そして、戦後は、都市のサラリーマンとの関係で成長した。つまり、高度経済成長期と重なる。立ち食いが「市民権」を得て、「ファッション」にまでなったのは、1970年代前半、マクドナルドの進出からだろう。

そうそう、イチオウ、このトークのテーマは「これが昭和だ東京の味だ」ということだった。立ち食い蕎麦は、戦後の昭和の食文化や東京の食文化を、とてもストレートにみることがきる。もちろん大衆食堂もそうなのだが、大衆食堂は立ち食い蕎麦店より空間的なゆとりがあったぶん、空間の物語性が占める割合が大きくなる。過剰な人情話など。

立ち食い蕎麦店は、近年はイス席が拡充するなど様子が変わってきたが、それでも基本は、金銭と時間の制限がある勤労者によって支えられている。空間に物語性があったとしても、お客の滞在時間は短いし、そこに期待される割り合いは、わずかだ。

おれは、そう思いながら、このトークにのぞんだ。

いろいろ話は転がり、最後は、「いい店おもしろい店」を画像で紹介しながら、興味深いところを話して、終わりとなった。

立ったままのトークというのは初めてだったと思うが、身体を自由に動かせるから話のリズムをとりやすい、スタンダップコメディのように、調子よく楽しく話を運べるが、トシのせいもあって疲れる。最後の方は、疲れて、メンドウになって、終わりにした。

あとは、もう懇親会がにぎやかでしたね。これが楽しみのわけです。もうドンドン飲んで、途中からよくわからない、どうやって帰ってきたかもわからない。よく帰って来れたなあ。

書くのもメンドウになったので、これぐらいで。

酔仙亭響人さんがツイッターに写真をアップしてくださった。どうもありがとうございました。

在華坊さんも、ツイッターでコメントしてくださいました。ありがとうございました。そのうち、在華坊さんと野毛を飲み歩きたいと思っています。

溝ノ口『ふみきり』で、エンテツこと遠藤哲夫さんと坂崎仁紀さんのトーク。立食いの都市下層労働者からサラリーマンへの需要変遷、北関東の粉食文化、街場の蕎麦と一味違う大衆蕎麦、関東の味とは砂糖と醤油、大衆食における出汁の意味、面白い大衆蕎麦大衆食堂の店情報、興味深い話テンコ盛りだった!
22:01 - 2016年1月16日
https://twitter.com/zaikabou/status/688345295474720768

溝ノ口『ふみきり』は居心地の良い店でした。トークのあとは、エンテツさんや、野毛をはじめあちこちの飲み屋事情に詳しい方、野毛闇市についての出版関係の方、美術館関係の方、牧野伊三夫さんのお知り合い、歓楽街の社会学に知見のある方、いろんな方とお話できて、とても楽しい時間でありました。
22:06 - 2016年1月16日
https://twitter.com/zaikabou/status/688346552553754624

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