「究極」と「至高」と「丁寧」。
おれの印象だが、グルメ談議の世界で無造作に使われていた言葉、「究極」や「至高」は、まだ惰性的に使われることが多いとはいえ、いくらか下火になっている感じがする。かわって、というか、追加的にというか、「丁寧」が、いまやトレンドといってよいぐらいだ。
これをどう見たらよいのだろうと考えるうちに、そもそも、いったい、「究極」や「至高」は、いつ頃から大々的に使われるようになったのか、気になってボチボチ調べていた。
で、とりあえず、このへんはマークしておく必要があるなと思われるものがあった。
『ビッグコミックスピリッツ』にて1983年20号より連載『美味しんぼ』は、物語の始まりからして、東西新聞文化部の記者である山岡士郎と栗田ゆう子が「究極のメニュー」作りに取り組む漫画であり、当初から「究極」という言葉は使われている。
で、1988年7月発行の『美味しんぼ』15巻のタイトルは、「究極VS至高」なのだ。
この巻の第一話が「究極VS至高(前編)」で、東西新聞の競争相手である帝都新聞が「『至高メニュー』作りに取り組むことにした」というニュースで始まり、第二話、第三話と展開する。
第一話が、何年何月の初出かは知らないが、おそらく一年以内のことだろう。しかし、そのころを思い出しても、「究極」や「至高」は、それほど使われていたわけじゃないと思う。同じころから話題になった、文春ヴィジュアル文庫のB級グルメ界隈でも、ほとんど使われてない。
また、『美味しんぼ』の連載が始まった、80年代前半は、山本益博さんの『東京味のグランプリ』が売り出し話題になっていたが、そこでも、「究極」や「至高」は、ほとんど見当たらない。
ま、料理や味覚を評するものが「究極」だの「至高」だのと言っていては、始まらないのだが。
だけど、『美味しんぼ』は、違った。このあたりが、「究極」や「至高」の震源のような気がする。
このいかにもバブリーな浮ついた言葉は、むしろバブル崩壊後のB級グルメ談議の分野で盛んに使われることになった。という記憶なのだが、そのへんは、これからトレースしてみたい。
いかにもバブリーな言葉が、なぜバブル崩壊後の、しかもB級というステージで、もてはやされてきたのかは、面白いことだと思う。
そして「丁寧」。
最近、WEBで「台東区・墨田区・江東区エリアが『オシャレタウン』に変貌した理由」という記事を見かけた。
(SPA! ) 2016年4月14日(木)配信
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/spa-20160414-1070663/1.htm
これは「川の東京学」にも関係する内容だけど、それはともかく、このエリアは、「大都市東京にありながら、どこかレトロな雰囲気も『丁寧に暮らす』が信条の若者にウケた要素だ」ということらしい。そして「東京の下町が『イースト・トーキョー』になっていた」と、ウエスト・ト-キョー的な見方を披露している。
「“お金や時間ではなく、質にこだわる意識の高い人たち”としてサードウェーブ系男子なる言葉も登場」ともある。
「究極」や「至高」のごとく、もう歯の浮くような話なのだが、「丁寧」は、そんなことになっているのかと驚いた。
「丁寧」は、仕事や料理に対する、近年の最高の褒め言葉であるようなのだが、「究極」だろうと「至高」だろうと「丁寧」だろうと、「いいもの」「おいしいもの」談議に共通しているのは、人間や食べることに対する洞察に欠けるか弱いものが非常に多いということだろう。歯の浮くような言葉だけが躍っているのだ。
その辺は、大いに興味深い。
| 固定リンク | 0