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2016/02/29

東京新聞「大衆食堂ランチ」40回目、本駒込 ときわ食堂。

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去る19日は、第3金曜日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。今回は、本駒込のときわ食堂で、すでに東京新聞Webサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2016021902000171.html

「本連載で、店名に平仮名で「ときわ」とある食堂は5軒目だ。まだまだあるが、おなじ看板のときわ食堂の分布は、東京の地形と関係がありそうで興味深い。東部の東京低地に多いが、この店のように台地側にもあって、しかも、たいがい、北部の台地のテッペンより下った地域にある。」という、地形に関する書き出しで、食堂の話としては「異色」だろうとおもう。

というのも、近頃は「川の東京学」的視点というのが、いつも脳ミソのなかに寝転がっていて、なにかを見たり考えたりすると、これがしゃしゃり出てくるからだ。

とはいえ、地形や地理と味覚は、けっこう深い関係にある。いまどきのグルメ的な食べ歩きをする人たちの興味や関心というと、味覚を狭い範囲でしかとらえていないから、こういうことを書くと、味覚とは関係ないじゃないかとおもわれることが多いのだが、「味覚の高低差」というのはあるとおもっている。

とくに東京のばあいは、台地と低地と文化のちがいはあきらかで、これは味覚にも関係しているはずなのだ。ま、それは、人間は社会的に食べているからなのだが。視覚だけではなく、味覚で高低差を感じることは、食物の鑑賞や観察として、アリだとおもう。

ときわ食堂のように、戦前からの歴史があると、こういうことが可視化されやすい。なにしろ戦前から戦後の1970年前後ぐらいまでは、いまの「東京」と「東京」のカタチがちがっていた。それは、おれが上京した昭和37(1962)年頃の都電網をみてもわかる。都電網は圧倒的に東側の低地であり、西側でも台地の、昔は川や谷だったであろう、低地沿いを走っている。つまり、このあたりに都電を利用する庶民が多かったのだ。

この駒込のへんでも、元国鉄現JR駅がある台地のテッペンは、お屋敷町で住人は少なかった。JR駒込駅などは、ちょうど台地と低地の崖にあるから、その構造がわかりやすい。低地側の改札口のほうが、はるかに密集度が高く、中小の工場も多かったし、ピンク店もにぎやかだった。90年代ぐらいまでは、商店街に大衆食堂もあった。

このときわ食堂のばあいは、田端に近い「動坂町」から駒込に向かって坂をのぼる途中、駒込側からなら坂をくだる途中の、「神明町」あたりが、最寄りの都電の停留所だったはずだ。都電が廃止になってからは、地下鉄南北線の駅ができるまでしばらくは、バスを利用しないと、最寄りのJR駅からチョイと歩くことになってしまった。

と、またまた地形のことにハマってしまったが、このときわ食堂は、飲兵衛たちのあいだでも人気だ。おれの知り合いにも、何人か、ここが好きなひとがいる。

編集さんがつけた見出しに、「下町でときめく600円」とあるが、厳密には、ここは「下町」ではない。だけど、「谷根千」を下町というよりは、下町的だろう。

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2016/02/27

『栄養と料理』で栄養と料理を考えてみる。

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『栄養と料理』3月号(女子栄養大学出版部)をいただいてから2週間以上がすぎてしまった。はあ、どうしていつも、なんだかんだ、いろいろ重なるのだろう。とはいえ、いろいろ重なると、重なったからこそ見えてくることもある。今回は、とくに、以前読んだことのある、味覚がらみの資料を集中的に読めたのが、よかった。

味覚や料理に関する本ばかり読んだが、栄養の話は、ほとんど出てこない。というのも、たとえば丸元淑生の『いま、家庭料理をとりもどすには』や『悪い食事とよい食事』などは、味覚や料理の話としてはツマラナイから、最初からはずしてあるからだ。ツマラナイというのはいいすぎで、一度読めば、二度と読む必要がないというほうが正確か。

とにかく、栄養と料理は、けっこう矛盾している関係なのだ。栄養は、料理の片面だけ、あるいは一部だけでしかない。食文化からみれば、料理は食文化のことだけど、栄養そのものは生理であって、食文化ではない。

ただ、栄養に、どういう態度や考えでのぞむかは、文化のことで、これは食文化だけではなく、健康に関する文化や、人生哲学のようなものまで関係する。それは栄養は生理のことだから、生命のことでもあるからだ。つまり、自分の生命=肉体とどう向き合うかは、それぞれの生き方のことが深く関係する。

ところが、いわゆる栄養の専門家のような人たちは、簡単にいえば、人間はみな健康のために生きている、健康のために生きなくてはならない、と、考えているようなのだ。

その態度が、じつに「説教臭く」て、あまりよい印象がない。それに、栄養にからんで、「癌にならないための食事」とか、エセ科学っぽいアヤシイ話も多く、ウサンクサイ印象が蓄積している。おれのなかに蓄積しているだけかもしれないが。

そのイメージが『栄養と料理』にまでかぶって、この雑誌は、昔のクセで、ときたま本屋でパラパラ立ち読みをすることはあっても、買ったことはない。

昔のクセというのは、1970年代は、仕事柄、会社のカネで毎号見ていた。商品開発やメニュー開発や販売促進では、イチオウ目を通しておかなくてはならない雑誌だった。

あのころは『三訂日本食品標準成分表』の時代で、これは仕事で必須だったから、一部は丸暗記するぐらい覚えていた。

ところが、『三訂日本食品標準成分表』は、1963年の改訂版だが、つぎの四訂版が出たのは1982年で、その間、三訂を信じているほうもオカシイのだが、でも、みんなこれを基準に仕事をしていたのだ。で、四訂が出て見たら、三訂とくらべ、100g当たりの成分が大幅にちがっている食品が、けっこうあったのだ。

