唯一人の長い付き合いの親友が亡くなった。
おれには、長い付き合いの友人、お互いに「親友」と呼べる関係が少ない。1960年代の20代からの親友が三人いたが、どういうわけか早死にで、二人は60歳前後に亡くなった。そして生き残っていた一人が、25日の夜に亡くなった。
いま気がついたが、三人とも、おれより一歳上だ。そして三人とも社長業が長かった。60歳前後に亡くなった二人は、社長現役で亡くなった。
25日に亡くなった、最後の一人は、激しい競争のなかで、自分で育て上げて大きくした会社を、神経をすり減らすM&Aのすえに、売り渡した。
そういえば、三人とも癌だった。60歳前後に亡くなった二人は、手術を断り、運にまかせた。25日に亡くなった男は、3年前に大腸癌が見つかり手術、順調に回復と思ったが、その後、肝臓に転移が見つかった。もともとC型肝炎だったこともある。手が付けられない状態で、治療を受けながら、長くないことを覚悟したようだ。
昨年、いつ会えなくなるかわからないから、飲めるうちに飲もうと彼が言うので、中野で飲んだ。それが、お互い、最後の別れのつもりだった。そして、その通りになった。
覚悟は、していたが、亡くなった知らせが届いたときには、やはり驚いたし、残念な気持が激しかった。
彼とは、おれが初めて正社員で雇われた会社で知り合った。1965年頃だったか、おれは22歳ぐらいということになる。
かれにもおれにも、大変なことが何度もあった。
彼が最も大変だったのは、やはり、会社を売り渡すときだっただろう。なにしろ、自分が育てた社員に対する愛情が深かっただけに、その決断は大変なことだった。それに、アメリカのフランチャイズ本部との関係など複雑な問題もあった。
おれの手元に、彼がA4にビッシリ書いた149頁の文書が残っている。「マージャー」というタイトルだ。
彼の人生も含め、その会社に関わるまでからM&Aの成り行きを綴ったものだ。自分が育てた会社を売り渡すという、耐えがたいほどの苦渋の中で、これを書き、そして耐えた。
この文章は宅急便で送られてきた。そのときの、おれ宛の手紙には、こうある。
遠藤哲夫様
これは小説か?
はっきりしていることは、この作業に集中しなかったら、半年はもたなかったことだ。会社を売ること、その結果目の前で繰り広げられることは、熱愛中の女を他の男に取られて、その上彼らの結婚式に出ているようなものだ。
「人間一生に一冊は小説が書ける」というが、そんなたわごとを引っ張り出しても慰めにならないほど、集中力が切れそうな半年だった。あと半年残されているが、どうなることやら。
元来短気なのだろうが、結構我慢を覚えてきた。しかしここからはどこで切れるか自分でも予測がつかない。
ともかくこの文章を先ずあなたに送る。これは小説か?あなたの答えを待つ以外にない。
以上全文。日付は2002年7月2日で、本人の署名がある。
彼の会社の売買は、ニュースになった。いま調べたら、会社の売買契約が締結したのは2002年1月8日だった。彼の会社は、某有名企業グループの100%子会社になったのだが、その日から1年間、彼は役員としてその会社に出社し、いろいろなことを「引き継ぐ」仕事をしなくてはならなかった。
彼は出社をし、新しいご主人様のもとで、「熱愛中の女を他の男に取られて、その上彼らの結婚式に出ているようなものだ」という苦しみを毎日のように味わっていた。それが、「あと半年残されている」。
彼は、切れることなく、一年を終えた。この文章を書く作業に集中していたからか。書いて、いくらか気持の整理がついたからか。
おれは、読んだあと、これを出版したいのか聞いた。彼は、吐きだしたかっただけで、とくに秘密にしておくこともないが、どうしても本にしたいということもない、あんたに読んでもらったらそれでよいと言った。
さて、彼が亡くなって、この文章を、どうしたものか。
とにかく、お疲れさま。
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