発売中の『散歩の達人』5月号「食堂100軒」で、大宮の「いづみや本店」を紹介。
先週末に発売になった『散歩の達人』5月号は、「20周年記念企画」の第二弾ってことで、食堂特集をやっている。先月号の第一弾は酒場だったし、次号の第三弾は喫茶というぐあいの、20周年記念の連続三特集なのだ。
「エンテツこと遠藤哲夫が立ち寄る食堂酒場」として、大宮東口の「いづみや本店」が、見開き2ページで載っている。
おれの文章は600字弱といったところ。ほんのちょっとだけ、クサイ表現を盛った。
企画書では1ページだったから、写真がよくて、見開きになったにちがいない。金井塚太郎さんの写真が、いづみやの情景を、うまく撮っていて、すごくいい。
おれが一人で立ち寄る時間帯は、平日の午後2時から5時ぐらいのあいだが多い。その5時ごろの取材だったのだが、近頃のいづみやは、いつ行っても客が多い。そして時間帯によって、客層が変わる。この時間帯は、おれ同様の「高齢者」が最も多い時間帯だ。ま、平日の昼間ヒマしているのは、この年代が多いのだから、当然だろう。
いつも、その高齢者御同輩に埋もれるようにして、なにかの定食か丼物やチャーハンで、ビールを一本あける。そのままの様子が、写真になった。
この写真の、おれの埋もれぐあいもいい。先日、数人で酒を飲んだとき、「一歩前へ出る」や「もう一歩高いステージへ」より「埋もれている」のが好きである、目立ちたくない、もう一歩の押しがない、そういう人間だっている、というような話をしていて、それは「裏日本」育ちのせいかと、おなじ「裏日本人」のSさんと盛りあがった。そんなことで盛りあがっても、よいことはないのだが、控えめのタチというものだ。
散達から声がかかったのは、ひさしぶりだ。
『散歩の達人』の初仕事は、1997年4月号の第二特集「大衆食堂の逆襲」だった。編集協力とコラムの寄稿だった。このときの肩書は、「フリーのプランナー・ライター」になっている。肩書に中途半端に「ライター」を入れ始めたころのようだ。
今回の肩書は、「著述家」になっているが、いつものように、肩書やプロフィールなどは編集さんにまかせている。「著述家」は、『dancyu』2016年1月号「いい店って、なんだ?」特集のときに、dancyuの編集さんが初めて使ったのではないかと思う。名刺は「フリーライター」なのだが、なかなかその通りにはいかない。
それはともかく、『散歩の達人』の仕事を、ザ大衆食のサイトからテキトウに拾ってみると、こんなぐあいだ。
1997年11月、12月号横丁特集で、「横丁が消える日」「王子さくら新道・柳小路」。
2001年3月、4月号浅草特集で、コラム「浅草天丼怪食術」。
2002年8月、散歩の達人ブックス『東京定食屋ブック』で、企画協力と原稿。
2004年7月、散歩の達人ムック『東京夕暮れスタイル』で、コラム「ビールと焼そばで考えた」。
2004年11月、12月号にコラム「とん汁青春論」。
2006年9月、10月号「掘り出し本に一本!」で、『明治西洋料理起源』の紹介。
ほかにもあるかも知れないが、散達から声がかかったのは、10年ぶりぐらいのことにちがいない。
ザ大衆食のサイト、2005年6月20日に、
『大衆食堂の研究』1995年発刊から10年
大衆食堂の逆襲
『散歩の達人』1997年4月号
http://homepage2.nifty.com/entetsu/siryo/santatsu_gyakusyu.htm
を書いている。さらに10年たって、これを読んでみたら、この20年間の、大衆食堂や散達をめぐる「変化」が見えて来るようで、おもしろい。
「いづみや」も、最近は、20代の客が増えている。かれらは、「昭和」や「レトロ」にひたりたいわけじゃないし、そこに惹かれているわけでない。
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