そりゃまあ20年近くも改訂されてないのだから、とうぜんのことなのだが、おれは、それでアタマにきて、それから、一切、この成分表は見なくなった。こんなアテにならないものを根拠に、ああでもない、こうでもないやってきた自分がバカバカしく、ついでに栄養の専門家たちにも、興味を失った。

そもそも、食物の成分などは、たとえば野菜などは、とれたてとスーパーに売っているようなものとは、ちがう。おなじ魚でも、とれた海によってちがう。

ま、そういう話は、よい。

『栄養と料理』だけど、この雑誌は、健康オタクの一般(女性)誌と栄養業界誌と女子栄養大学PR誌がまざりあったような内容と作りで、この3月号は、おもっていたより、おもしろく読んでしまった。

もくじのつぎの見開き、久間昌史さんの写真と文がよかった。「食を魅せる くまの眼」ってことだけど、写真家の文章というのは、なかなかよいものが多いね。ニンゲンやモノを観察する態度のちがいだろうか。

「「台所遺産」を見に行こう」が、おれもアチコチの遺跡を見に行っているので、興味深かった。

特集「やっぱり気になる!?女のコレステロール」は、更年期を迎える女性に対象をしぼっているので、単なる善悪論でなく、話が具体的で説得力があった。

おれの周辺には、更年期を迎えるか突入しているひとが多いので、おもわずマジメに読んでしまった。説教臭くもなく、押しつけがましくもなく、ようするに「自分の体と向かい合っていくことがとてもたいせつなんですね」ってことで、おわる。では、どう向かい合うかは、栄養学のことではないからだろう。だけど、そのへんがまあ、どうなのか、難しいところを避けて、けっきょく「自己責任」か、という感じでもある。

体の悪いひとは、栄養は切実な問題であるように、日々の仕事や暮らしも健康なひとにはない切実なことを抱えている。コレステロール対策に「運動」があるけど、もともとそれだけ運動できるヒマがあるなら体を悪くしない、というひとも少なくないだろう。

どう自分の体と向かい合っていくか、あるいは、うまいものが食べたいという欲求と、どう向かい合って行くかがないと、やっぱり栄養オタクや健康オタクための話になってしまうような気がする。ってことで、内澤旬子さんの『身体のいいなり』を思い出した。

それはともかく、詳しくは知らないが『栄養と料理』にとって、栄養オタクとか健康オタクは、コアの読者かもしれないが、なんの雑誌でも、課題はコアの読者の外側をどう開拓できるかだろう。

この雑誌をいただいたころは、『ku:nel』のリニューアルをめぐって、一部の人たちがナンダカンダ騒いでいた。どちらかといえばコアな読者だった人たちばかりのような感じだったが。ファンの深情けという感じもあった。

だけど、この『栄養と料理』は、そういう、ギョーカイ人が注目するような、カルチャー誌とかライフスタイル誌とはちがう。そういえば「食はエンターテイメント」の『dancyu』とは対極にある雑誌だ。いまどきの、オシャレな「上質」といわれるデザインの雑誌ではないし、そういう系統のファンなど見向きもしない雑誌だろう。

だけどおれは、もう「本好き」とかいう人たちが好む、ある種のテイストに食傷気味だから、この雑誌の、ちょっとダサイぐらいの大味のデザインに、なぜかホッとするものがある。メイン・ターゲットが50代女性ということだが、おれもトシのせいか、本文の文字がデカイのもよい。ヤボでノビノビした感じは、よいものだ。

それはともかく。栄養と料理という矛盾あるテーマを一緒に謳うなら、やはり、サヴァラン様の『美味礼讃』に立ちかえるのがよいとおもう。この本は、たいがい、文学的な箴言ばかりもてはやされているが、もとのタイトルは『味覚の生理学』であり、生理と栄養と料理と美味の関係などを語っているのだし。「精力」のつく料理の話もあるしね。

なのに、栄養の専門家たちときたら、栄養があるものはうまい、和食は栄養学の理にかなっているとか、食は生命なり、などなど、そういうことをいっていればコトがすむとおもっているのか、なんだか論理は乱暴だし深みがない、だいたいツマラナイ。いったい、サヴァラン様の『美味礼讃』を、どのように読んでいるのだろうかとおもう。

テナことを考えたのだった。

とにかく、健康に関心があるからとか、体が悪いからとかだけではなく、健康な人間でも老化するわけで、つまり肉体の生理は変化するわけで、それと共に味覚も変わるわけで、日々の味覚の愉しみが、どう生理や栄養と関係するかぐらいは、普通に知っておいてよいことが、もっとあるとおもう。十年一日のごとく「体によいから」「体に悪いから」栄養学じゃダメだろう。

とりあえず、本屋で『栄養と料理』を手に取ってみよう。たばこは吸わない方がよい、酒はほどほどに、といったステレオタイプで非文化的な文言を無視して見れば、それなりにナルホドとおもうことがある。でも、栄養学者ってのは……。

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2016/02/14

「深情け」問題。

味覚に関する本を読んでいたら、「悪女の深情けはいけない」という表現がでてきた。

それは「日本の美点」に関係する調味料の話で、それがどんなに美味であっても、「悪女の深情けはいけない」というのだ。

話としては、まったくその通りで、よくわかることなのだが、「悪女の」をつけなくても、「深情けはいけない」で十分に話は通じる。なんのために「悪女の」としたのか、文学的なアヤなのか、チョイとひっかかった。

書いているのは男の作家だが、「深情けは」は男にも女にもあり、どっちにしろいいことではない。男の深情けも女の深情けもコワイものがある。

「情け」だって「贔屓」だって「思い入れ」だって、なんでも「度」が過ぎたらよくないに決まっている。

だけど、いったん「好き」となると度をこしやすい。好きなんだからいいじゃないか、ということになりやすい。押しつけがましく、うっとうしくおもっているひとのことなど眼中になく、傍若無人ともいえる言動やふるまいに出る、「好き」ゆえに。

SNSなんてものが普及して、眺めていると、けっこうそういうことが多い。しかもSNSは、深情けにはまりやすいようだ。なにしろ、私がキレイとおもった花を、おなじようにキレイといってくれるひとが、簡単に見つかるのだ。そして気にくわないやつは、フォローしなければよいし、ブロックもミュートもできる。

「ニッポンすごい」とやらは組織的にお盛んなようだし、度のすぎた粘着質の「○○すごい」やら「オレすごい」やらが、あふれかえっていて、それに批判どころか、ちょっと疑問を示したぐらいで根に持たれ、大変なことになる。「深情け」は、たちまち「憎悪」に変わったりするのだ。もうとてもオトナのこととはおもえない。

「深情け」の裏側には、過剰で幼稚な自己愛や自意識が貼りついていて、ワタシが好きなことに、ちょっとでも疑問をさしはさまれると、たちまち、それが強力に前面に出てくるようだ。

おれは、ベタベタするのは苦手のうえモノグサもあって、「情け不足」が常態のように見られるようだし、そのうえあまり忖度なくものを言うから、「もっとファンを大事にしたほうがいいよ、あんたは冷たすぎる」と忠告されることもあるが、「そうかなあ」ですましている。

もともと「度」というのは、はかりかたが難しいものではある。

ファンを持つのも、ファンになるのも、メンドウなことだ。それに「深情け」は、公平公正を欠きやすい。お互いに、普通に大らかで愛情豊かであること、つまり公平公正に公共関係が成り立つことを心がけていればよいのではないか。

とくに食べ物や味覚などは、公共関係をよりよくするのに、大いに役立つものであるのに、「深情け」でそれを難しくしては、なんにもならない。

今日はバレンタインデーだが、誰もチョコをくれないぐらいが、ちょうどよいのだ。酒をもらうのは、情など関係ない好物だから、意地汚く飲めて、うれしいが。

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2016/02/12

生活のカタチと起伏、楽しみのカタチと起伏。

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このあいだ、某野暮な酒場のカウンターで、結婚数年たったか?の夫妻の妻が、トツゼン、「私たち、二人で楽しむために、子供はつくらないことにしました」と宣言した。細かいところは「二人で楽しむ」だったか、「生活を楽しむ」だったか「人生を楽しむ」だったか、覚えていないが。

たちまち、周りのものたちに、「コラッ、日本は子不足なんだぞ、子供をつくれるのに、なんでつくらないんだ」と、ジョーダンでだが、とっちめられた。

子供をつくるつくらないは、夫妻のことだから干渉する気はないが、「子供」と自分たちの「楽しみ」がテンビンにかけられる時代なんだなとおもった。

ほんらい、これは、テンビンにかけられることではないはずだが、かけられるようになった現実も、わからなくはない。いまや、「子供をつくる」ことは「リスクを背負う」ことになると考えている人も、少なくないようだ。それだけ個人負担が大きく、個人が背負う経済的な不安やリスクは、かぎりなく増大し、大人一人が無事に過ごすことすら大変な実態がある。

一方で、とうぜんながら、あまり余裕のない収入のなかでも、子供をつくる夫妻もいる。

2015/08/04「数字は正直だ。」に書いたように、『リビングさいたま』というフリーペーパーに毎号載っている「家計簿拝見」を、おれは「愛読」している。

その最新2月6日号を見て、ちょっとおどろいた。

妻31歳、夫30歳、長男2歳、長女9カ月の4人家族で、東京都に住んでいる。

収入の内訳が、「月間収入(手取り)夫 230,000円、ボーナス収入370,000円」。まず、ボーナス少なすぎだろ、とおもったが、手取り年収を計算したら、3,130,000円だ。

資産は、預金が2,000,000円。

東京都の平均年収を450万円ぐらいを基準でみれば、それを下回る400万円ちょっとぐらいの年収だろう。平均数値だけでならせば、この年齢で、この収入は、悪い方ではないはずだ。だけど、階層的にみたら、資産も含めて、低いほうになるにちがいない。

ようするに平均が低すぎるのだが、この階層は多いので、みんなが低いと、あまり低く感じない、「普通の家族」で「普通の生活」ということになる。

経済的に「楽しさ」をはかるなら、つまり、消費で楽しさを買うには、厳しい感じだ。それに、こうまでなんでもカネがかかるようになると、なにがあるかわからない将来の不安に備え、そんなに楽しい消費をしていられない。わずかな出費も、節約を考えながらということになるだろう。

そして妻の相談は、「住宅購入を検討しています。このままで買えるでしょうか。また、貯蓄をするのにどこを見直したらいいでしょうか。子供が幼稚園に入ったら、夫の扶養の範囲内で働きたいと考えています」というもの。子供が2人いたら、家も欲しくなるだろう。

回答者のファイナンシャル・プランナーは、まず、「住宅を買うなら物件価格の3割程度の頭金は準備したい」と「家計のムダ」を省くことをすすめる。

その一つが、月間支出の住宅費75,000円が、夫の手取り収入の約3分の1を占めて高めであること。この住宅費を続けるなら、妻が働きに出ることは賛成だけど、「ただ、扶養を意識して年収を抑えるのは再検討されてもいいでしょう。扶養の要件は、女性の社会進出を妨げるとして今後改正される可能性があります。それよりは、できるだけ多く働くことを検討してもいいかもしれません」という。

「扶養の要件は、女性の社会進出を妨げるとして今後改正される可能性」については、近頃いわれている「女性の社会進出」がどういうものであるかを考えれば、無理矢理の「一億総活躍」に組み込まれる個人の役割(負担)増で、あまり明るい楽しいイメージではない。

それはともかく、もう一つは、夫の小遣い18,000円も抑えるアドバイスになっている。18,000円を30日で割ったら、一日600円。これを、さらに抑える。そこには「家を買うという目的を夫婦で共有する」楽しみや喜びが必要になる。

子育ては、すでに夫婦で共有する楽しみや喜びになっているにちがいない。

この夫妻の、生活と楽しみについて、数字を見ながら想像してみた。食費は1カ月21,000円、その楽しみ喜び。

生活にも楽しみにも、それぞれの性格や家計や考え方などのデコボコがある。

そこに一つの価値観やロールモデルを押しつけようとすると、みんなノッペラボウになるし、残るのは、なんだか、いいテイストかもしれないけど、なんだか、ふわふわした薄っぺらな話ばかりだ。

それに、自分が、いいモノいいコトを知っているからといって、それでさまざまな生活や楽しみのデコボコを測って埋めてしまおうというのは、過干渉でもある。

そんなことより、まずはデコボコの実態そのものを共有することのほうが、「格差拡大」がいわれるいま必要なことだろうし、大らかで深みがあってよい。アル添の安酒だって、ただの茶碗酒だって、楽しい飲み方があるよ。

と、ダンゴムシ論は、おもうのだった。

当ブログ関連
2016/01/30
東京都区部の年収階層格差を知るデータを、チョイと。

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2016/02/10

向島で飲む。

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一昨日の8日は、向島のかどやで飲んだ。19時に曳舟駅集合だったが、なんだかんだで、かどやで飲みはじめたのは19時半ごろだったか。

先月初めてお会いした、すみだ青空市ヤッチャバの松浦さんほか、大学の授業で知りあった地元のNさん、初対面の地元で飲食店をやっているYさん、彼らには初対面になるおれの知り合いで地元に住んでいるSさん、というぐあい。おれ以外は、みな地元民、しかも東向島や八広の生まれ育ちが2人という、なかなか濃い向島飲みだった。

かどやで夜の時間は初めて、5人も一緒に入れるかと思ったが、大丈夫だった。その前の土曜日は大行列だったらしいが、平日の夜ともなると、ふだんの「川向こう」なのかも知れない。向島あたりの、戦災から焼けずに残った路地には、「夜の帳がおりる」という表現がピッタリなほど、静かな闇がある。

とにかく、とりとめなく、いろいろ話がはずむ、楽しい飲みだった。

おれとしては、いろいろ松浦さんと話したいことがあったような気がするが、とりあえず、かどやへ行く道みち、松浦さんが、なんで墨田にしたのかを聞けて、それが非常に納得できたので、よかった。

それに、とりとめのない話をしながら、「ダンゴムシ論」と「川の東京学」と「野暮」について、いろいろ展望が開けた。

このあたり、なんだか、からんでいそう。やどやゲストハウスことも、からんでいそう。いろいろやってきたことが、いろいろからんでいそう。今日は、『四月と十月』に連載の「理解フノー」の原稿締切日だったんで、そのことについて、「ダンゴムシ論」のタイトルで書いて送った。

すみだ青空市ヤッチャバ、先月は曳舟会場へ行ったのだが、両国会場へも行ってみよう。この「すみだ青空市ヤッチャバ」は、なんだか面白い。

それに、また松浦さんのシェアハウスで、ゆっくり泊りで飲んで語りあいたいとおもった。

が、同時に、もうおれはトシだからなあと実感もした。20代、30代、40代の「熱」には、かなわない。

このあいだ曳舟会場に着くとすぐに、焼芋をいただいたのだが、これが、いまだかつてなかったほどうまかった。芋の種類によるのかもしれないが、焼きぐあいが、水分がほどよくとんでいながら、しっとりしたケーキの台のような感じの仕上がり、皮ごとかじったのだが、皮の違和感もなかった。

この焼芋、人気で、いつも予約だけで売り切れなのだそうだ。

先日の松浦さんのシェアハウスでの飲み会の参加費を払い忘れていて、払おうと思っていたのに、またもやすっかり忘れて帰ってきてしまった。またそれを理由に会うとしよう。曳舟界隈にあるらしい、Yさんの店にも、行ってみよう。

Nさんに、クドウヒロミさんの『モツ煮狂い』のコピーをあげた。Sさんからは、前夜前橋で飲み過ぎた名残りの土産をもらった。

当ブログ関連
2016/01/21
墨田区曳舟周辺で盛りだくさんな一日。

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2016/02/07

川の東京学…『味をたずねて』(柳原敏雄)の浦安。

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昨日と一昨日に書いた「文士」の味覚随筆とはちがうが、ついでにパラパラ見ていたなかに、柳原敏雄の『味をたずねて』(中公文庫、1981年)があった。1965年に、同じタイトルで日本経済新聞に連載されたものがまとめて出版された、その文庫版だ。

著者の肩書は「割烹近茶料理宗家」となっている。あまりあてにならないウィキペディアによれば、「割烹緑風閣を経営後、江戸懐石の近茶料理を体系づけ、1946年近茶流を興して宗家となる」。どのていど実際に庖丁をとっていたかは知らないが、懐石系の料理研究家である。

70年前後は、高度経済成長の波の間に間に消えつつあった、地方の産地や食べ物や生活を訪ねる本が、けっこう人気だった。

この本は、1月から順を追って各地を訪ね、生活歳時記と風物詩と食物誌が一緒になったようなアンバイでまとまっている。その2月に、千葉県浦安町が載っていた。

川の東京学のキッカケとなった、山本周五郎の『青べか物語』の舞台だ。タイトルは、「潮の香匂う"むき身屋"の町」。

川の東京学のフィールドワークで訪ねた、運河の写真も、仕上がりが悪いながらも載っていて、べか舟がびっしり浮かんでいる。

すでに「東京湾の汚水には魚がすめなくなった」「こんな悪条件の中で、東京の下町には自転車の荷台にカゴをのせて、「あさり、はまぐり」と売り声をあげてゆく貝売りを見かけることがある。どこから来たのとたずねると、浦安ですとこたえる。江戸期の潮の香をほそぼそながら東京の町へ送り込む浦安とはどんな町なのであろうか」。

浦安町は、千葉県東葛飾郡。「国電錦糸町駅から浦安行きのバスにのる」。

「浦安の町は"むき身屋"の町といってよいほど、むき身業者が多い」と、貝から身をはずしてむき身にする、その作業現場の写真と、身ははずして貝柱だけついたばか貝の写真が載っている。

この貝柱が、うまかったのですなあ。

もう何年間も食べてない。たしか70年ごろまでは、まだ魚屋の店先に、いまごろの旬の季節には、竹の平たいザルにのって売られていたはずだ。

これを天ぷらにして蕎麦のタネにした、あられ蕎麦も、やっている店が少なくなった。おれが普段利用するような大衆そば屋には、ほとんどない。もう高級品なのか。

ああ、あられ蕎麦が食べたい!

たしかに、ばか貝つまりアオヤギを食べて、春を感じたこともあったな。遠いむかし。

とおもったのだった。

「江戸っ子」とか「東京っ子」の味として語られる多くは、昔から他地域に依存していることが多かった。それは悪いと決めつけることはできないだろうが、当然のことのようにおもい、さらに他地域は東京に依存して成り立っているような認識は、オカシイ。

著者は、べか舟がひしめきあう「風物詩的なながめも、江戸前の味も、高度産業の育成という怪物の爪からわずかにのがれてはいるものの、いずれ時間の問題であろう」と書いている。たぶん、著者が浦安を訪問したのは、東京オリンピックの1964年のことだろう。「怪物」は「東京」そのものだった。

潮干狩りができた横浜の海岸も含め、東京湾岸は埋め立てられ、石油コンビナートや火力発電所が建つ工場地帯になった。

著者は文庫版の「あとがき」に、こう書いている。

「千葉県浦安にしてからが、漁場はすっかり埋め立てられ、マンションや公団住宅が密集して都市化が進み、東京都心とは地下鉄の東西線で結ばれ、二十分足らずの便利さとなった。かつての海苔を干す潮風の香りも、道路にふみしだく貝殻の音も、一昔前の詩情として消えた」。

そして東京は、東京湾の風物詩や旬の味を失ったかわりに、どんどん輸入した石油で生活を豊かにし、世界中の食べ物を集めて、選りすぐりの人たちが選りすぐった、「いいモノ」「いい店」を心地よく楽しんでいます。「一昔前の詩情」などは、「いいモノ」「いい店」には、とてもかなわない。

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2016/02/06

きのうの補足。大阪屋のかあちゃんが亡くなった。

きのう書いた話で、もう一つカンジンなことを書き忘れていた。

文士たちの味覚随筆だが、茶の湯の文化や思想の影響のほかに、いつも決まって「いいモノ」「いい店」のことばかり書いている文士と、そうではなく、味覚(食べ物)と自分の肉体と文化や思想を相対的に関係づけて語る文士のちがいが大きい。

前者は、だいたい登場するモノや店が同じような傾向であり、文章の表現的技巧で、それらがいかにいいかを語る。ある種の「絶対化」であり、相対化とは逆だ。ま、そこがウリだとおもっているのかもしれないし、「いいモノ」「いい店」に依存する人たちが多いなかでは、実際に売れるのはこちらだろうから主流である。

そこに、茶の湯の文化や思想が忍び込んでいることが少なくない。でも、たぶん、読者を酔わせるのは、上手なのだ。しかし、内容は、食文化的に見たら、とても陳腐であることが少なくない。

この傾向が、どんどん過剰になり、たどりついたところが、漫画の『美味しんぼ』である、とみると、なかなかおもしろい。

もう一つおもしろそうなことに気がついたのだが、それは、これから解説を書く本と作者に関わることなので、無事に書きあげてからのことにする。

あまり新しい本を買う余裕もないから、以前に読んだ本をまとめてパラパラ読み返すのも、新たな発見があって、いいものだ。

話はかわるが、きのうは朝9時前に、ふるさとのクボシュンさんから電話があった。朝早い電話は、たいがい不吉とされるが、やはり訃報だった。

六日町の大阪屋のかあちゃんが亡くなった。105歳だった。

大阪屋のかあちゃんは、おれの本でもこのブログでも何度か書いているが、おれが10代のときに、六日町の駅前通りに食堂の大阪屋を始めた人で、いろいろお世話になった。

大阪屋は、おれより少し年長の、長男の「勇ちゃん」が継いで営業していたが、2012年9月に閉店した。

閉店のとき、大阪屋と100歳のかあちゃんを訪ねたこと、大阪屋の思い出などは、こちらに書いた。
2012/09/15
六日町へ行って、今月閉店の大阪屋食堂と100歳のかあちゃん。

お悔やみ申し上げます。

105歳、大往生といってよいだろう。

ご家族の方は、長いあいだ介護が大変だったようだけど、お疲れさまでした。

六日町は、今日から雪まつりだとか。しかし、雪が例年の半分以下らしい。

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2016/02/05

味覚と、肉体や文化や思想。

きのう書いた「清州城信長鬼ころし」は、「安物買いの銭失い」にならなかった。ようするに普通なのだ。これから、家飲みのレギュラー入りするだろう。

昨日は、「安物買いの銭失い」という言葉のおかげで、「安物」という言葉を安易に使ってしまったが、たいがいは、安物を普通のものとしている。わが家のことだが、おれのまわりの世間でも、それが普通だ。

味覚というのは、体力との相対関係で成り立っている面がある。この鬼殺しは、けっこうな辛口で、冷やで飲むと、ソフトなやさしい味になれた人は、ちょっとハードに感じるだろう。胃腸も丈夫で、体力もある人なら、心配はいらない。ちょっとハードに感じたら、燗をすれば、うまく飲める。パッケージの印刷では、醸造元も燗をすすめている。

毎日酒を飲んでいると、その日の体調で味覚が変わるのがわかる。それは、毎日料理しているなら、わかることでもあるだろう。料理人なら、なおさらわかっている。なにしろ、お客の顔を見て、体調を判断して、その客の料理の味を整えるという「名人」がいるぐらいだ。蕎麦屋の主人には、毎朝厨房に入って、つゆを飲んで、その日の自分の体調がわかるという人もいる。

自分の身体にあったものを、あったように飲食したり、自ら自由に楽しむことを開発すれば、けっこう楽しくやれる幅があるものなのだ。

しかし、とかく「いいモノ」に依存しがちだ。「いいモノ」や「いい店」に依存した方が、楽である。楽なぶんカネがかかる。という仕組みは、それはもう当然のことで、生産者や店は、「いいモノ」や「いい店」をすすめる。

もちろん、広告宣伝業は、それに依存しなくてはならないし、広告宣伝業ではない、公共性を持っているはずの大部分の出版物などのばあいでも、ほとんど広告宣伝に近い内容で成り立っているものが圧倒的に多い。

とくに「出版不況」とやらがいわれる近年は、広告宣伝費はいただかなくても、雑誌や本の売り上げをあるていど「いいモノ」「いい店」などに依存できる関係を維持する「実質タイアップ」みたいなのが、流行のようですらある。もはや、「あるべき公共関係」などは、まったく気にしないで、本や雑誌が作られるのが普通になっている。

おれのようなフリーライターも、そういうところに依存しながら、仕事をしている。そして読者も、「いいモノ」や「いい店」に依存した方が、楽であるから、その情報をありがたがる。こうして三方丸くおさまっているというヘイワが続いている。メディアの「あるべき公共関係」なんていうのは青クサイだけだ。

味覚に体調、つまり肉体が関係するのは、いうまでもなく、ほかの感覚器官と同じように、味覚は生理と深い関係にあるからだ。

ところが面倒なことに、生理に関係するのは味覚の1割ぐらいのことで、あとの9割は文化や思想などで決まるといわれている。これ、何に書いてあったか、いますぐ思い出せないが、わりと言われている。

そんなことを言われても、人間が自然科学でわかっていることは宇宙の1割ぐらいだと言われたのと同じで、そもそも宇宙全体の規模がわからないように、味覚の全体像がわからないのだ。

それでも、ウマイマズイに文化や思想などが関係していることは、よくわかる。

このあいだ、ある文庫から復刊される本があって、その解説を頼まれた。味覚随筆の分野では「名著」と評判の高い本で、作者は、いわゆる「文士」としても高名な方だ。元本が送られてきて、読んでいる最中なのだが、読んでいると、同じころのほかの作者の味覚随筆、とくに文士の書いたものが気になる。

復刊される本のもとの文章は、1960年代後半に、ある雑誌に1年間連載のち単行本、70年代の終わりに文庫本、90年代後半にほかの出版社から再度文庫本になっている。

この60年代後半から70年代というのは、拙著『大衆めし 激動の戦後史』にも書いたように、食文化史上のエポックメイキングな時代とみることができるし、食文化系の出版物も「ブーム」といわれたほど爆発的に増えた。文士たちの味覚随筆も、その一角を占め、続々と出版された。

それらの本が気になって、棚にあるものを引っ張りだしては、パラパラ読み直している。そんなことをしていると、元本を読むのが遅れてしまうが、なかなか興味深いことがあって、なかなかやめられない。

一つの大きな興味は、文士たちの味覚随筆には、茶の湯文化ひいては懐石料理の文化や思想の影響の強く受けているものと、そうでないものがあることだ。このことを、Aさん、Bさん、Cさん…、と比較していくと、ことのほか面白い。どうやら、影響を強く受けている人たちのほうが、「文士界」の主流であったようにもおもわれる。

茶の湯文化の思想の影響の強さを、いまさらながら思い知った感じだ。さまざまな「美学」に影響を及ぼしているようだ。なるほど、これなら、懐石料理の人たちが、「日本料理の原点は懐石料理にある」ぐらいのことを堂々というわけだ。

酒をめぐる話にも、大きな影響の影を落としている。

たかだか、ある時代のエスタブリッシュの一部の営み、遊びにすぎなかったものが、日本の普遍の「美」のように伝わり広がる。その例は、最近の「おもてなし」でも見られるのだが。

これはまあ、大変なことだぜ。気どるな、力強くめしをくえ!は、容易じゃね。

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2016/02/04

安物買いの銭失い。

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「安物買いの銭失い」という言葉は、使う人と使い方によって、傲慢かつ嫌味なことになる。とくに飲食物や料理に関しては、要注意だろう。

ネットで、この言葉の意味を調べたら、「故事ことわざ辞典」というのに、「安物買いの銭失いとは、値段が安いものは品質が悪いので、買い得と思っても結局は修理や買い替えで高くつくということ」とある。
http://kotowaza-allguide.com/ya/yasumonogai.html

しかし、飲食物や料理についていえば、安いものは品質が悪いとはかぎらない。それは、「品質の基準」が多様であるから「評価」も多様になることも関係する。

たとえば、腐りかけの野菜や、漬かりすぎた漬物などは、料理の仕方でうまいものになる。陽に当てしなびたような野菜にしてもそうだ。近頃はあまり見かけないが干したニシンは、生ニシンより低級で安物といわれたが、京の都でも珍重されうまく料理された食材だ。下魚といわれた安魚など、いくらでもうまく食べられる。

だけど、世間的に見たら普通のものを食べてるいるだけなのに、そうせざるをえなくてもそれなりに楽しい暮しもあるのに、いいものを知っているらしい人からは「安物買いの銭失い」と見なされることがある。「いいもの礼賛」には、そんな嫌味を、ときどき見かける。

日本酒ブームといわれる純米酒ブームにも、純米酒以外のアル添酒や、それを嗜む人たちを見下す傾向が見受けられる。

ところが、いまや安物買いマーケット(と呼んでよいのかどうかわからないが)は、どんどん拡充している感じだ。先日も書いたが、リーマンショック以後、可処分所得は減っているうえ、その可処分所得から、また消費税が引かれるのだから、実質の可処分所得は、とくに所得の低い方ほど、目減りが大きい。

ある飲食店の酒好きのマスターと話したのだが、かれは店では純米酒をすすめるけど、家で飲む酒は本醸造ですよ、毎晩飲みたい清酒好きの飲兵衛は純米酒なんか高くて飲めませんよね、といって、おれも大いに同意した。かれは1歳ぐらいの子供もいるし。

安酒売場は、ワインも含めて、どんどん拡充している。

今日スーパーで買った酒は、1リットル箱で580円ほどの「清州城信長 鬼ころし」だ。光って写真を撮りにくいのではいでしまった包装には、「アルコール分15度 だから…コクが違う!」という強烈なシールが貼ってあった。そこには小さい文字だが、「美酒こだわり」「芳醇な美味しさ」ともある。

じつは、同じ棚には、この2リットル箱が800数十円ぐらいで売っていて、ダンゼンこちらのほうが安上がりだ。だけど、この酒を飲むのは、始めてだ。箱のデザインや絵柄も、「清州城信長 鬼ころし」も「アルコール分15度 だから…コクが違う!」も、なんだか恐ろしい強い迫力だ。

おれは安物買い修行が足りない。さんざん、1リットルにするか2リットルにするか迷った結果、とりあえず、1リットルのほうで味見してみようという弱気を選んでしまった。

それはともかく、この酒は、愛知県清州市清州の清州桜醸造の製造だが、こういう説明がついている。

「「清州城信長鬼ころし」は、織田信長公ゆかりの清州の地に、創業(嘉永6年)以来「品質一筋に精魂を込めて」をモットーに、伝統の技術と最新の近代的設備により醸造された、やや辛口のお酒です。飲みあきしない、まろやかでコクのある味わいの本品を、毎日の御晩酌の友に、ぜひどうぞ」

こう書かれてあるのを読むと、職人仕事がどうのこうのと言われるより、信頼感がわく。いい仕事は、いい近代設備から生まれるというのも真だし、毎日の晩酌を楽しみにしながら働き生きているひとの友になる酒こそありがたい。安物の価値は、そのへんにある。高い良いものとの比較のなかにあるわけではないのだ。

もちろん、この値段だから、醸造アルコールと糖類と酸味料が混ざっている。

もしかすると、この酒は「ルサンチマンの味」の美味が味わえるかもしれない。「安物買いの銭失い」などと、安物買いの人間を見下す人たちへのルサンチマンの味は、さぞかし美味であろう。と、期待。

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2016/02/02

笹塚、10号通り商店街。

今日は、文を書くのがメンドウだから、去年の暮、『dancyu』2月号ラーメン特集で笹塚の"福寿"を訪ねたときに通った、10号通り商店街の写真をのせよう。

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10号通り商店街は、京王線笹塚駅から北側の、頭上に都会的な首都高速がかぶさっている甲州街道を渡ったところにある。甲州街道に面している入口のへんは10階建てぐらいのマンションが見えるが、商店街のなかは昔ながらの間口の小さな店が並び、いまでは珍しい景色になった歳末の「大売出し」の幟旗がにぎやかだった。

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商店街を入るとすぐに、先日、一緒にトークをした坂崎仁紀さんの『ちょっとそばでも』に、「典型的な関東風の立ち食いそば屋ということができる。大衆そば・立ち食いそば屋を礼賛するのにふさわしい店といえる」と紹介のある、"柳屋"がある。おれは福寿で中華そばを食べなくてはならないので、がまん。

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その先に、綜合食堂"いづみや"があった。おお、すばらしい佇まい、「綜合食堂」というのも魅力的だ。しかし、残念ながら、すでに閉店であった。ああ、もっと早く知っていたら。惜しい。

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いづみやの先に、"マルイストア"というのがあって、これは古くは「マーケット」といったものだろう。野菜、魚、惣菜などの店が集まっている。

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おれは、商店街に八百屋や魚屋がある町はいい町だとおもっているが、さらにマルイストアの先、10号通り商店街がT字路にぶつかり左へ曲がる角に、このあたりでは最も間口が広いとおもわれる魚屋があり、続いて右側へ曲がる角に八百屋がある。生鮮物を扱う店があると、通りの雰囲気に活気があってよいね。

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なかなかよい商店街だ。

で、この商店街を通りぬけると、水道道路にぶつかる。そこの信号を渡ると、10号坂の入口だ。この水道道路は、かつては新宿の淀橋浄水場(いまでは都庁などがある超高層ビル街になっている)につながる川がだったところで、淀橋浄水場側から順番に1号、2号…と呼ぶ橋が架かっていたそうだ。10号通りや10号坂の名前は、それに由来する。

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以前に、日本森林再生機構の活動で、6号通り商店街へ行ったことがあるが、ここは笹塚の一つ新宿寄りの幡ヶ谷駅の北側にある。ここもよい商店街だった。

10号通り商店街、6号通り商店街、なぜここにローカルなよい商店街が残っているのか気になるのだが、それはともかく、水道道路を渡って、10号坂を下ると、福寿にいたる。

福寿のことは、こちら。
2016/01/15
発売中の『dancyu』2月号ラーメン特集に書きました。

このあたりは坂下の低地で、かつては神田川の支流が流れていた。川があると工場があり、工場のおかげもあって福寿も繁盛した。やがて工場は住宅地へと変わり、その住人が商店街を支えてきた、といえるか。台地側にも「川の東京」があり、川沿いの低地の歴史がある。

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2016/02/01

開高健『鯨の舌』から、味の言葉。

きのうの話の、山本容朗さんが編集の『日々これ好食』(鎌倉書房、1979年)には、開高健『鯨の舌』も収録されている。

開高健というと、味覚の表現が豊かで、それも、世界の認識や真実に迫ろうという姿勢が、おもしろく楽しいし、ためになる。この話のばあいも、そうなのだ。

『鯨の舌』は、おでんと鯨の話だが、大阪生まれ大阪育ちの氏のことなので、とくに道頓堀にあるおでんやの「たこ梅」と、鯨のコロやサエズリのことが中心になっている。

とにかく、例によって、多彩な言葉を「まさぐり」ながら動員して味覚を探索しているのだが、「味」の言葉が多い。

「たこ梅」特製のコンニャクについて、「淡白な滋味」に感動するのだが、そのコンニャクを刺身や天ぷらにすると、「《無味の味》とでもいうか禅味があって、私は好きである」とか。

禅味なら、なんとなく想像つくが、サエズリについては、こうだ。

「サエズリの味を文字に変えるのはたいそうむつかしく、ほとんど不可能を感じさせられる――すべての"味"や"香り"がそうであるが――」と書いたのち、「奇味。怪味。魔味。珍味。」とあげる。

そして「いろいろと風変わりでしかもうまいものを表現する言葉をまさぐりたいが、子供のときから鯨をいろいろな料理で食べ慣れてきた私には珍しさよりも親密さがあって、もし一串のなかで香ばしくて淡白な脂のあるコマ切れに出会うと、滋味、潤味という言葉を選びたくのである」といったぐあいに続けるのだ。

味覚には、多様で豊かで雑多な快楽があるはずだが、とくに近頃は、あんがいツマラナイ話が多い。なんていうのか、書く人が自分の感覚の心地よさに酔っているような、味覚自慢のような、とにかく言葉をつくしているようでも、なんだかふわふわしていて薄っぺらで、味覚を掘り起こしてくれるような話が少ない。

「私は「いい味」を知っている」式の話は、ともすると説教臭くもあり、辛気臭くて、解放感がない。だから、味覚が、ちっとも楽しくない。

味覚というのは、世界の真実を認識し理解をするための大切な感覚なのに、いつのまにか、卓抜した感覚や能力を称賛したり誇るためのネタになった感じがある。満たされない自己の何かを満たすための踏み台になるネタを、味覚に求めている人が少なくないということでもあるのだろうか。

もっとも、いまどきは、「世界」だの「真実」だのというのもダサイ感じで、そんなことより、自分の心地よさが大事という感じではある。

開高健の味覚の話は、食べる歓びや、未知の世界へ、どーんと解放してくれるような、おもしろさがある。

以前このブログでもふれた、昨年亡くなられた文化人類学者の西江雅之さんの食の話がおもしろいのも、世界や人間の多様性を認識しながら、かつ興味深く追いかけていたからではないかとおもう。

味覚は、広い世界、深い真実へ向かってこそ、おもしろく楽しい。

おれは、聴覚と視覚が失われた、ヘレンケラーのような人の味覚を想像してみた。味覚は、世界や真実の窓口であり、それらを認識する重要な手掛かりなのだ。それを、ふわふわと消費していて、いいものだろうか。

日本の文化は、日本料理など典型的だけど、系譜主義と純血純粋主義の影響を強く残している。そこにある狭量な価値観は、少なからず味覚にもつきまとっている。

はあ、もっと解放された味覚で、大らかに食を楽しみたい。

そういう意味では、おれが最も好むのは「痛快味」なのだ。でも、これ、しゃくだけど、まさに系譜主義と純血純粋主義の権化みたいな、辻嘉一の本から知った言葉なのだ。辻さんは、「快味」という言葉も、ときどき使っていたとおもう。ま、ニンゲンは、矛盾に満ちた動物であるってこと。

いままで最も傑作だった味の表現は、大宮いづみやの名代もつ煮込み(170円だったかな?)を「ルサンチマンの味」と書いたひとがいて、これですね。脱帽。

「ルサンチマン」って、「悪」「負」「タブー」のイメージだけど、それはルサンチマンの標的になりやすい立場にあるエスタブリッシュの希望なのではないだろうか。そんな思想をうのみすることはない。

ルサンチマンを抱え安酒場で飲んで癒されているものが、せっかく頂戴したルサンチマンを簡単に放棄すべきではないだろう。ルサンチマンの味は、ルサンチマンを植えつけられたうえ、さらにそのルサンチマンを否定される状況からの解放であろう。ある種、痛快味でもある。いや、このうえない野暮味かな。

なーんて、考えた、『鯨の舌』だった。

当ブログ関連
2007/11/18
大宮いづみやで「ルサンチマンの味」を知る

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